メディアグランプリ

無数の決断と行動が交じり合い離れたり繋がったりして人生は動く


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:蒼山明記子(ライティング・ゼミ平日コース)
 

岩浜の岩を飛び跳ねながら、浮き輪を腰につけたまま、私は兄やイトコたちとはしゃいでいた。
島の海は綺麗で、どこまでも青かった。

この島には母の実家があった。
小学校6年まで、毎年夏休みになると家族で来ては一週間ほどを過ごし、北の島の短い夏を楽しんだ。

おじいちゃんは、私たちがはしゃいでいる海を、いつまでもいつまでも眺めていた。
作業小屋の横の、海に面したところにビニールが張られたソファがあり、いつもそこに座っていた。
おじいちゃんは私が13歳の時に亡くなった。
それ以来、時々あの姿を思い出した。
杖を持ち、静かに座っている姿を。
子供の頃は、おじいちゃんは海が好きなんだなぁとしか思わなかったけれど、後になって、すでに漁師を引退して久しく体力も衰え、杖なしでは歩けなかったので、きっと漁師の時代を懐かしんで眺めていたのだろうと思っていた。

あれは確か、おじいちゃんの十三回忌だという話から、おじいちゃんの話になったんだと思う。
母から意外な話を聞いた。
おじいちゃんは一度、島を出ようとしたことがあるというのだ。
島を出て、本土で仕事をするという話があったらしい。
おじいちゃんにとって島は、実はあまり好きではなかったらしいのだ。
私の知らないおじいちゃんの話だった。

母によると、おじいちゃんは明治生まれらしい怖い父親で、本好きで歴史好きだった。
漁師と付き合うよりも学校の先生と話が合うようなところがあった。
仕事といったら漁師が主な小さな島で、本を読んでいるというだけでカッコつけていると言われたという。おじいちゃんは一目置かれていたけれど、きっともっと広い世界に行きたかったんじゃないかと母は言った。

それを断念したのは、おばあちゃんの大反対があったためらしい。
おばあちゃんにとっても島が故郷であり、実家があった。
何かあった時に助けてくれる人がいる。
すでに子供が10人いて、この島を離れて本土に行くのは不安だったのだろう。
明治生まれの妻であるおばあちゃんは、常におじいちゃんを立てている人だったけれど、これだけは承知しなかったらしい。

たぶん、あのおじいちゃんなら、本土に行っても必ず稼いで家族を養うことができたと思う。
でも諦めたのは、おばあちゃんの島から離れることへの並々ならぬ不安を察してのことだったんじゃないかと思う。

結果的にずっと島で生きたおじいちゃんがあのソファで眺めていたものは、もしかしたら海ではなく、海の向こうの、遠い昔に見た夢だったのかもしれない。

この話が心に深く残ったのは、その後の母を含めた子供10人の人生をも左右する話だったからだった。
それはつまり、私にも影響していたのだ。

「もし、おじいちゃんが本土にいくことにしたなら、お母さんはその町で仕事を探したろうねぇ。あの当時のあの町は栄えていたから。当時の島には漁の関係の仕事しかなかったから、お母さんには無理だったもの。体があまり丈夫ではなかったからねぇ。だから島を出るしかなかったけど、あの町なら仕事を探せただろうねぇ」
母はそう言った。
それは、私が生まれた町には出てこなかったことを意味する。
そしてそれは、父とお見合いすることもなかったということになるのだ。

叔父や叔母については割愛するけれど、多かれ少なかれ、おじいちゃんの決断は、おじいちゃんの挑戦を封印しただけでなく、家族一人一人の人生にも影響を与えた。

決断というのは、一人で出来るものと出来ないものがある。
そしてその決断は、一人で出来ようと、複雑に絡み合った結果で出ようと、自分では思ってもみないようなところで、意外と影響を与えているのかもしれないということを考えるきっかけになった。

ある企業が新しい案件を大手企業から引き受けることになり、人員募集をかける。
あるいは退職による欠員が出て募集をかける。
その募集に反応した人たちが面接を受けてその企業の一員になる。
当たり前の景色のようで、でももし、その案件に対して営業をしていなかったなら、あるいはボツになっていたなら、退職が先送りになったなら、募集をかけることはなく、その企業とも同僚とも出会うことはなかったことになり、景色は変わるのだ。

興味のある講座を受けて、そこで知り合った人たちとの交流がその後の人生を変えるかもしれない。
フリーマーケットで見つけた自費出版の本をなんとなく買ったことで、その作者がもう止めようと思っていた作家活動を続けることになるかもしれない。
美味しいのに目立たないお店をSNSで紹介したことで、そのお店が話題になるかもしれない。
最後の一個のケーキを買えて喜んでいる人もいれば、並んでいて目の前で終了してガッカリする人もいる。
最後のケーキを買った人がもし並ぶという行動をしていなかったなら、目の前で終了したその人が買えたのだ。

自分の行動や決断が、誰かの行動や決断と交差し、その無数の決断と行動が交じり合い、まるでシナプスのように広がり、人と人は出会い、離れたり繋がったりして何かが起こる。
人生が動く。
そんなつもりなく、自分の知らないところで自分の決断と行動が誰かの人生に影響を与えていることも、誰かの決断が自分に影響していることもあるのかもしれない。
そう考え出すと、朝、出かけるという行動に出たその時から、無数の決断と行動を重ねて一日を終えているように思えてくる。

私は何でも「運命」で片づけるのが好きではない。
「運命」としか言いようのないこともあるかもしれないけれど、「運命」っぽく見えるもののほとんどは決断と行動によってもたらされた結果を指すのではと思うようになった。

あの日あの時あの場所で君に会えなかったら――
というのは、某有名な曲の歌詞だけれど、あの日あの時あの場所に行くという決断を無意識でもした結果ではじまるラブストーリー。
そんなふうに見るのはかわいくないかもしれないが、かわいいと思ってもらえる年齢はとうに過ぎたので痛くもかゆくもない。

おじいちゃんの決断が家族の運命にも影響を与えたけれど、母を含め叔父も叔母も、自分の人生を生きた。
おじいちゃん自身も、反対したおばあちゃんを責めることはなかっただろう。
島を出ることを止めたのはおじいちゃんの決断だったから。

あの夏、おじいちゃんは海を眺めながら、自分の人生に後悔はしていなかったと思う。
私の知っているおじいちゃんは、そういう人だ。
決断した結果を受け入れ、生き抜いたのだ。

誰かの決断がどう自分に影響しようと、誰のせいにもせず自分の決断として受け入れたほうが人生は清々しいと思う。
もちろん、そう思えない苦しい思いもあるのも知っている。
それでも受け入れた上で、それから自分がどう決断し行動するかによって、苦しい思いも覆せることもある。
私は、そう生きていきたい。

そして眺めのいい家のベランダで、この街の風景を静かに眺めながら、穏やかに自分の人生を生きたことを感じたい。
そんな余生を想像してる。
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2018-01-11 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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