プロフェッショナル・ゼミ

夢追い人と、小学校の運動会《プロフェッショナル・ゼミ》


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記事:高浜 裕太郎(プロフェッショナル・ゼミ)
※このお話はフィクションです。

あれは私がまだ小学4年生の頃だった。
私が通っていた小学校にも、運動会というものがあった。大体4組くらいに分かれて、競い合うのだ。例えば、徒競走や、障害物競走、リレーなどがあった。
小学生の頃、私は運動会が大嫌いだった。私は運動が得意ではなかったからだ。走るのも遅いし、ボールを投げたり蹴ったりすることも出来ない。走り出すと、すぐ転んでしまうという有様だった。
私は、内向的な男の子だったと思う。活発な子たちは、学校の昼休みになると、外で運動をしていた。対して私は、図書室や教室で本を読んだりしていた。
そんな私にとって運動会は、言わば年に1回の、最悪のイベントである。毎年運動会の日は、大体誰とも口を利かずに、ほとんど下を向いたまま1日を過ごしていた。それで、毎年何とかやり過ごしてきたのだ。
そして、ついに小学4年生の時の運動会を迎えることになった。

運動会の種目は、希望をすることが出来る。活発な男の子は、「50m走」だとか、「リレー」だとかを希望する事が多い。言わば、花形と言われる種目を希望するのだ。対し、あまり活発でない、私みたいな子は、なるべく組に迷惑をかけない競技を希望するのだった。例えば、「玉入れ」とかは、大勢での競技になるので、1人あたりの責任が軽くなる。だから、内向的な人にとって、玉入れは、運動会という過酷な砂漠での、唯一のオアシスのようなものだった。当然、私も玉入れを希望した。

しかし、小学4年生の運動会の競技決めで、驚くべき事態が発生した。なんと、内向的な人間にとっての「難関校」である、「玉入れ」が、定員いっぱいになってしまったのだ。それでも、なんとかその定員に潜り込めればよかったのだが、あろうことか、私はその定員から漏れてしまったのだ。
すると、空いている種目を探さなければならなくなるが、その時に定員に達していない種目と言えば、「1000m走」くらいしかなかった。定員は3人。そして、「玉入れ」から漏れたのも3人だった。つまり、私を含めた内向的な3人は、走ったこともない1000mという距離を、走ることになってしまったのだ。
その時の私は、「どうしよう」という感情と、「どうにでもなれ」という感情が入り混じっていた。1000mなんて走れるわけがないと、私はハナから諦めていた。他の2人も、おそらくそうだったと思う。
当時から私は、何かと人のせいにする癖があったようだ。この時も、「私を走者に選んだクラスが悪いんだ」と思っていた。だから、走り切れなかったとしても、私は悪くなんて無いと思っていたのだ。

だから、大して対策もしなかった。走ったこともない1000mを走るともなれば、事前に走り込みをしておく必要があるだろう。けれども、私はそれをしなかった。理由は、面倒だったからだ。
「ちょっとは走っておいた方がいいぞ。1000mは、グラウンド5周分だ。これは、結構長いぞ」
私が1000mを走ると知った父が、こんなアドバイスをくれた。小学校から高校までサッカーをしていた父は、私が1000mを走るということを聞くと、少し笑顔を浮かべていた。後から聞いた話だが、父は、自分がやっていたサッカーを、私にもさせたかったようだった。

「呼吸は一定にするんだ。乱れると、一気にきつくなるぞ」
父は、私が頼んでもいないのに、アドバイスを私に投げかけてくる。私は、父に運動会の種目を伝えてしまったことを後悔した。元々、両親に運動会のことを言うつもりは、全く無かったのだが、両親が「当日は、応援に行くね!」なんて言うものだから、白状せざるを得なくなったのだ。

けれども私は、父のアドバイスを無視した。対策なんて全くしなかったし、ぶっつけ本番で運動会に臨んだ。今思うと、全く対策をしないで試験を受けるようなものだった。何と無謀なことをしたのかと、昔の自分を叱りたくなった。

