それでも僕がプロカメラマンをやめなかった本当の理由 ~写真は明日に向かう“チカラ”となる~
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:香川智彦(ライティング・ゼミ平日コース)
「あー、骨が腐ってますね」
家の近くにある整形外科でのことである。
「ほら、ここが帯状に白くなっているでしょ? これは骨が壊死しているの。病名としては『特発性大腿骨頭壊死』で、ステージは4段階中の3まで進んでいるね」
MRIの映像を見ながら、医者は淡々と説明を進めた。「特発性大腿骨頭壊死」とは大腿骨が骨盤とつながる関節部分が壊死してしまう原因不明の病気のことである。
「あなた、ITP(特発性血小板減少性紫斑病)の治療でステロイドの大量服用をしていたんだっけ? まあ間違いなくそれが原因だね」
医者は僕の顔をちらりと見ると、追い打ちをかけた。
「ここまでくると治らない。人工骨頭にする必要がある。自転車? ランニング? 言語道断です。運動は全て禁止。今すぐ杖を突いた方がいいくらい。大丈夫。手術してゴルフができるくらいまで回復している人はいるから。人工骨頭ってセラミックだからランニングとかやってると摩耗が早くなってすぐ再手術になっちゃうよ。だから走るのは、無理」
「走るのは、無理」
医者の言葉が頭の中をこだました。呆然とした。今まで、俺は、何のために、頑張って、ITPを治そうと、ステロイドをあんなに大量に飲み、苦しい思いをし、あまつさえ脾臓摘出手術までしてきたのか―――
2015年11月、こうして実にあっさりと、それまで最大の自己表現としてきた自転車やトライアスロンを失うことを宣言された。以来、僕は自分の脚で走ることができない身体になっている。
元々の原因は、2013年11月に血小板が異常に少なくなってしまう病気「特発性血小板減少性紫斑病」(通称ITP)に罹患し、その治療のために副腎皮質ステロイド剤を大量服用したことにある。薬が体に合わず、ありとあらゆる副作用が出て、服用開始からわずか3か月で全く動けない身体(風呂場で転倒しても立ち上がれないくらい)になってしまった。しかも結局投薬では全く改善されず、翌3月に脾臓摘出手術をした。
手術後からは無事快復に向かい、自転車やトライアスロンへの復帰を目標に必死にリハビリを敢行。やがて医者からは寛解を宣言され、2年の闘病の末、2015年9月、ついにトライアスロンを完走するに至った。最後のランパートを走っているとき、自分の身体がどん底まで悪化していた時のことが思い起こされ、涙で前が見えなくなった。
「ついに、ここまで、戻ってきた……!」
そして、「次はフルマラソンだ!」と次なる挑戦に胸を膨らませて練習に励んでいた最中のことだった。今度は、大腿骨頭壊死を発症……。
自らの挑戦と自己表現の象徴であった「走る」という行為を、一度は復活を遂げたはずなのに、一度ならず二度も、そして今度は永遠に、突然奪われたのだ。
たちの悪い冗談だと思った。しばらくの間はうまく認識できなかった。
けれど、そこにあったのは、立ち上がるだけで激痛が走る脚という、紛うことなき「現実」だった。
発症後しばらくはさすがに落ち込んだが、幸い僕には絶望する間もなく強制的に前を向かせようとする妻がいた。
「自転車やトライアスロンが無くなったんだったら他にできることを探せば?」
彼女はこうも言った。
「足も治るかもしれない。寛解例はある。だから行けるところまで自分の骨でいこう」
妻の強い後押しもあり、ある時からはまるで熱に浮かされたかのように、あらゆることに手を出した。本当に生き急いだ。意識して。今、次の瞬間自分が死んでもいいように。それこそが自分の価値だと思っていた。
まるで失ったものから目を背けるようにして、慌ただしく過ごしていたある日、とうとう僕は気がついた。どんなに興味が移り変わっても、たった一つだけ続けていた、とても大切なものが自分にはあったということに。
そう。この15年間、どんな場面にも、僕の手元にはカメラが自己表現の手段として存在し続けていたのだ。
「そうだ。まだ俺には写真があったんだ……」
そこからは早かった。自分にしか撮れない写真を撮ろう、そう決め集中的に技術を学んだ。賞を獲るまでになった。まだまだうまくなろうと思った。ある時、「プロカメラマン養成講座」のFacebook広告を見つけ直感的に説明会に参加した。約40万円という受講料に腰が引けたが、ここでも妻の強い後押しがあった。
「あなた、絶対やった方がいい」
そして受講初日、2017年7月1日、僕は突然プロカメラマンとなったのだ! 屋号は、撮影を通じてお客さまとともに「生き方をともに創ろう」という想いを込め「Life Craft」というフレーズを入れた。願わくば、僕の写真が、お客さまが自分の脚で歩んでいくためのきっかけとなってほしい……!
そのまま売れっ子カメラマンに! となればよかったのだが、実際はあまり売れなかった。僕の何倍も売る仲間を横目にただ焦った。平日中心の講座日程に対し、主催者へのお門違いな恨み言すら募った。行動量の不足を「仕事が忙しいし……」という言い訳で逃げた。一時はフェードアウトしかけた。そしていつしか自分が何のために写真を撮っているのか、分からなくなっていた……。
正直、カメラマンはお金を稼ぐ手段としては割が悪い。必死に依頼を集めて、必死に撮って月100万円なら、サラリーマンを続けている方が圧倒的に効率的だ。人を撮るのは楽しいが、これをどこまで続けるのだろう。好きだけじゃやっていけない……。「Life Craft」なんておこがましい考えだったんだ……。
率直に言う。プロカメラマンを辞めることも考えていた。
ただ、なかなか辞める決心もつかずだらだらと過ごし、いつの間にか年が明けた。
そんな2018年2月のある日、同じように少しダウンしていた仲間から、再出発をするのでポートレートを撮って欲しいと依頼を受けた。
久々だったので少しぎこちない撮影だった。その緊張が伝わったのか、彼も少し緊張気味だった。ただ、全力で楽しんでもらおうと試行錯誤する中で、やがてお互いの緊張がほぐれ、彼は素晴らしい表情を見せてくれるようになっていた。そして、これぞ! という1枚を見せたとき、最高の「ありがとう」とともに彼は言った。
「これで、自信をもって再スタートできる」
その時に、はっと思い出した。なぜ、ポートレートを撮っているのかを。撮影を通じてどのような時間を過ごしてほしいと考えていたのかを。初めてお客さまを撮ったときにどのような想いを抱いたのかを。「Life Craft」というフレーズに込めた想いを―――
僕は、ただ「きれいな人物写真」を撮りたいのではなかった。技術的には拙くとも、その人ならではの「いい写真」を撮りたいのだ。撮影という時間を通じて、自分にご依頼をいただいたお客さまと「生き方を手作り」するための“チカラ”をともに創り出したいのだ。
この日は、僕にとっても再スタートのきっかけとなった。
もう、迷わない。僕はプロカメラマンであり続けよう。
今ならばはっきり言える。「写真は、自分とお客さま両方にとって、明日に向かう“チカラ”になる」と。そして一度二度ならず三度も翼を折られ、それでも戻ってきた僕ならば撮れる。あなたが内に秘めた(そして気付いていない)大きな“チカラ”を写し出し、「再出発」を力強く後押しする一枚を!
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