網膜剥離体験記 ― 戦争と手術
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記事:みずがめ(ライティング・ゼミ日曜コース)
網膜剥離、という言葉は、痛そうだ。けれど実際は、全然痛くないから困る、そんな病気だ。
ある日ふと、左目の視界の一部が欠けていることに気付いた。メガネにゴミがついているかのように、その部分だけ見えづらい。メガネを外してみたけれど、やっぱりそこだけ見えない。
気付いたのが金曜夜だったので、土日祝と待って、地元の眼科を受診したら「網膜剥離ですね」とのこと。「だいぶ時間が経っちゃってるなあ」とも。三日と言えど、待ってる場合じゃなかったらしい。
翌日、紹介状を持って大病院に行き、そのまま手術、入院となった。怖い、と思ったけれど、進むしかない。
この病気は、網膜が剥がれるとき、痛みがないから気付きにくいそうだ。また、外からの衝撃がなくても、剥がれることもある。これといった原因は特定できないというから、これまた困ったものだ。いつから剥がれ始めたのか、どんなスピードで進んだのか、一切分からないという。でもとにかく、剥がれた網戸を枠に張り付けるような手術を、急いでしなければならないそうだ。
「気持ちが楽になるお薬」なるものを飲み、さらに注射をして、麻酔をして、患部の左目だけを出して、手術が始まる。感覚は麻痺して、見えないのだが、少し眠いものの、相変わらず意識はある。「動きたくなったら、事前に言ってくださいね。危ないので」と言われる。自力で体を動かさないようにするなんて~! くしゃみも咳も、思い出し笑いも禁止。と思うと、くだらないことがどんどん思い出されて困った。
うつらうつらしていたのだろう。ふと気づくと、なんとなく、見える。テレビの砂嵐の画面の向こうに、先生がこちらをのぞき込み、手を動かしている。
「先生、今、見えてきてます」と、ろれつが回らないながらも伝えると、先生が「麻酔が切れてきたかなあ。これ、感覚あります?」と言うので、「何も感じません」と答えたところ、「んじゃ、大丈夫だね。今相当痛いことしてるから!」
先生の身も蓋もない返しに、笑いそうになって困る。手術中はそんなことを考える余裕があった。
そのまま、病棟に移って、一泊した。麻酔が切れてめちゃ痛かったけれど、痛み止めを飲んだ瞬間爆睡した。薬ってやっぱりヤバい……。頼ってしまいそう。翌朝結構ヘロヘロで、私としては延泊してもいいくらいだったのだけど、検診で「退院できますね!」と、シャバへ帰されてしまった。
次の外来まで、すべてを家族に丸投げして、寝まくった。そうできるタイミングだった私は本当にラッキーだ。それだけしっかり養生しても、術後一週間の外来の時点では、回復はしているものの、まだまだ両目の焦点が合わず、視界の色が黄色くて、頭もボーっとしていた。
それでも先生は、にっこり笑って、「運動以外は大丈夫。通常通りの生活に戻れます。仕事もどうぞ」と言った。こんな、お岩さんなのに。眼帯外すと、白目の部分は真っ赤なのに。
先生はそういうけれど、理解ある職場からは、1か月くらいゆっくりしたらいい、と言われていたので、まだ休むつもりだ。だけど、体がこんな状態でも働く人は働くんだなあと、驚いた。
外科、特に形成手術は戦争とともに発達してきたという。確かに、今戦争中だったら、最低限の体力が戻ったら前線にゴー! となるだろうな。動けと言われれば動けなくはないけれど、寝てろと言われればまだいくらでも寝られる……なんていう寝言は通らないだろう。
でも、やっぱり本当は、無理がある。体の機能だけは、動ける状態にあるかもしれないけれど、今私は、まだショック状態から抜け切れていない自覚がある。
受診から手術まであっという間で、その時の「怖い」という気持ちは、置いてきぼりになっている。理路整然とした先生の説明を聞いて、「理解したし、不安はないのですが、怖いです」という気持ちを、いい年の大人が言ってはいけないような気がして、そもそも言っても仕方がないことだし、と、おとなしく同意書にサインした。
手術前、「大丈夫ですか?」と看護師さんに聞かれたときだけ、「大丈夫なんだけど、怖いんです」と言えた。そしたら「そうですよね」と、看護師さんが手を握ってくれた。温かかった。人の手ってこんなに力があるんだなと、涙が流れた。
心の混乱が、まだ全く消化できていない。これをきちんと整理しないと、ひきずって大変なことになる。それもまた、戦争からの教訓だ。軍隊を持つ国では、恐ろしい戦場から帰還した兵士の多くが、PTSDに悩まされている。
こんな状態のときも、体が動くならば働くのが、勤勉な国民性を誇るこの国の当たり前なのかもしれない。よくがんばってるし、ほんとにエライ!
けれど、私は身をもって、思う。もしこういう状況になったら、どうか心の状態も、よく観てほしい。今、日本は戦争中じゃないし、私たちは兵隊じゃないから、少しくらいゆっくり休んでも、大丈夫。自分の本当の気持ちを感じて受け止めて、癒えるのを待てるのは、究極には自分しかいないのだから。
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