そして、運動会当日を迎えた。1000m走は、朝一にある。全競技の中で、1番最初の競技だ。
開会式と準備体操を終え、1000m走の走者が、スタートラインに立ち始める。私はふと周りを見た。周りには、運動部だろうか、こんがりと日焼けをした男子が数名いた。あとは、私のように、不幸にもこの種目に配置されたと見える、色白の男子が数名だった。
不思議なことに、この1000m走は、全く人気が無かった。距離が長く、キツイからという意味もあるだろうが、私が考えるに、1番の理由は「地味だから」というものだ。当時小学生の私たちにとって、短距離走こそ花形であり、長距離走は地味なものというイメージがあったのだ。食べ物で例えるなら、短距離走は、小学生が好きそうなカレーやハンバーグで、長距離走は、小学生が嫌いそうな、煮物や野菜だった。
私は周りをチラチラと見ながら、スタートラインについた。色白の男の子が、まるで大嫌いなジェットコースターに、無理やり乗せられたかのような顔をしている。「早く終われ」という顔だ。多分、私もそんな顔をしていただろう。
「パン!」という空砲と共に私たちは走り始めた。短距離走のように、勢いよく走りだすわけではない。1000mも走らなければならないのだ。皆ゆっくりと走り始めた。
そこで、不思議なことが起こった。なんと私が、先頭集団につけていたのだ。すると、普段私とほとんど話をしない、クラスの男子や女子が、「がんばれー!」なんて声をかけてきた。運動会は、クラスの皆を応援しなければならないと、先生から口すっぱく言われてきたので、そのせいかもしれない。または、運動会には、普段よりも他人との距離が縮まったかのような錯覚を覚える効果があるので、そのせいかもしれない。とにかく、私はその声援が、少しだけ、心地よかった。

しかし、良い場面は長くは続かなかった。3周目を走り終えた時だったか、急に私の呼吸が乱れ始めた。こんな時に、父のアドバイスが、私の頭の中に響いた。「呼吸が乱れるときつくなる」と言われたが、その通りだった。
さっきまで先頭集団にいたはずだったが、私はどんどん抜かれていった。そして、私の後ろにいた、色黒の子たちは、私をどんどん追い越していった。まるで、獲物が弱るのを待っていたかのように、彼らは急にペースを上げ始めたのだ。
先頭集団と私は、どんどん離されていった。私の後ろには、何人かの色白の子が、死にそうな目をして、無心で走っているだけだった。私も、呼吸が乱れ、途中から頭が真っ白になった。

そんな中、私はある声を聞いた。ひょっとしたら、あの声さえ聞かなければ、私はもっと人間を信じられていたかもしれない。
「あーあ、足引っ張んじゃねぇよ」
「やっぱさ、あいつを1000mにしたのは失敗だったって」
「誰がアイツに1000m走れって言ったの?」
その声は、私の耳があと少し悪ければ、聞こえないくらいの声量だった。けれども、私は確かに聞いてしまったのだ。さっきまで、私の味方だった人達の声を。
「ちょっとさぁ、なんか見てるのも可哀そうになってきた」
「やっぱりアイツじゃ無理だったって」
外野は好き勝手なことを言っている。その時私は、怒りを覚えなかった。ただ、この1000mという苦行が、早く終わってくれることを願っていた。
そして私は、最後から3番目という順位で、この競技を終えた。私が競技を終えて、自分の組に戻った。すると、皆は次の競技の応援の準備を始めたようだった。当然、私に対してねぎらいの言葉を言う人はいなかった。いや、それは私に友達が少なかったことが、大きな要因かもしれない。

少し体力も落ち着いてきた頃、私は、走っている最中に、外野から投げかけられた言葉に対して、怒りを感じ始めていた。
なんで私が、あんな悪口を言われなければならないのか。なんで、最後まで応援をしてくれなかったのだろうか。そんなことを、運動会が終わるまでずっと考えていた。けれども、「自分が1000m走の対策をしなかった」ことに関しては、全く反省をしていなかった。

