プロフェッショナル・ゼミ

「内なるおっさん」との10年戦争《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:射手座右聴き(プロフェッショナル・ゼミ)

おっさんが少しだけ、話題になっている。

おっさんの恋愛ドラマがプチブレイクした。
おっさん中心のサッカーチームが、頑張っている。
「おっさんになるな」という主旨の新聞広告を出した企業があった。

かわいい、頑張っているという意見もあれば
一方で、古い考えの象徴だとか、社会の邪魔だと言う声もある。

おっさんは、どう生きたらいいのだろうか。

この問いは、私自身の問題なのだが
僭越ながら
読んでくださっている、あなたにも無関係ではないかもしれない。

なぜなら、年齢は誰でも平等にやってくるから。

40代からずっと、私は「内なるおっさん」と戦ってきた。
その歴史を包み隠さず、書いてみようと思う。

バカにされてもいい。みなさんがスマートに歳を重ねる参考にしてもらえれば。

終わりの見えないこの戦いは、
もう10年ほどが経過している。

戦況は一瞬足りとも、油断はできない。

なぜなら、敵は自分の内側にいるからだ。

気がつくと、敵の思うままに操られている時がある。

そう。敵は、私の心の奥底にいて、突然目覚めるのだ。

奴は、私にこんな言葉を言わそうとする。

「これだから、近頃の若者は」
「俺の若い頃は」
「ここは、このやり方が常識だ」

厄介なことに内なる敵は、実体がない。感情という、
荒ぶるも鎮めるも自分次第、という状態で姿を表す。

自分以外の他者を否定したくなる気持ち。
自分を誰かに認めてほしい気持ち。

そんな気持ちが、むくむくと湧き上がってきた時、戦いが始まる。

気持ちにまかせて、年下の人に発言しないように。
経験を振りかざして、相手の気持ちに嫌気がささないように。

鎮めこむ。封じ込める。

沸き起こる黒い感情は、甘いお酒のように私を誘う。

最初は、これが戦いとは気づかず、溺れていた。

他者否定、承認欲求、事なかれ主義。

まさかそこに、30代の自分がそんな渦の中にいるとは、思いもよらなかった。

平気で後輩の言うことを否定していたし
大したことのない自慢話をついついしていたし
家と会社の往復以外のことをしなくなっていた。

会社を辞めたとき、やっとこのダークサイドの存在に気づいたのだ。

きっかけは、元後輩の一言だった。

「Yさん(自分)のおっしゃることは、わかりますが、
 会社として、この方向でやりたいんです」

打ち合わせで意見がぶつかった時、元後輩は譲らなかった。

あ、そうだ。今、私は部外者だ。
同じ仕事とはいえ、チームというより、外部スタッフなのだ。

「いや、その方向はない。自分の経験から言っても、うまくいかないよ」
と言いたい気持ちはあった。

でも、もはや元後輩にとっては余計なお世話なのだ。

自分の経験を否定されたような気持ちになりながらも
私は、言葉を飲み込んだ。

この初めての自分内戦争に名前をつけるならば
第一次おじさん大戦「プライドとの戦い」だった。

しかし、これだけでは済まなかった。

フリーランスになってしばらく、内なる戦いは頻発した。

経験を活かしてほしい、とみんな言う。
でも、実際、事情や状況でそうはならないところもある。
清濁合わせ飲む、ということはもちろんいままでもあった。
けれど、その時、会社という組織であれば、誰かに愚痴ったり
理不尽を指摘することはできた。
「Yさん、ごめんなさい。こんな風になっちゃって」と謝ってくれる
社内の人もいた。
「ありえないよ」と怒ることもできた。でも、それは会社員だったからだ。
私の機嫌を損ねないようにすることは、
仕事をさせる上で必要なことだったのだ。
でも、一人になったら、それは変わった。うるさいことを言うなら、
他の人に頼めばいい。だから、あまり気を使ってくれない。自分で自分の機嫌を
とらなければいけないのだ。知らず知らずに自分の中にあった
プライドに、自分一人で対処しなければならなくなったのだ。

そうか。サラリーマン時代に、私は立派な老害になっていたのだ。
会社員というバックボーンによりかかった、みんなが嫌いそうなおじさんに
成長していたのだ笑。

そしてフリーランスになった今、私の中のおじさんは、悲鳴をあげていた。

これでは自分が承認されない。苦しい!

