プロフェッショナル・ゼミ

ど素人が「第九」を歌ってみたら《プロフェッショナル・ゼミ》


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記事:一宮ルミ(ライティング・ゼミプロフェショナルコース)

「誰か、『第九』歌いませんか?」
職場で、上司がチラシをピラピラさせながら、近づいて来た。
「『第九』って、あのベートーヴェンの『第九』ですか!?」
「そうそう、歌いません?」
上司は、笑顔で私をはじめ、一緒にいた同僚たちを誘う。
「どうして『第九』を私たちが歌うんです?」
疑問を上司にぶつけると、上司はピラピラさせていたチラシを私と、私と同じような疑問符だらけの顔をした同僚たちに渡した。

チラシの説明書きによると、第1次世界大戦中の1918年6月に、当時の徳島県の板野郡板東町の板東俘虜収容所あったそうだ。そこで、ドイツ人捕虜たちがベートーヴェンの交響曲第九番、いわゆる「第九」を演奏した。それが「第九」のアジアでの初演と言われていると書かれていた。
実は、あまり知られていないけれど、徳島県は、ベートーヴェン「第九」アジア初演の地なのだ。そして、2018年はその100周年にあたる年でもある。
その100周年に向けた演奏会があるので、合唱参加者を集めているということだった。
なるほど、それで徳島で「第九」なのか。

「それでね、県内外から歌う人を募集して合唱団をつくって、オーケストラと一緒に歌うんだって。全部で1000人以上の大合唱団になるみたいですよ。うちの課内のメンバー集めを私が頼まれているんですよ。だから誰か歌わない?」
いつもにこやかで、優しい、私の大好きな上司から言われると、断るのも申し訳ないし、ちょうど、何か新しいことがやってみたかったのもあって、
「面白そうですね。歌います」
私は、名乗りをあげた。
同じように興味深く話を聞いていた、数人の女性も参加を表明し、私たちの課の中で、4名の女性と、男性1人が合唱団に加入することとなった。
私に、合唱経験はない。最後に合唱したのは、高校の卒業式の校歌を歌った以来だ。いや、あれは合唱じゃない、斉唱だ。ならきっと小学校の音楽会以来かもしれない。
自分が全くのど素人だということを失念していた。かろうじて、人より声がデカイくらいの特技しかない。これが合唱の役に立つのだろうか。
とにかく、手を挙げてしまったものはしかたない。
まあ、どうにかなるだろう。それより、大きなホールでオーケストラと一緒に出演できる方が楽しみで、歌えるかどうかは二の次だった。
しかし、ここからが長い道のりだった。

さていよいよ、初練習の日。うだるような夏の暑い日だった。
本番と同じ大きなホールに、老若男女、ちょっと「若」より「老」の人多めだったけれど、数百人を超える合唱参加者が集まった。
東京から来たプロの指導の先生が、私たちの前に立った。小柄な体にエネルギーが凝縮されているような先生だった。
「はい! 頭から行きますよ! ピアノ始めて!」
なんと、いきなり頭から歌えという。
いやいや! ちょっと待って! 私、あの有名なサビの部分しか知らないんですけど!
楽譜も今日初めて見たんですけど!
私の頭は真っ白になった。

しかし、周りを見れば、歌っている人がたくさんいた。
どこかの合唱団員で「第九」を歌ったことのある人たちだった。結構な数の人がいる。男声パートからも女声パートからも声が聞こえる。
そして、一方で私たちのように、何を歌っているのか、どこを歌っているのか、楽譜の読み方さえ分からない者たちが、転校生の初日のように完全にアウェイな状況におかれ、ポカーンとした顔で突っ立ってた。
経験者と未経験者のレベルの違いに驚愕した。
私はそのとき気がついたのだ。合唱未経験の私が「第九」を歌うなど、とんでもないことを始めてしまったのかもしれないと。
そもそも「第九」の第4楽章、合唱部分の曲を全く知らなかった。知っているのは、年末にテレビCMなどで流れるあの有名なところだけ。それが、合唱部分のほんの一部だったことを、今日、初めて知った。合唱部分は10分以上あった。そして歌詞は全部ドイツ語、意味なんかさっぱりわからない。お経のようにしか聞こえない。英語だったら少しは知っている単語があるけれど、ドイツ語なんて、知っている言葉は「グーテンターク(こんにちは)」と「ダンケ(ありがとう)」くらいのものだ。

とんでもないことを、気安く始めてしまったか。
そんな私の気持ちを見透かすように、先生は最後に、
「たった半年で『第九』が歌えるようになるのは、相当難しいですよ! 心して練習してください!」
と言って去って行った。
衝撃的な初日の練習は終了した。

でも、帰りの車の中で、元来の負けず嫌いが、むくむくと湧き上がった。
「悔しい! 絶対、全部覚えて歌い切ってやる!」
心の中で密かに宣言していた。

本番は半年後の1月末だった。なんとしても、メロディとドイツ語の歌詞をマスターし、先生の指示通りに歌えるようにならなければならない。

あの衝撃の初日の練習以降は、月2回、パートごとに分かれてのレッスンが行われた。合唱素人の私には、普通の混声合唱のルールはわからないけれど、今回の「第九」のパートは、男声が低いほうのバス、高い方のテノール、女声は低い方がアルト、高い方がソプラノとなっていた。私は、ソプラノの担当となった。
2回目以降のレッスンでは、初回の時とは違う合唱指導の先生が、曲の頭からゆっくりゆっくりメロディとドイツ語の発音を丁寧に教えてくださった。
ここで私は、次のレッスンに行くと、前回のレッスンの内容を忘れるという記憶力のなさを存分に発揮した。
これはまずい。三歩進んでも、三歩下がって全然前進してないではないか。
経験者との差は広がるばかり。
これは、自主練するしかない!

