会うときの理由は
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記事:福岡環(ライティングゼミ ライトコース)
「今日は、彼氏の家に泊まって、掃除と洗濯をしました」
これだけを見ると、ただの浮かれた女子大生の日記に見えそう。
だけど、ちょっと待っていただきたい。私はお付き合いしている男の子Nの家に泊まるときに、何かを提供する必要があると考えている。家事もその一つだと捉えて、真剣に行っているのだ。
そもそも他人の家に泊まるということは、発生するはずのなかったお金を発生させてしまうということだ。一緒に食事をすれば、食材はいろいろと買って行くにしても、白米や調味料はその家のものを使わせてもらう。お風呂を借りれば水道代、ガス代も発生するし、トイレットペーパーの減った分など、細かく足していけばある程度の金額になるのではないだろうか。
それを考えると、毎回何かしらの物や労働力を提供しないと気が済まない。実家に果物やお菓子が届けばいくつか持っていき、もうすぐなくなりそうな消耗品があればこっそり買い足し、忙しいNの代わりに洗い物、洗濯、掃除、ゴミ出しは率先して行う。Nは私のやったことによく気づき、いつも「ごめんね、ありがとう」と言う。私はあたりまえのことをしているだけだ。まったく「ごめん」ではない。
このようにして、泊まりに行くたびに、課題をこなすようにどんどん家事をするようになった。だんだんと、「今日は洗面台を綺麗にしよう」、「鏡を磨こう」、「マグカップの茶渋を取ろう」、というようなプラスアルファのこともするようになった。しょっちゅう泊まらせてもらう家が綺麗になるのは気分が良かったし、家事代行業務から恋愛に発展するドラマが大好きだったため、ちょっと真似をしているような状況も楽しかった。なにより、泊まらせてもらうことに理由付けができ、罪悪感が消えることに内心とてもほっとしていた。
数ヶ月ほど経つと、Nよりも私の方が忙しくなってきた。大学院修了がかかった、修士論文の提出が迫ってきたのだ。泊まりに行っても、一緒にご飯を食べて少しだけおしゃべりをしたら、「自分も勉強するし、論文進めなよ」と気遣われ、「もちろん家事はしなくていいよ。俺の方が暇なんだし」と釘を刺された。忙しくなったためにアルバイトも削ることになり、金銭的にも厳しくなったため、何か買って行くことも難しくなった。
「これでは役に立てることが何もない!」だんだんと気持ちが焦ってきたとき、Nから「家計簿のつけ方を教えて」と連絡がきた。以前、お金の使い方について自分の工夫を話したとき、近々教えて欲しいと頼まれていたのだ。「良かった。これで役に立てる」安心して、次に会う約束をすることができた。約束したのは、修士論文提出前日だった。
提出の前日、苦労した論文もほぼ仕上がり、あとは体裁を確認して印刷するだけ、というときにNからメッセージが届いた。開封すると、とてもお世話になった先輩から急用があるとご飯に誘われ、私との約束もあるしできれば断りたいのだけれど、難しそう、という内容だった。せっかく久しぶりに会えると思っていたのに、これにはがっくりだ。どうにかならないものかと電話をかけることにした。
開口一番に私が言ったのは、「帰ってきてから家計簿の話する元気ありそう?」だった。家計簿のつけ方を教える約束をしていたし、とくに深く考えることもなく出た言葉だ。でも、元気があると言われれば、家へ行く理由になる。「家計簿は置いておいて、あなたは今日うちへ来たい?」とNは言った。
あ、と思った。私は本当の言葉を話していなかった。私は家計簿が気になっていたのではない。やっと頑張ってきたものが形になった達成感があって、その過程を知っているNにもそれを伝えたくて、少しの時間でもいいから会いたかったのだ。なんでそれが言えなかったのだろう。一瞬のうちに考えと後悔が湧いてきた。
「今日、お家行きたい。ちょっとでもお話ししたいんだけど、いいかな?」すぐ言い直してみた。「帰り遅くなっちゃうかもしれないけど、家で待ってて。じゃあ後ほどね」Nはいつも通り話して電話を切った。
会いに行くのに理由を探していたわけが、なんとなく分かった気がした。「あたりまえ」だなんて思っているのではない。私は頑固で、隙を作りたくなくて、正直になれない人間なのだ。だから素直に「会いたい」と言わず、代わりに変な言葉を並べていた。 そしてそれがNにはお見通しだったことにも気がついた。
たぶん、私はこれからすぐ素直にはなれない。これからも変な言葉を並べて、Nに流してもらったり指摘してもらったりするのだろうと思う。
修士論文提出前夜にできた「会いに行く理由は会いたいだけでいいのかもしれない」という、どこかの歌詞にありそうな仮説は、私の長い研究テーマになりそうだ。
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