だが、私は変化せざるを得なくなった。

先輩後輩という関係性を捨てた。いままでの発注受注という関係を捨てた。
ちっぽけな経験と実績を捨てた。

捨てたのは、仕事上での話し方だった。大きく変えた。
どんなに仲の良かった人も全員「さんづけ」に変えた。
「ですます」で話すことにした。
経験値での意見は、求められなければしないようにした。

これだけで随分楽になった。

「どんな話でも一度受け止めてくれる。辞めた後、先輩風をふかせないので
 仕事がしやすい」

そんな風に言ってくれる人が多くなった。

おじさんのプライドとの戦いは、少なくなり、心はあまりざわつかなくなった。

だが、今度は、そんな生活に慣れてきた。

気づくと、サラリーマン時代とポジションが変わっただけで
同じような日々になっていた。
「無理を言っても相談に乗ってくれる人」という評判が、
私のスケジュールを壊していった。
家と打ち合わせの往復。ときどき趣味と飲み。
こういうルーティンができてきた。

第2次おじさん戦争「怠惰との戦い」だった。

現状維持をよしとする、おっさん特有の気持ちに
じわじわと侵食されていた。

「これじゃ、サラリーマン時代と本質は同じだ」

会社を辞めた意味はなんだろうか。
そして、同じような仕事は何歳まで続けられるのか。

なんの保証もないフリーランスなのに
先を読んで行動を起こすことが億劫になっていた。

一方で、40も半ばのおじさんに
新しいチャレンジの場など少なかった。

いくつか簡単な資格をとってみたが、
結局、それを役立てる方法はわからなかった。

資格に基づいた仕事の募集があったとしても壁があった。
収入が激減する。年齢制限にひっかかる。

「若くて、使い勝手のいい人が欲しい」

これはどの業界でも一緒なんだ、とわかってきた。

おっさんである、ということは、大先生ではない、フリーランスの私にとって
デメリットの方が多かった。

このままでは、このままだ。

いや、何年かしたら、「年齢的に使いづらい。古い」と言われる日が来てしまう。

そんな焦りの中で出会ったのが、「おっさんレンタル」だった。

1時間1000円で、おっさんをレンタルできるWEBサービスだ。

到底、利益の出るような仕事ではないが、
「おっさん」という現実と向き合うきっかけになるのでは?
と思い、参加することにした。

サイトにはいろんなおっさんが載っていた。

特技を売りにする人、経営者であることをアピールする人、
職業を売りにする人、学歴を書く人、いろんな人がいた。

就活とは違う自己PRを考え、写真を選ぶ。

「内なるおっさん」と一時休戦、向き合ってみた。

普段生活していると、「あなたもう、おっさんですよ」と言われることは
少ない。

仕事仲間でも遊び仲間でも
「まだまだですよ。年齢より若く見えます」などと言われることが多いだろう。

しかし、おっさんレンタルでは違った。

「おっさんの経験から考えたら、この悩み、どう思いますか」

年齢相応の対応が求められた。経験値、頼り甲斐、的確な受け止め。

一方で
「ほかのおっさんに説教をされて、残念な思いをした」
「おっさんなのに距離感が近くなりすぎて、困った」
などという話も聞いた。

おっさんらしく振る舞えばいい、ということではないのだ。
経験やアドバイスを求められたとしても、おしつけがましくない、
そんな態度が求められているのだ。
異性の利用者の方との距離感は特にそうだった。

