プロフェッショナル・ゼミ

はじまり、はじまり《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

【4月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《日曜コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:ノリ(プロフェッショナル・ゼミ)

「さあ、おはなし会の、はじまり、はじまり〜」
「カン、カン、カンカンカンカン」
子ども図書館に鳴り響く拍子木の音を合図に、楽しげなBGMが流れると、週に一度のおはなし会がはじまります。
拍手が止むのを待って、朗読のボランティアのおばあちゃんが、絵本を高くかざしました。

「今日のおはなしは、この本」

本の題名が丁寧に読まれ、ページが開かれると、それまで騒いでいた子ども達が口を閉じ、あっという間に物語の世界に引き込まれます。

いつの間にか、BGMの音楽は止まっていて、聞こえるのは、おばあちゃんの優しい抑揚のある声と、ページをめくる音だけ。子ども達はみんな、おはなしの世界に入り込んで、物語の行く先をじっと見つめています。

主人公がドジをすると、わぁっと笑い声。残念なことが起きると、あぁとため息。主人公と一緒に、子どもたちも旅をしています。最後には、無事、目的を果たして、みんながほっとして絵本は閉じられるのです。

「出身は、どちらなんですか?」
「生まれも育ちも仙台で」
「そうですかあ……。なかなか珍しいかもしれませんね」
「あのう、どちらなんですか?」
「私は福島なんですよ」
「へえ……。そうなんですかあ」
「……」
「……」
「……あ、あの、お休みの日は、何をしているのですか?」
「そうですねえ……、特にはなにも」
「そうですか……」
「はい……」
「……では、ご趣味とか、ありますか?」
「うーん、特には。家にいることが多いですから」
「そうですか、私も家が好きではありますが……」

お見合いをしているのではない。

学年が変わる、クラスが変わる、担任の先生が変わる、勉強内容が変わる。
社会人になると、学校に通っている時ほど激しい変化は起こらない。けれど今回、久しぶりに職場でチーム替えがあった。私のいるチームは三人。うち一人は、この四月から入ってきた新しい人だった。

私は久しぶりに四月らしい四月を迎えていた。

しかしそれは、おはなし会のはじまりみたいにグッと惹きつけられるドラマはなくて、しばらく使っていなかったハサミみたいに、ギシギシしたキレの悪い会話で始まっていた。

「前職は何をしていたんですか?」
「あの、事務を」
「そうですか、じゃあ、結構こういう仕事は得意なんですよね?」
「いや、でも、10年前にやっていただけで」
「あ、そうなんですか……」
「……」
「……」

これ、いつまで続くんだろうなあ。

チームが同じ人とは、同じ時間に休憩を取ることになる。
職場で友だちを作ろうとしているのではない。けれど、働く仲間として最低限、コミュニケーションはとりたいと私は思っている。

「もくもく、もくもく……」

チームの一人、水島さんは、別のチームから異動してきた。だから仕事の話は問題なくできる。私が特に気がかりなのは、この四月から入ってきた村山さんだ。出身、趣味、仕事の経験、家族や兄弟のこと、最近あった面白いこと。いろんなことを探りながら、仲良くなろうと努めるも、なかなか盛り上がらない。ただお互いがお弁当を食べる音だけが、休憩室に響いていた。

でも、ま、いっか。
私は、このギシギシの先に、パッと開ける時がくるという、確信があった。

「ねえ、Bクラスの子、だよね?」

それは、私が大学に通っていた時のことだ。
「じゃあ、また、明日ね!」
「バイバーイ!」
同じ高校から何人か同じ大学に行ったけれど、電車で通う子は一人もなく、みんな大学の近所にアパートを借りて住んでいた。学校では同じ高校の子と一緒に行動することができたけれど、登下校は一人。

私は朝、電車で駅に着くと、駅の駐輪場に置いた自転車に乗って大学へ向かう。授業が終わると、また自転車に乗り、駅の駐輪場に預けて、電車に乗って、家に帰る。そんな毎日を送っていた。

電車は一時間に一本程度しかなく、しかも、3両しかなかった。
一限目に間に合う電車は限られ、帰りも同じ頃学校を出ると、乗る電車の選択は限られてくる。否が応でも同級生と顔を合わせることになる。

