「仕事」のお仕事
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:近藤頌(ライティング・ゼミ平日コース)
「今はどんなお仕事をされているんですか?」
毎度毎度ありきたりな自己紹介のキャッチボールの中で必ずといっていいほど出てくるセリフである。
そもそもどうして人はその人を知ろうという時に仕事の話になるのだろう。
いや、わかる。
その場の空気を凍らせないための至極簡単な礼儀作法であり、円滑かつ効率よくその人の背景を知るには、やはり今どんな仕事をしているのかは格好の時間つぶしのネタなのだ。本当にその人のことを知りたいと思うのなら「今ハマっているものは何ですか?」といった好みの傾向についての話題に自然となるものであるにも関わらず。
好意のあるなしどちらにせよ、どうしてもワンクッション置きたくなる。
このワンクッションがなければ
「何この人ガッついてくるんだろう」
と思われてコミュニケーションのふたりの立ち位置がとてつもなく距離の開いた拡声器越しの会話のようなチグハグ感が終始漂ってしまうことは明らかだ。
よってこのワンクッションの生贄に選ばれるのが
「どんなお仕事をされているんですか?」
なのだ。かわいそうに。
小学校や中学校に通っていた頃。いわゆる“ともだち”を作るのが大の苦手だった。
転校するたび「一から作らなきゃなぁ」という、もはや強迫観念にかられ自然には振る舞えなかった。そして自然に振舞おうとすること自体が逆に不自然なことであるという現実に気づけるほど、ぼくの頭は思考回路が行き届いていなかった。
高校以降は転校ということがなかったというのもあるが、そもそも“ともだち”という存在についてそれほど執着しなくなった。できる時はできるし、できない時はできない。仲良くなれたとしても後々破綻することもあるし、破綻したと思ったらさらっと話せるようになっていたりもする。
そういうあやふやなものなんだ。と、割り切ったせいか、それでも不自然さは抜けなかったわけだが、話しやすい人は何人かできるようになった。同じ空間にいても、息苦しくならない、息苦しくさせなくて済む人が。
だからなのか、社会人になって初対面の人と会う時の、会話の公式みたいなものが随分あるとわかってだいぶ気が楽になったのをよく覚えている。
そもそも社会人の付き合いというのが基本的にあさーく、ひろーくという体をなしているのでぼくの性に合っているのだ。
それでも今ふと思い出すのはとある人の質問である。
「どんな仕事をされているんですか?」との言葉の後で、
「どうしてその仕事をしているんですか?」
と聞かれたのだ。
息が詰まった。
ちょっとした言葉の違いなのにこれはなかなか聞けた質問ではない。と今ならわかる。
これはあれと似ているかもしれない。
「どこの大学に行ったんですか?」と「大学で何を勉強したんですか?」という質問ぐらい違う何かがあるように思う。
「どこの大学に行ったんですか?」と聞く人の背景を想像するに、
その人が知りたいのは大方学歴、つまりは知性の練度、記憶力の応用度合い、人間全般の中での頭脳面での偏差値、が知りたいわけだ。
知ってどうするかといえば、意識的にしろ無意識的にしろ、自分がその人と仲良くなるべきかどうかの判断材料にしているのはまず間違いない。自分より偏差値が上だ、と判断されればそれだけで好感度アップ。人は上を目指したがるものだからその人となるべく密に接して、吸収できるものを吸収するべく、実行を重ねていく。
一方偏差値が自分より下だと判断されれば、そんなに真剣さは伴わない。気楽に楽しくおしゃべりできればいいぐらいなものである。
「大学で何を勉強したんですか?」と質問する人が就活の面接官以外でいたとする。その人の知りたいことは、おそらくその人の本質に迫ることだ。どこの大学かは関係ない。その人がどんなことに興味を持ったのか、ないし興味を持たず、持てずに選んだのはどんな道だったのか。周りがどうとか関係ない。その人そのものの背景を知りたいと、願わくばその人が学習して得た内容のおすすわけをもらえないかと、そういう個人に対する興味の土台があるのではないか、と考える。
質問の結果を聞いて、この人とは付き合うに値するかしないかの判断をしているとしても、学歴を聞く人よりも何か「見逃す」ということがないように感じるのは、ぼくだけだろうか。
こし器の網目が一段細かい、人との接触の仕方であるように感じるのだ。
これと同じで、「どうしてその仕事をしているんですか?」と聞いてきたその人というのは何か、多くの人とは違う視点を持っている人だな、と感じるのだ。
結局ぼくはうまく答えられず、その場は流れてしまった。
ちょっと、悔しかった。
だから自分の「仕事」について考え始めた。
「仕事」というのは大事だ大事だ、とよく言われている。
生活のため、趣味のため、自分のため。
なのに話を長続きさせるための生贄にされたり、付き合う上での判断材料にされたりと雑な扱いも受けている。生きがいという高尚な存在に成り上がることもあれば、仕事のために人生を破綻させるといったある種滑稽な存在に成り下がることもある。
不思議な存在だ。
けれどもそれも、「仕事」のお仕事なのかもな。とも思う。
そういう「仕事」の有様を見て、ぼくは学ばせてもらっているのかもしれない。自分の人生を「仕事」そのものとも照らし合わせて、納得するための方法を探しているのかもしれない。
そうしてぼくは、いつか自分のしている仕事について人にちゃんと話せたらいいと思っている。ただの行為としての仕事ではなく、中身としての仕事を言い表せられる言葉を、これから探していきたいと思っている。
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