おっさんが陥りがちな異性への勘違いを回避することで
第3次おっさん戦争「色欲」を避けることができた。

おっさんという存在を好意的に思ってレンタルしてくれる人も
多かったが、それだけではなかった。

からかい半分に話しかけてくる人
小馬鹿にしたような口調の人
何かに腹を立てていて、いきなり怒った口調で話してくる人

感情にまかせた利用者の方も、たまーにはいらっしゃった。

「なんでこんなこと言われなくちゃいけないんだ」

怒りの感情は、0.1秒で回避した。
プライドがヒリヒリする感じも0.05秒で回避した。

やり過ごしながら、そういう出会いを楽しむ自分がいた。

「おっさんだから知らないと思うけれど」

いちいち前置きをつけて話す人もいた。

「どうしてこの人は、こんな前置きをつけるんだろう」
好奇心の方が勝ち始めた。

第4次おっさん戦争「憤怒」との戦いを避けることができた。

年間100人近くの人に会う生活を3年続けてみると、
世間が、おっさんという存在をどんな目で見ているのかわかってきた。

すると、少々の否定的な言動にも、笑って対応できるようになってきたのだ。

と思った時、内なるおじさんは、新たな戦いを仕掛けてきた。

なんと、第5次おっさん戦争は「嫉妬」だった。

「この人、人気ある。それに比べて俺は足りないんじゃないか」

レンタルに登録しているほかのおじさんと自分を比べ始めたのだ。

自分はもっと人気出るんじゃないか。自分がほかのおじさんよりも優れているところはないか。そんな考えが頭の中をうずまき始めた。

1日3件4件と依頼の多いおっさんがいた。
ネットの取材に出るおっさんがいた。
利用した人の記事が3万リツイートしたおっさんがいた。

羨ましい。売れたい。そんな気持ちがむくむくと湧いてくる。

おっさんであることを受け入れ始めたかと思ったら、
今度はおっさんに嫉妬している自分がいた。

情けない話だ。手放したはずの承認欲求がまた。心を攻めてきた。

同じころ、本業でも、活躍してる人が羨ましい、という気持ちが芽生えてきた。

独立した同業者が「こんな仕事をしました」という記事を載せるたび、
「自分も、もっと売れたい」という気持ちが止まらなくなった。

「人は人。自分は自分。オンリーワンであればいい」
なんてきれいごとは、自分自身には言えなかった。
自分が、とても実力不足の人間に思えてきた。

なんとか、依頼を増やしたかった。
仕事で目立ちたかった。

第6次おっさん戦争「強欲」との戦いにも発展してしまったのだ。

しかし、そんな時に限って、うまくいかなかった。

レンタルの依頼を増やそうとメディアに出れば、気の利いたことが言えず。
仕事で目立とうとすると、お客様から、「目立つことよりも堅実なことを」と
求められた。

つい、自分にダメだしをして、責めたくなった。

どうにも、八方塞がりだった。

悩みに悩んだ。

後輩との人間関係も、プライドも、経験も、捨てられたけれど
比べてしまう気持ちの捨て方はわからなかった。

比べてもしょうがない、という気持ちにもなれなかった。

もう、捨てることをあきらめて、拾うことにした。

自分ができたことを、拾って、数えてみることにしたのだ。
自分がほめられたこと、感謝されたことを
指折り数えてみたのだ。

これが意外とあったのだ。
いい年をした大人なのに、数えることで
私は少し自分に優しくできるようになった。

比べる気持ちを消すことはできなかったが
抑えることはできるようになった。

もうひとつ、羨ましいときほど、素直に「すごいね」と言ってみた。

裏にあるのが、羨望や嫉妬だったとしても
前向きに口に出してみることにした。

一瞬でも、マイナスの感情に、プラスの感情で勝つ瞬間を作りたかった。

人の成功を見て、焦ったり、不安になったりすることは
少なくなった。

完全と言うわけではないが、「嫉妬」のやり過ごし方がわかってきた。

ここ10年、若い時にはあまり感じなかった
いろんな感情と戦ってきた。

歳をとれば穏やかになる、と思っていたが
そんなことばかりではなかった。

経験を重ねたことで
コントロールできるようになることもあれば
逆にそれが邪魔をすることもあった。

もやもやし、楽になり、もやもやし、また楽になり。
悩みながらも、前進したいと思う。

もっと歳をとり、社会との関わり方が変わると
また新たな向き合い方が必要になるだろう。

そんな時でも、みんなに役立ちたい。少しでも。

だから、私は今日も「内なるおっさん」と戦う。

「プライド」「怠惰」に勝ち
「色情」「憤怒」をやり過ごし
「嫉妬」「強欲」と向き合えるようになり
おっさん7つの大罪との戦いは終盤に来たはずだった。

しかし、ここにきて最近、また太り始めた。

第7次おっさん戦争「食欲」との戦いになりそうだ。

お腹はどんどん膨らんでいく。
アイデアは早く膨らまないのにな。

***

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