とにかく、メロディと歌詞を覚えよう。
練習用のCDをネットで買った。毎日、通勤の車内で繰り返し繰り返し聞き、歌った。
どうして、通勤中の車内で歌うのか、説明しよう。
ソプラノのパートは、合唱の中で一番高い音をだす。一オクターブ上の「ラ」の音、つまりドレミファソラシドレミファソラの「ラ」の音まで出さないといけない。すごく高い音だ。まるで、金属バットで野球のボールを打ったときのよう。ちゃんとした発声方法をマスターしてない素人の私が、この音をだすと、聞いている者の耳がキーンとなる不快な音に聞こえるらしい。耳のいい若者である私の子供たちには相当苦痛らしい。
「やかましい! 超音波か! コウモリが来るわ!」
と、家族中から、大ブーイング。
それで、仕方なく歌の練習は一人の時で個室である車の中ですることとなった。
車内で熱唱していると、たまに信号待ちで並んだ隣の人と目があって、すごく恥ずかしいこともあった。でも、それくらいの恥は我慢しなくては、上達への道はないのだ。

次に歌詞をきちんと覚えなくてはならない。
どうしようかと思案した結果、学生時代の英単語を覚えたときの要領で行くことにした。手書きでドイツ語の歌詞を全部紙に書いた。書いた紙を見ずに、歌ってみる。歌詞が思い出せずに歌えなかったところがあると、紙を見て歌詞を確認する。これを何度も繰り返した。
秋が来る頃には、ほとんどの歌詞を覚えることができた。
何回目かのレッスンで楽譜を見ずに歌えた時は、心の中でガッツポーズをした。
私の記憶力もまんざらではないななんて、ちょっといい気になったりもした。

それから、「第九」の練習には、思わぬ収穫があった。
私は声がデカイ。よく言えば、「よく通るいい声」らしいのだが、要は「聞きたくなくても聞こえてくる、迷惑な声」なのだ。
「あんたとは内緒話もできないわ」
と、友人にはときどき呆れられる。
つい、テンションが上がると声のボリュームのつまみが壊れて、とんでもなくやかましくなり、皆様にご迷惑をおかけしている。日頃はできるだけ、2から3割減くらいのボリュームでしゃべるようにすることを心がけている。
でも、合唱の時は、それをフルボリュームにできる。
それが気持ちよくてたまらなかったのだ。
合唱団は1000人を超えている。どんなに大きな声を出しても、みんなの声に埋もれて、私だけが目立つことがない。合唱がこんなに自分を解放できるとは思わなかった。
レッスンが進むにつれ、歌えるようになり、おまけに自分の声を思っ切り出して、ストレス解消になる。毎回、レッスンに通うのを待ち遠しく感じるようになっていた。

そして、冬が来て、とうとう本番の日となった。
1000席ほどの観客席は満席だった。
今回の演奏会には、最終的には県内外から約1800人の合唱参加者が集まった。それから、それぞれのパートのソロを歌う声楽家が4人、オーケストラも数十人の大編成だった。ベートーヴェンの最後の交響曲にふさわしい豪華なものだった。

「ジャーン!!!」
オーケストラの大音響で第4楽章が始まった。
いよいよ出番だ。
約1800人の合唱団が一気に立ち上がった。

さあ楽しい合唱の時間が始まった。
後にも先にも今日が最後。歌いきってみせる!
ソロの男性が朗々と歌い始める。それを追うように、合唱団が歌う。
歌はじわじわとあの有名なフレーズに近づいてくる。

次の瞬間、あの有名なフレーズを、合唱団全員が一斉に大きな声で歌いだした。約1800人が歌うその迫力に、観客はきっとびっくりしたことだろう。

演出のために、楽譜は持たせてくれた。けど、楽譜なんか見なくても大丈夫。あんなに練習したんだもの。それに、指揮者のタクトを見なければ、指揮者の思い通りの「第九」は歌えない。
「指揮者の指示はすべてタクトに込められています」
これは、散々練習の時に合唱指導の先生から、言われたことだ。タクトをしっかり見て歌った。何事も基本に、指示に忠実であることが大事だ。
そして、なにより大ホールで、オーケストラの演奏に合わせ、思いっきり歌えるこの気持ち良さは、今まで味わったことのない感覚だった。
自分を思い切り解放していることに、1000人の観客が見ていることを忘れる。
ここまで、頑張って練習してよかった。
あの日、何気ない気持ちで「やります」って言ってよかった。
こんな楽しい世界があったなんて。

とうとう最後の歌詞、
「ゲーッテル、フンケン!!!」
と歌い上げると、オーケストラがラストのフレーズを演奏し、バーンと演奏が終わった。

「ブラボー!!」
観客席のどこからか声が聞こえた。そして、割れんばかりの拍手喝采。

「よっしゃーー! やってやった!」
私は心の中でガッツポーズをした。
周りから聞こえる拍手喝采は、一生懸命練習し、ここまでできるようになったことと、自分を思っ切り解放した自分への、自分からの拍手のように感じた。

歌いきって燃え尽きるかと思ったけれど、そうならなかった。
私は「第九」を歌うことが大好きになった。
あの開放感と達成感がやみつきになってしまった。
しかし、残念ながら、「第九」演奏会は終わってしまった。
でも「歌いたい」という気持ちの火は、今も、ずっと胸で小さく燃え続けている。
だから、今もどこかで「第九」を歌える次のチャンスが来ないかと、虎視眈々と狙っている。

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