瀬戸内海のフィードバック
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:こっき(ライティング・ゼミ平日コース)
窓の外に東京が広がっている。
足元には首都高速と皇居の外堀が横切り、その向こうには縦に伸びていく片側三車線の都道がゆるやかにカーブを描いている。
その先には六本木ヒルズや東京タワーといったランドマークが望める。12月のきりっとした空気の中で、大都会は今日もその機能を確かに発揮しているようだ。
僕はいまIT企業の人事部門で人材開発をしている。
今日は新任マネージャーを集めた社内研修の講師をしていた。受講者同士が対話のワークに入ったところで、セミナールームの窓から外を眺めていた。
この景色は、10数年前の僕が望んでいた光景そのものだった。
思えばあのとき、僕の目の前に広がっていたのは街ではなく海だった。鏡のような、波のない海だ。
その海を目の前にして、僕の心はいつもざわついていたのだった。
それは僕がまだ前職の食品メーカーで営業職をしていた頃の話だ。業界でも大手だったその会社は全国に拠点があり、営業マンはどこにでも転勤があった。
僕はその時、香川県高松市にある四国支店に所属していた。
新卒入社してすぐに配属された大阪支店で4年勤務したのち、26歳になった年に異動が命じられた二番目の赴任地だった。
僕はこの異動に大いに不満だった。理由は単純で、都会が好きだったからだ。
もっと言えば東京が好きだった。生まれは千葉だが、ずっと東京で働くビジネスマンに憧れていた。大阪はまだ良かった。東京ほどではないにせよ、僕を楽しませてくれる都市機能を十分に備えていた。
だが四国は、はっきり言って田舎だった。
新幹線も通っていないし、その当時はセブンイレブンも1店舗もなかった。高松で一番の繁華街と言われる場所に金曜日の夜9時に行ったときに、一瞬とはいえ、人っ子一人歩いていない瞬間があったのには驚いたものだ。
赴任してからは日々、不満が募る毎日だった。
家と会社は徒歩10分の距離で、通勤は楽になった。
でも、かえってオンとオフの切り替えが難しくなった。それだけではない。仕事と自分の距離自体が縮まったことで、自分が今の仕事にやりがいを感じていないことにも気づいてしまった。
大阪時代には、都会での生活や、先輩や同僚との遊びを含めて、トータルで楽しかっただけだった。仕事以外の要素で毎日を誤魔化していたのだった。四国に異動になったことで、そのメッキが剥がれた。
肝心の仕事が楽しくなくなると、すべてが楽しくなくなった。
名物のうどんを食べても、あちこちにドライブにでかけても、趣味の映画を観まくっても、心が晴れることはなかった。
会社の営業車で仕事をしているときの風景も、気がめいるものだった。
支店は四国4県を管掌していたこともあって、島中あちこちに営業車で出かけた。流れていく景色は、(当たり前だけれど)どこまで行っても四国だった。
仕事も、食べものも、景色も、すべてが僕を追い詰めているようだった。
そんな僕を唯一救ってくれたのは、高松港にある海辺のカフェだった。
古い倉庫街を改装して出来たその店は、テーブルもイスもすべてバラバラで、窓からは瀬戸内海が一望できた。こんなに都会的な空間がこの街にあったのかと驚いた。
僕はすぐに気に入って行きつけとなった。
都会が恋しくなると、決まってその店に行って、窓際の席で目の前に広がる瀬戸内海を眺めた。東京にも大阪にもない、独特なムードに浸ることで、自分の小さな自尊心を満たしていたのだと思う。
だが、ある日気づいてしまった。
目の前の瀬戸内海を眺めていると、妙に心がざわついて落ち着かなくなるのだった。
瀬戸内海は、陸地に囲まれた内海のため、波が少ない穏やかな海だ。晴れた日にはまるで鏡のように、平らな水面がどこまでも広がる。
海なのに、波がないことが、何か間違ったものを見せ付けられているような気がした。
そして、他でもないその海こそが、僕が愛する東京や大阪を擁する本州と、今の僕とを隔てている元凶だと気づいてしまったのだった。
「ここにいてはいけない」
そう確信するようになった。
それからは、いろいろなことが数珠つながりで起こった。
友人のすすめで当時流行りだした「mixi」を始め、日記を書いているうちに転職することを思いつき、それを姉に相談したら「アルケミスト」という本を薦められ、その本を読んだことが決定打となって、実際に退職を申し出ることになった。
四国を出る日。
僕は最後にもう一度、高松港に向かった。思い出のカフェに寄り、瀬戸内海を眺めた。そこには冬の日差しを受けて輝く、美しい水面があった。
そうか。
瀬戸内海がざわついて見えたのは、僕自身の心がざわついていただけなのか。そして、四国の自然や、食べものが好きになれなかったのは、今の自分自身が好きになれなかっただけなのか。
悪いのは会社でも、環境でもない。そこに意味を見出せない、自分が悪かったのだ。
今思えば、瀬戸内海はただの海だった。
僕をいらだたせるためにわざとクールを気取っていたわけでも、本州と僕を隔てるためにいたわけでもなく、ただ、単にそこに存在しただけだった。
人材開発で「フィードバック」という手法がある。
鏡のように事実を相手に伝えることで、相手の自己認識を引き上げたり、自ら気づいて行動や考え方をあらためたりするコミュニケーションスキルだ。
あの時の瀬戸内海が僕にしてくれていたのは、まさに「フィードバック」だった。
僕の心を映して、返してくれることで、僕の行動をうながしてくれていたのだった。
東京の景色を眺めながら思う。
今の僕があるのは、あのときの瀬戸内海がくれたフィードバックがあってのことなのかもしれない、と。そして、今は東京の街が、僕に何かしらのフィードバックをくれているのだと思う。
目の前の東京は、明るい未来を照らすように、しっかりと輝いている。
でも、この景色がまた曇る時が来るのかも知れない。そのときに僕はまた東京のせいにしたり、会社のせいにしたり、海のせいにしそうになるかもしれない。
そんなときは「瀬戸内海がくれたフィードバック」を思い出そう。
いつだって世界は自分の心を映して輝いたり、濁ったりするし、それをもっと輝かせるのも、なんとかして乗り越えるのも、どちらも自分次第だということを。
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