メディアグランプリ

どうしても好きになれないエトセトラ


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記事:近藤頌(ライティング・ゼミ平日コース)
 
どうしても好きになれない人。
言ってしまえば嫌いな人。
これはどうにも避けられない問題だ。
苦手な人、と置き換えてもいい。
世の中の出会う人みんなが気の会う人とそうでもない人であればいいのに、確実にこの嫌い、ないし苦手な人というのはどこに行ってもいるものである。
冷静に考えれば100%「いやな奴」というわけではない。ただなんとなく、いやなところばかりが目につく。ただなんとなく、自分の気に障るだけなのだ。
ただ、その”気に障る”というのが大問題なわけで、このいかにも理屈ではない部分、よく聞く台詞の「生理的に受け付けない」よろしく、言葉では説明できないものからのアプローチに、人はあまり耐性がない。感覚的なもの、直感的なものは、脳みそを介していないというその一点だけでなぜか説得力が大いにあり、人の行動への影響力は計り知れないものがある。
もちろんそれが良い方向に働きかけることもある。しかし悪い方向に働いた時の、お願いされたわけでもないのにわざわざ傷つけようとする行為の根拠としてしまうのは、いささか考えものだと他人事の場合では思う。
言葉や己の判断力への不信もそうさせる一因なのかもしれない。いずれにしろ、言葉では説明できない苛立ち、胸の中がチクリチクリと疼くことへの憤慨、同じ空気を吸いたくないという衝動。
嫌いな、苦手な人と出会い過ごしていくうちに起こるこれら不快な身体反応にどう対処していけばいいのかは、自分の身を守るという意味でも、割と重要なことなのではないかと思っている。
 
ぼくの場合。
最大にして最強に嫌いな人物は実の兄だった。
シャワーを浴びている時、ときたま右肩にある大粒のほくろが痛む。兄にも同じところにほくろがある。
ぼくとしてはただそれだけのつながりしか感じない存在。
祖母や母から、兄弟なんだから仲良くしなさい、と言われるたびに反感を覚えてきた。兄弟だから、なんだというのか。血がつながっているからこそ、ということの方が世の中では多く問題の種になってきたのではないのか、と。
 
兄は20代前半、名古屋で一人暮らしをしていた時、不摂生がたたってくも膜下出血を起こし、一命は取り留めたものの半身に痺れの残る障害を持った。
当時ぼくは高校生だったと思うが、特段そのことに興味関心がなく、ただなんとなく、なんか入院してるな、ぐらいにしか思っていなかった。
 
自分でも不思議なくらい兄に対して嫌悪感を抱いている。
笑ってしまうほど、どうでもいいと思っているのに血がつながっていることと、ほくろの位置が同じということがあるために無関心でおしまいにしてくれない。
 
昔からそうだったかといわれると、よく覚えていないのだが、昔から反面教師にしてきたというのは間違いないと思う。
友だちづきあいしかり、学校の選び方しかり、悩みの持ち方しかり。
兄らしさを求めることも特になく、周りを見て仲良くしている兄弟を見ては、なんでだろう、と首を傾げてきた。
年が離れているといってもたかだか7歳。
別に今更仲良くなりたいとも思ってはいないが、この違和感はそのうちに耐えがたい痛みへと鈍く変化していくのではないかという恐れは抱いていた。
 
しかし、ここまで蹴落としておきながらではあるが、感謝はしているのだ。
それは反面教師でいてくれるという以外に、彼がいるから大概の「いやな奴」にはおおらかに接することができる、という一点だ。
行く先々で出会う、
(あ、まずい。苦手かも)
という人にも
(でも、彼よりはマシだな)
というように、気持ちを切り替えて丁寧に接するよう心がけることができるのである。
 
そう感謝できた時、あながち、まあ、あながち、悪い関係でもないかもしれないなと、無理なく思い至れるようにはなったのだった。
実際、彼は今もまだ、何ひとつ変わらず、変わろうともせず、変わる必要性すら感じてもいない。そしてそのことに対してぼくは臭い物に蓋をする面持ちでいる。
 
いや、これは言い過ぎたかもしれない。
 
彼は、そういえば、そう、本当にそういえば、小学校の時からずっと続けていた野球をまた始めたのだった。
社会人野球チームに入って外の世界に出ていたのだった。
 
本当にどうしてぼくはこんなに兄のことに関心がないのやら。
 
彼は彼なりに変わろうとしているのだ。
彼は彼なりに自身のことを引き受けようとしているのだ。
なのにそれを見ていなかったのはまさにぼくの方であって、ぼくは言葉では説明できない嫌悪から避けていたいがために、彼の行動に気づけなかった、というより注意を向けていなかったのだった。
 
そう思うと少しだけ好感が持てた。
なんだ、もがいてるじゃん。
 
偉そうにも、ちょっとだけ兄を見直した。
そして、兄を通して自分を見直した。
 
この相性とでもいえばいいのか、底から湧いてくるドロドロとした感情は、やはり抑えられそうにない。けれども、そのドロドロしたものがこの人との間には湧いてくるのだとわかっているだけでも、いくらか冷静にそのドロドロ分を差し引くことは、全部とはいかないまでも、できるのではないか。
 
兄との関係の中で、そう思った。
 
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2018-04-19 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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