AIが書いた小説を読む日
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
【2月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《平日コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:蒼山明記子(ライティング・ゼミ平日コース)
私はAIのことにはトンと疎く、あまりよく分からない。
AIに限らないのだけど、とにかく理系寄りのことは苦手意識が先に立つ。
たとえばパソコンでも、仕事柄、パソコンとはほとんど一日中向き合っているようなものなので、それなりに使いこなしているつもりだけれど、必要な機能以上のことはしないため、私の知らない機能をたくさん持ち合わせていても、ほとんど生かすことなく使っている可能性がある。
今でも、こんな便利な方法が! という気づきがあったりする。
パソコンですらそんな感じなので、AIのことはさらによく分からない。
人工知能を指すことは分かるけど、何の略かも分かっていない。
(検索すればあっという間に分かるだろうけど、そんなに興味も出ず……)
知っていることといえば、今、私が会社でやっている仕事は約20年後、AIに取って代わられるらしいということ。
代わられなかったとしても、先に私がリタイアする年齢になっていたりするのだけど、こうしてどんどん人工的なものに取って代わられるようになったら、私たちはいったい何で頭を使うんだろう……なんてことを最近ふと考える。
事務職だったらパソコン作業も経理も事務手続きも、すべてAIに任せられるらしい。
接客業だったら、受付もレジもすべてAIで事足りるようになるだろう。
ライティングすらも、AIができるらしいことを耳にした。
AIが苦手なことはクリエイティブなことだと聞いたことがある。
ライティングはクリエイティブではないのだろうか?
文章をまとめるくらいなら余裕でできそうだと思うけれど、エッセイや小説とかまで、まさか書けるようになるのだろうか?
AIが文章に小ネタを挟めるんだろうか?
AIが胸を打つ物語を織りなせるんだろうか?
前に、ある小説を読んだ。
その話は、アンドロイドが生まれるところからはじまる。
それを作った制作者は、自分の命が終わった時に、自分の主人だった人が眠る墓のそばに自分を埋葬するようにアンドロイドに命じ、命が終わるまでの時間を一緒に過ごしていく。
静かで人間的な生活を送るうちに、アンドロイドは人間の感情をどんどん学んでいく。
悲しみも辛さも、痛みさえも。
そして制作者も、実はアンドロイドだということにも気づく。
制作者はそれを認め、自分自身も自分の主人によって作られ、主人が亡くなってから200年という時を孤独に生きてきたことを語る。
そしてとうとうその制作者であるアンドロイドは動かなくなった――。
残されたアンドロイドはきっと、長い時間を自分の制作者と同じように孤独に耐えていくのだろう。
読み終えた後、切なさが胸に残った小説だった。
ライティングもAIができるようになると聞いた時、この小説を思い出した。
この小説に出てくる二台のアンドロイドは、二台とも人間的な感情を持っていた。
そういうふうに作られたアンドロイドという設定だった。
しかも人間的な感情を後天的に学んでいくことができた。
私がここライティングゼミに提出する記事は、今のところすべて実体験や日々の生活で感じたことから派生させた話を書いている。
仮にフィクションを書くとしても、自分の内側を掘り下げてみるところからはじめてみると思う。
そういう意味では、この小説のようなアンドロイドなら、体験も過去も心の内も、時間の経過とともに学んでいき、小説でもエッセイでも書けるんじゃないかと思った。
実際には、あり得ない話だけれど。
もし本当に、今のAIが文章を書けるとしたら、そのAIに実体験はないのだから、どんな物語をつむぐのか、まったく見当がつかない。
でも、それは私が理系寄りの脳を持ち合わせていないからで、AIをよく分かっている人たちなら、あり得ると思うのだろうか。
現実的とは思えないことが起ころうとしている昨今、できるなら、エッセイや小説は人間のクリエイティブな分野としてAIには触れてほしくないと個人的には思っている。
そんな本を読む日が来るのは、何だか味気なくて無意味な気がするのだ。
それよりも、小説のアンドロイドのように、人間をサポートしてくれるAIが生まれてきてくれたほうが、どれだけ助かるか。
マッチョでイケメンなアンドロイドが話し相手になってくれて世話をしてくれて、最後を看取ってくれて家族の眠る墓に私を埋葬してくれるなら、こんなにもありがたいことはない。
あぁ、レンタルできるように今から貯金しておかなくちゃ。
……現実にはAIが感情を持てるまでに成長するには、私が生きている間はないだろう。
アトムだって2003年生まれだったけれど、感情があって何でも話せるロボットは未だ生まれていないのだから、手塚治虫氏の想定より世界のAI事情はかなり遅れ気味なのだ。
でもAIの技術がすすめばすすむほど、人は人を求め、より人間的な、自然と調和した生き方を欲するような気がする。
人間はいつだってわがままで、便利で簡単になればなるほど、懐古の反動があったり、便利になりすぎて不安になったりするもののような気がするから。
だからこそ、エッセイや小説は人間の頭で、感情で書いてもらいたい。
そこから人間のエネルギーを感じ、共感したいのだ。
便利を極めていく世の中とのバランスを取るために、少しくらいは人間的で泥臭く不器用で温かみのある面をどこかに残しておいてほしいのだ。
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