そして、あの日から15年経った今、私は25歳になった。普通の高校に進学し、地元の大学を出て、就職活動もしていた。
しかし、就職活動は上手くいかなかった。活動をしていく中でも、結局、自分が何をやりたいかということが分からなかったからだ。
大学に入ってからの私は、未だに内向的な性格だったが、小学生の頃と比べると、友達も出来た。一緒に、愚痴を言い合うような仲間も出来た。だから、あの時から比べると、少しは成長したんじゃないかと思う。
けれども、就職活動になると、自分の成長なんて信じられないくらい、内向的になってしまうのだ。例えば、面接でも、口ごもってしまう。書類を出す際にも、一体自分の長所が何なのかが分からない。
そうやって、身動きのとりづらい水の中で、足掻く様な就職活動を繰り返していた。何をやっても上手くいかないと思った。
そんな時に、私を救ってくれたのは、いつも漫画だった。
思い返せば、小学校の時から漫画は大好きだった。家には何百冊も漫画があったし、漫画を読んでいる時は、時間があっという間に過ぎた。そして、自分の頭の中で空想上のキャラクターを作り、「こんな漫画があったら、おもしろいのになぁ」なんて言って、頭の中でストーリーを組み立てていた。
大人になっても、漫画好きは変わらなかった。あるキャラクターが放った、何気ない一言にドキッとすることもあるし、それで心境が変化することもある。とにかく、私にとって漫画は、まるでおもちゃ箱のように、色々と驚かせてくれる物なのだ。

そして、就職活動が佳境を迎えた頃、私はある決心をした。
それは、漫画家になることだった。
そこから、絵の練習や、有名な漫画家さんのアシスタントに募集をしたりして、なんとか食いつないでいる。そんな生活をして、もうすぐ3年になる。もちろん、就職活動は途中で止めた。

25歳にもなって、未だに「夢追い人」を続けていると、外野から色々なことを言われる。
「あいつ、そろそろ腰を据えて働いた方がいいんじゃない?」
「いつまで、叶わない夢を追い続けるの?」
「親御さんの気持ちを考えたことがあるの?」
こんなことを言われるが、私はあまり気にもしていない。小学4年生の運動会での事件が、私の性格に影響を及ぼしている。その事件が、まるで毒のように、ずっとずっと、私を苦しめているのだ。
この事件のせいで、私は人をあまり信じられなくなった。人は、いつ裏切るか分からない。応援してくれていると思った人が、次の瞬間には罵声を浴びせてくるかもしれない。あの運動会の日のように。だから、あまり外野の声を聞かないようにしているのだ。

今の「夢追い人」の状況は、1000m走を走った時の私と似ている。もちろん、夢追い人は自分で選んでなった。無理やり選ばされた1000m走とは違う。けれども、外野の反応は同じだ。
25歳にもなると、同年代で就職した人の中には、役職に就いている人も、ひょっとしたらいるかもしれない。会社で後輩が出来て、指導する立場になる人もいるかもしれない。その人達と比べると、今の私は、「遅れている」だろう。アルバイトと、アシスタントをやって、ようやく食いつないでいる状況だ。就職した人達が、1000m走における先頭集団だとすると、私はその後ろで走っている「色白の子」だ。その子に向かって、外野はなんて叫ぶだろうか。声援もあるだろうが、罵声を浴びせる人も多いだろう。
なぜ、こんなに夢追い人に対する風当たりが強いのだろうか。

1000m走で例えるならば、私はまだ遅れている。小学4年生の頃は、大した練習もせずに、アドバイスも聞かずに走ったから、遅れたままゴールしてしまった。けれども、今は違う。ちゃんと絵の練習はしているし、師のアドバイスも聞いている。そして、「あいつを追い抜いてやろう」という向上心も持ち合わせている。ロケットを飛ばす素材は揃っているのだ。

これから私は、人生という1000m走において、怒涛の追い上げを見せることだろう。その時に外野が、もう少し優しくなって、応援してくれると、とてもありがたい。
その声援できっと、私はさらに加速できるはずだからだ。

私以外の夢追い人にも、どうか罵声を浴びせないであげてほしい。罵声ではなく、声援を浴びせて欲しい。声援が、その人をもっと加速させるはずだから。

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