アコーディオンが響く電車の中で感じた「後ろめたさ」の意外な正体
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記事:山田裕嗣(ライティング・ゼミ平日コース)
電車の中に響く、アコーディオンの音色。
何かの例えでもなければ、決して気のせいでもない。
その演奏は、目の前で繰り広げられていた。
先日、出張で初めてギリシャに行く機会があった。
仕事が終わり、日本に帰るために空港に向かっていた。アテネ市街から空港までは、地下鉄で45分。その車中、遠くの方から微かに音楽が聞こえてきた。
最初は誰かのiPhoneの着信音か、子供のおもちゃの音だろうかと思っていた。ただ、その割にはなかなか終わらない。
それどころか、段々近付いてくる。
少ししてから、音の発信源が分かった。
20代くらいの東欧系らしい男性が、アコーディオンを弾きながら近付いてきていた。何の曲かは分からないが、落ち着いた心地よい音色だった。
彼の前には、同じく20代の女性。
そして彼女は、6ヶ月くらいになる赤ちゃんを抱っこしていた。
「ぷりべーらー」
……みたいな言葉を一人一人に言っている。
おそらくギリシャ語なんだろう。意味はわからない。
しかし、求めていることは分かる。
彼女は、一人一人に、黄色いプラスチックのコップを差し出していた。洗面所とかに置いてありそうな、いかにも安物らしいもの。
「へー、ギリシャだとこんなこともあるのか……」
文化の違いを目にしたような気がして、最初はちょっとした好奇心が湧いてきた。
しかし、コップを差し出す女性の姿を見ているうちに、全く違うことを感じ始めた。
彼女は、一人、また一人と、真っ直ぐに相手の目を見据えて、ゆっくりと時間を掛けて、「ぷりべーらー」と言い、黄色いコップを差し出していた。
迷いや気後れ、ためらい、そんなものは一切感じない。ゆったりとしていて、どこか優雅とさえ表現したくなるような、そんな振る舞い。
そんな彼女の姿に、しばし見とれていた。
しかし、自分のところに近付いてくるにつれて、落ち着かない気持ちになり始めた。
私はもう日本に帰るところだったので、現地の通貨を持っていなかった。
正確に言えば、キャリーバッグの奥底には小銭が少し残っていたが、電車の中で鍵を開けて取り出すわけにもいかない。
困った。出せるものがない。
赤ちゃんを抱いた女性が前を歩き、後ろにはアコーディオンを弾く男性。3人が段々と近付いてくる。
いよいよ目の前にきた。
出せるお金がなく、言葉も通じない私は、微笑んで軽く会釈するしかなかった。
それでも彼女は、動じず、やはり真っ直ぐに私の目を見てくる。
しばらく見つめられて、ようやく、去っていった。
ほんの数秒の短い時間だったはずだが、随分長く感じた。
去っていく後ろ姿はあんまり見れなかった。
全部で3分くらいの一連の出来事だったが、私の中に、色んな感情が渦巻いた。
疑問。納得。好奇心。感嘆。尊敬。不安。後ろめたさ。安堵。
そして、彼女たちが過ぎて行った後、ことさらにこのときの「後ろめたさ」が気になった。
街角で募金活動を見かけたとき。大きな災害の義援金の呼びかけを見たとき。
毎回毎回というわけでは決してないが、出来る範囲でなるべく応じるようにしている。
応じなかったときには、その都度、やはりちょっとした後ろめたさを感じる。
しかし今回は、なぜかその後ろめたさが、より奥深いところから湧き起こっていた。
なぜなのか。
彼女の期待に応えられなかったから?
それはそうだ。ただ、別に今回に限ったことではない。
応えようと思えば、応えられたから?
キャリーバッグを頑張って開ければ、小銭は取り出せた。
「やればできる」のにやらなかったことは確かだ。ただ、これもやはり、今回だけのこととも言えない。
子どもが居たから?
これはある。自分に子どもが生まれてから、子どもが不幸になるのを避けたい、という気持ちは格段に強くなった。
目の前に実際にいるのを見ると、なおさら。
ただ、必ずしもそのこと「だけ」が後ろめたさを増幅させた、とも言い切れなかった。
なんだったのか。
一連の出来事を振り返ってみて、ふと気付いた。理由は簡単。
私が、彼女のひたむきさに好感を抱いたからだ。
言葉を交わしたわけでもなく、実際にどういう状況にあるのかは全く知らない。
勝手に「家族3人」だと思い込んだが、それすら違う可能性だってある。
少なくとも、電車の中で「ぷりべーらー」と言って歩いている、という、決して豊かで恵まれてはいないであろう彼女が見せていた、その力強い振る舞いに、私は目を奪われ、心惹かれていた。
だからこそ「何もできなかった」ことが、より後ろめたかった。
さらに。
よくよく振り返ると、感じたのは「後ろめたさ」だけではなく、もう一つあった。
そのとき薄っすらと感じた気持ちに一番近い言葉は、「嫉妬」だ。
目の前の人に、状況に、真摯に向き合っていた彼女が持っていた「強さ」は、自分の中にはないものだった。少なくとも、彼女ほどの力強さでは。
そのことに少しだけ気後れし、少しだけ羨ましかった。
気付いた瞬間、苦笑いするしかなかった。彼女にとってはあまりにお門違いだ。
ただ、ぼんやりとした後ろめたさの中から、その意外な正体を掬い上げられたことは、私にはやっぱり意味があった。
急激にやる気が出るとか、強烈な焦りを感じるとか、そういう強い気持ちではない。
自分自身を奮い立たせるものがもう一枚積み重なるような、そんな静かな瞬間だった。
そのうち、先頭車両まで行き着いたからか、3人はまた戻ってきた。
いつの間にか、アコーディオンの演奏はスーパーマリオに変わっていた。
彼女の振る舞いは、少しも変わっていなかった。
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