もう支えはいらない!
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
【4月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《日曜コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:筒井洋一(ライティング・ゼミ日曜コース)
「えー、本日は、第一回目なので授業の概要説明をします」
「先生! 僕はアニメが好きなので、その話をして下さい」
「ここではアニメの話はしないですが、グループで自己紹介した時に話してください。まずは、授業の概要を説明しますので聞いて下さい」
「自己紹介いつするんですか?」
「グループに分かれた時です。まずは、私の説明を聞いて下さい」
初回の大学の授業はかなり緊張する。どんな学生が来るのかもわからないので、教師はとても不安だ。そんな時にこちらが予期しない発言をされるのは避けたいものだ。
私の授業は変わっている。90分間の授業で、私が話す時間は10分間しかない。じゃあ、残り80分間は何をするのかというと、受講する学生を4,5名に分けて、学生同士がグループで話し合うことが多い。
「筒井さん(学生は私のことを「先生」とは呼ばない)の授業って、給料泥棒ですね」
「どうして?」
「だって、毎回10分間しか話さないのに給料もらってる」
「いや、教師が話すよりも、学生が学びたくなる環境を作るのが仕事だと思ってる。私がずっと話してたら、学生自身が学ぶことを妨げるでしょう?」
「わかるんですが、やっぱり他の授業と違って変わってます」
ここ四年間、教えない授業をやると、学生が学びはじめることを実感している。それに対する自負はあるが、実はまだ越えてない壁がある事はうすうす感じていた。
18歳人口が減少する一方で、大学進学率が上昇し、2009年にはついに50%を越え、その後も微増している。大学進学者が増える事は歓迎すべき事だが、彼らをどう教育するのかに大学は悩んでいる。
その中には、精神的身体的に「配慮を要する学生」も含まれている。該当する学生が受講する場合には、大学から教師に対してこうした学生への対応をお願いするという連絡が来る。私の場合、こうした連絡を受けても、これまでは、学生本人の努力もあって特別なことはしなかった。
しかし、今回は授業冒頭のことでちょっと面食らった。
それから何度か授業の中の彼を観察していると彼の特徴がわかってきた。彼は非常に記憶力がいい。アイスブレイクで年号当てゲームをしたが、彼にかなう学生は誰もいない。また、将来に対する明確な夢を持っている。しかも、他の学生はあまり参加しないのだが、授業後の振り返り会に必ず参加してくれる。ぎこちないが、人と一緒に何かすることが好きなようだ。
そこで、本日の授業の感想を聞くと、
「今日は、グループで自分の意見が言えたのでよかった」
「みんなが自分の意見を聞いてくれてうれしかった」
「見学者と話せてよかった」
など極めて前向きな意見を言う。彼が授業を楽しんでいる様子がわかるのでほっとする。
ある時、授業後に学生や見学者と一緒に食事に行った。彼も食事に誘ったら来てくれた。中華レストランでは、単品をみんなで頼んで皿を回しながら料理を取り分けた。
彼は私と同じテーブルに座っていたので、彼に唐揚げを勧めたら、
「いらない」
と言った。
そこで、
「君がいらなくても、他の人は欲しいかもしれないので、一度勧めてみたら」
と言ったら、彼はさっそく他の人に唐揚げを勧めた。すると、彼が差し出した料理を全員が感謝しながらもらっていった。こういう風に分け与える(シェアする)ことが彼にとっては非常に大きな体験だったようだ。
それ以来、授業後の振り返り会で誰かが持って来たお菓子があると、必ず全員にシェアしようとする。「いらない」というと、次の人に回してくれる。シェアすることの大切さがいたく気に入ったようだ。
もっとも、誰かが話している途中に突然意見を言い始めるし、教室から出て行く事もある。講義型の授業をやっている教師だと進行しづらそうだ。事務室に寄ったついでに彼の事を聞いてみると、他の授業では、先生からいろいろ苦情を言われているようだった。
「他の先生は、いろいろと苦労されているようですので、何かあればご連絡下さい」
「ありがとうございます。でも、私の授業では、馴染んでくれているので大丈夫です」
「それホントですか。だったら、よかったです」
私の授業はグループワークが多いので、メンバー間で何か問題があればグループ内でなんとかすればいいのだった。多様性を認めるとか、異質な者同士の協力とかいろいろ言っているけれども、これは実地の経験だった。そういう風に学生が思ってくれるように話すのが私の仕事だった。
確かに、授業に熱心に取り組まない学生はいる。その時には、教師は学生に腹を立てる。
しかし、少し冷静になれば、自分の授業内容や授業方法自体に問題があるかもしれないことがわかる。よくわからない話を長々と話したり、学生の興味関心は無視して教師側が一方的に話したりしていないだろうか。
その最たる例が、教師が学生に一方的に話し続ける講義型授業だと思う。話すのは教師だけで、学生が聞き続けるのにはかなりの忍耐力を必要とする。そういう授業では、「配慮を要する学生」の強みを活かす事はできない。
私の授業の最後に学生が発表するのだが、グループ発表後には、一人ずつ発表する。
全員が発表した最後にいよいよ彼の番になった。椅子からスクッと立ちあがって前に立ち発表をはじめた。一言二言話し出したが何を言っているのか、よくわからない。みんなが聞き耳を立て始めて、教室がしーんと静まりかえった。こういう静寂は、発表者にはかなりプレッシャーを与える。彼は、緊張のあまり言葉が出ないようだった。
私は彼から三メートルほど離れた位置に立っていて、彼がどうするのか見守っていた。心の中では、
「頑張れ、調べて来た事をいつも通り話せばいいんだよ!」
と叫んでいた。
教師は、無言の静寂が嫌いだ。学生が何も話さないと、お節介を焼いて、ついいろいろ声をかけてしまう。
「どうしたの、リラックスして話してみよう」
みたいなことを言ってしまいがちだ。でも、これだと教師の言葉なしには学生は何もできないことになる。
彼の気持ちを落ち着かせて、彼自身でやれることが必要だった。
いろいろ考えたが、自分の体が勝手に動き出していた。彼には何も声をかけず、隣に立って、手をそっと握った。しばらくすると、彼は発表をはじめるようになって、だんだん落ち着いてきた。
「おー、調子が出てきた。いいぞー」
そう心の中で叫んで喜んでいたら、彼は私が握った手をふりほどいた。そして、自分一人で話し始めたのだった。
もはや私の存在は必要なかった。私はその場からそっと離れた。そうして、彼は見事最後まで発表しきったのである。
教師は、弱い者に味方しようとし、彼らが成長するようにあれこれ手を尽くす。しかし、彼らが教師から自立しようとすると逆に彼らを教師の枠にはめがちである。
彼が私の手を離した時に
「もう大丈夫だから、自分で頑張るよ」
という彼の決意を感じた。
それ以来、私は彼を「配慮を要する学生」と思う事をやめた。どこにでもいるごく普通の学生だ。
しかし、彼は他の学生にはない大きな夢を持っている。その実現を楽しみに待つ事にしよう。果報は寝て待てだ。焦らず慌てず、落ち着いて待っていよう。
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