お父さん、ごめん。まだ結婚できそうにない。《プロフェッショナル・ゼミ》
*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
記事:伊藤千織(プロフェッショナル・ゼミ)
「あなたは、結婚するには相当な努力が必要です」
つい先日、占い師にそう言われた。自分でも薄々そんな予感はしていたのだが、はっきり言われると逆に清々しかった。
「ですよねー!」
と、思わず声をあげてしまった。別に共感できて嬉しいわけではない。
私がなぜ容易に結婚できないのかというと、占い師が言うには、運命の数字が合致する人がほとんどいないのだそうだ。
私が受けた占いは、生年月日から自分が生まれ持った数字を3つあぶり出す。数字は1から60まであり、その数字を円状に並べる。その中で自分の3つの数字を線で結ぶと三角形ができるのだが、その面積がより多く合致する人と相性が良いのだそうだ。
しかし私の場合、線で結んでみると三角形ではなく、一直線になった。占い師に「私がこれまで占ってきた中で2番目に三角形が小さい」と言われた。つまり、相性が合致するスペースがないのだ。
ちなみにこれまでで1番小さかった三角形は、3つとも同じ数字だったため、もはや「点」だったそうだ。
一直線もたいがいだが、点もよっぽどである。
その後、占い師から「結婚できるヒント」を授かり、慰められながら席を後にした。
私は落ち込んではおらず、予感が実感となったことで逆に肩の荷が下りたような気がした。
私は子供のころから、父に早く結婚しろと言われてきた。
まだ嫁に行ってほしくないだとか、家に連れてきた娘の恋人を殴るだとか、そういった結婚に反対する父の様子をよくテレビで見ていたので、うちの父は特殊なのだろうかと少し不安に思っていた。
いや、不安も何も、父は変わっていた。これまで一緒に生活してきた日々を思い出すと、しみじみ思う。
しかし、父のことは、あまり知らない。
職業や年齢、身長、体重、そんなうわべのデータは知っているが、父が仕事で何をしていたのか、これまでどういった環境で育ってきたのか、詳しく聞いたことがなかった。
聞きたいと思ったこともなかった。
父が苦手だったから。
私は反抗期が中学生から大学卒業まで約7年間続き、ずっと父を避けてきた。しかし、今こうして離れて暮らしてみると、ひどいことをたくさんしてきてしまったと、後悔が募る。
恥ずかしながら今になってようやく優しくしよう、親孝行しよう、と思えるようになった。
20年以上前、私が保育園に通っていたころの話だ。
保育園帰りに私が父のこぐ自転車の後ろに乗っていた時、足が車輪に巻き込まれたことがあった。父は泣きじゃくる私の様子にかなり動揺し、家に着くと血も何も出ていなかった私の足の甲に、絆創膏を何重にもして貼り付けてきた。
子供ながらに疑問に思っていたことを思い出したのと同時に、父の不器用なところが今思えばとてもかわいそうで、愛おしくなった。これが、私の中で一番好きな父との思い出だ。
さらに、父の生い立ちについて、親戚から聞いた話を思い出した。
父は北海道で生まれ育った。誰もが北海道と聞いて真っ先に思い浮かべる、広大な緑色の原野の中で育った。
16歳で実家を出て、寮で生活しながら高校に通っていた。そして高校を卒業すると、北海道から集団就職で東京にやってきて、郵便局で働き始めた。
本当は通信会社に就職する予定で、郵便局は補欠として採用されていた。しかし、通信会社から内定通知がいつまで経っても届かず、郵便局に空きが出たのでそちらを選んだそうだ。
後日、郵便局への就職が決まった後に内定通知は届いたのだが、父の実家があまりにも田舎すぎて郵便局員が家を探しまわっていたそうだ。
父は郵便局に就職後、ずっと東京で暮らしてきた。文句ひとつ言わずに父は家族のために働き、定年後も再雇用で65歳まで働き続けた。
父の最後の肩書きは「課長代理」だった。当時大学生でまだ会社の仕組みを知らなかった私には、それがどれぐらいのポジションなのかわからなかった。
一度だけ、母親から父の仕事について聞いたことがあった。私が就職活動をしていた時のことだった。
私は郵便局の採用試験を受けなかった。当時反抗期だった私は「お父さんと同じ仕事なんか絶対したくない」と、父がいる前で言い放った。
すると母親に「お父さんは一生懸命家族のために働いてきたのに、なんでそんなこと言うの!」と怒られた。父はこの時、何も発言しなかった。
父の仕事は地味だと思っていた。郵便物をひたすら集配し、仕分けし、その作業を管理する。それだけだと思い込んでいた。
しかし父が自分の部屋に戻った後、母親にこう言われた。
「お父さんはね、窓口でお客様の対応をしたり、お客様のところへ謝りに行ったりして、大変なんだよ」
そう聞いて、私はショックを受けた。
課長代理って苦情処理係なのか。ひどい仕事を押しつけられている、と思った。
今、私も社会人になり、父の仕事は単純に苦情処理係だけではないことはよくわかるのだが、間違ってもいないと思う。それだけ責任のある仕事をしており、言ってしまえば責任を押し付けられる立場だったのかもしれない。
父がお客様にひどい言葉を浴びせられ、ぺこぺこと頭を下げる姿を想像してしまった。その様子を物陰から見てしまったような気分になり、とても不憫で、見ていられなかった。
それでも父は、家族の為に頑張ってきた。父は結婚していなかったら、子供がいなかったら、本当に何も残っていない人生だったのではないだろうか。
私が小さいころは、よく昔の同僚と宴会を開いていた。それが最近は疎遠になり、連絡も取っていない様子だった。
父は、寂しくないのだろうか。
これで母親がいなくなったらどうなってしまうのだろう。
私も私でやりたいことはあるのだけれど、父のことも見守ってあげたい。
もう今の私の中には、あの頃の私はいない。
父は、田舎よりも東京での暮らしのほうが長いのに、田舎の風景を懐かしんで携帯電話の待受画面に設定していた。自分が死んだとき、骨はオホーツク海にまいてくれとよく家族に言ってきた。
お父さん、ごめん。お父さんが死ぬ前に、私、結婚できないかもしれない。
だけど、お父さんのお願いは、叶えてあげるからね。
口には出せないが、心に思いを刻み込んだ。
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