「あの子、いつもいるな」
私はその子を、見るともなく見ていたし、意識していた。

「ねえ、Bクラスの子、だよね?」

大学に通い始めて一ヶ月が経とうとしていた。いつものように、駐輪場に自転車を置いて、電車に乗ろうと急いでいた私に、後ろから声がかかった。
はい、私はBクラスです。

そこには、「いつもいる」女の子が、自転車を押して立っていた。
女の子は確か、Cクラスだった。
Cクラスの、アイコだった。

アイコは足早に自転車をとめると、電車へと私を促した。
それから約一時間、電車の中で私たちはお互いを紹介しあった。
「私、入学式の時に見かけたんだよね。グレーのスーツ着てたよね?」
「……うん、着てた」
「同じ車両に乗ってたんだよ、気が付かなかったでしょ?」
「なんとなく覚えているかも……」
「……」
「……」
「どこに住んでるの?」
「長町。そっちは?」
「南光台」
「え? どうやって来てるの?」
「地下鉄に乗って、北仙台で乗り換えてる」
「……だから仙台駅では見ないんだ」
住んでるところから、出身高校のこと、クラスのこと。とっている講義は何か? サークルは? 仲のいい友達は? 学食の好きなメニューは?
最初は動き始めた電車みたいに、きしんでいた会話も、だんだんと面白くなって、話が止まらなくなっていた。

「じゃあ、明日は始発ね!」
「わかった、じゃあねー」
その日の電車を降りる頃には、私たちは手を振り合って、明日の朝、乗る電車の約束まで交わしていた。

それからはあっという間だった。アイコが入っていたサークルに誘われ、夏には一緒に旅行に出かけていた。秋になって大学の後期が始まると、アイコと同じ授業もとった。
アイコが大学2年から、私が3年から大学近くで一人暮らしを始めると、それまで以上に一緒に行動することが増えた。

大学を卒業してからは別々の場所で就職し、二人が近くに住むことはなかったものの、一年に一度は顔を合わせ、それから20年以上の付き合いになる。今でも大切な友だちの一人だ。

「ねえ、あの時私がノリちゃんに話しかけなかったら、今ごろまだ、友達になっていなかったでしょ?」
アイコは大学を出てからも何度も私にそう言った。
「そうだねえ、アイコはエライ!」
「でしょでしょ! 私が勇気を出したおかげでしょ?」
「はいはい!」
「私、すごくがんばったんだからね!」
「うん、わかったわかった、よくわかってる!」
毎回、そう答えるものの、電車通学をしている人が学年で数人しかいなかった中で、私たちが仲良くなるのは時間の問題のような気もしていた。

けれど、私は基本受け身だから、きっと自分から話しかけることはなかっただろう。私たちの関係は、アイコが踏み出した一歩で始まったことは、確かだった。感謝している。

だからきっと、今回だって大丈夫だろう。村山さんだって、大丈夫だろう。
久しぶりの春らしい春に、私は確信していた。

そうしてその時は訪れた。

「え、東野圭吾なの?」

どんな話題なら話しやすいのかなあ、と連日考えていたけれど、ある日ふと、自分の好きな話題、例えば「本」のことはどうかと思った。
「好きな作家とか、いますか?」
新しく入った村山さんは答えた。
「東野圭吾は全部読んでます!!」
「え、……なんか、意外です!」
確かに王道だ。しかし村山さんは本は読まないんじゃないか。読んでも雑誌とかエッセイとか。これまでの会話から、私は勝手にそう思ってた。

「私は『容疑者Xの献身』が好きです!」
もう一人のチームメンバー、水島さんがすぐさまのってきた。私は思わずいいぞ! いいぞ! と言いそうになった。
「容疑者……、いいですよね。難しいことでもするする読めちゃうっていうか、いつの間にか、世界に入り込んでいるっていうか。東野圭吾はどれも読みやすいんですよね!」
私はこれまで聞いたことのない村山さんのなめらかなセリフ回しにびっくりしていた。
「私あんまり読んだことないんですけれど、おすすめありますか?」
「そうですね、シリーズだと敷居が高いけれど、これなら……」

それからは休憩時間のたびに、好きな作家や最近読んだ本の情報交換をして、あっという間に時間が過ぎるようになった。村山さんから借りた東野圭吾は、二冊目になった。

「もくもく、もくもく……」
というお弁当を食べる音だけが響くことも、話題に困ることもなくなった。
そして「好きな本」というきっかけで、私たちは間違いなく、チームとして「はじまった」のだと思った。

「ねえ、Bクラスの子、だよね?」
振り返った私に話しかける、あの時のアイコの緊張した顔がよみがえる。
うれしさを隠して、気取って見せた私の顔を、アイコも覚えているだろうか。

春には、たくさんの物語が幕をあける。

たくさんのアイコと、たくさんの私がきっと、今日も、ギシギシ音を立てて、お互いを探っているに違いない。
どんな物語になるのだろうか。コメディ? ロマンス? サスペンス? ホラー? いずれにしても、はじめてみなければ、わからない。

物語の、はじまり、はじまり〜。

現実は、絵本のおはなしがはじまるみたいに、拍子木の音も楽しげな音楽もない。胸のどきどきと、もくもくした気まずい沈黙でいっぱいだ。

けれど、ほんの少しの勇気と、ほんのちょっとの笑顔。
それだけあれば、物語の次のページは、簡単に開かれる。

***

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