思いがけないことの積み重ねで、人は強くなっていく《プロフェッショナル・ゼミ》
*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
記事:松尾英理子(プロフェッショナル・ゼミ)
「先日受けていただいた人間ドックの結果で至急お知らせしたいことがあります。今日明日あたりで、病院に来ることできますか?」
今から10数年前のことになる。
35歳という節目に記念にと思い、初めて受けた人間ドックの病院から連絡が入った。
人間ドックの結果は郵送で送られてくると聞いていたのに、わざわざ病院に来てくださいだなんて。気持ちがざわつき、いてもたってもいられなくなり、不安に駆られながら病院へ急いだ。
恐る恐る病室に入っていくと、お医者さんはライトに照らされた超音波写真を見せながら説明を始めた。
「超音波検査の結果なんですけどね。腎臓の上あたりにある副腎という臓器にですね。ほら、ここに影が見えますかね。これ、直径3センチくらいの腫瘍かもしれないんですよ。悪性じゃない可能性もありますが、さすがに大きすぎるので、大きな病院で精密検査を受けたほうがよいと思うんですよね」
そして続けざまに、私に聞いた。
「どこの病院にします? 今すぐ電話で予約取っちゃったほうがよいですから。結構、込み合ってる時期ですからね。紹介状も書いちゃいますから」
お医者さんがここまで急いですすめてくれるって、相当ヤバイ状況にありそうなことだけは理解できた。でも、あまりに事務的にどんどん話が進むので、気が動転するかと思いきや、妙に冷静になり、とっさに、憧れの病院だった虎ノ門病院の名前を挙げてみると、先生は、その場で診療予約をしてくれて、3日後の診察が決まった。
その日の朝の時点では全く思いもしなかった状況になっているのに、いきなり訪れた「私、重病かもしれない」という状況に、不思議と酔っていた。「色黒で元気な子ども」として育ってきた私は、小さい頃からアルプスの少女ハイジに出てくる、クララのような女の子に憧れていたのかもしれない。身体が弱い=かわいい、という方程式が、頭の片隅にあったせいもある。
さらに大人になってからは、女子の間では「季節の変わり目は何かとつらいよね」とか「低血圧だから朝は本当につらすぎる」など、自分の身体の不調自慢なトークが頻繁に交わされるようになってきた。季節の変わり目なんて気づかず、朝も5時に目が覚めてしまう私には、不調自慢な女子トークについていけないことが多かったこともある。
そしてここで、酒呑みの私にとっては、かなり重大なことに気付いた。3日後に病院に行って「今日から即入院してください」なんて言われたら、しばらくお酒を飲めなくなるかもしれない。そう思った私は、すぐさま行きつけのビストロに予約をいれ、大好きなワインを持ち込んで飲んだ。
飲んだワインは、フルーリーという名のワイン。
ボルドーと並ぶ、フランスを代表するワイン産地、ブルゴーニュ地方の南に位置するボジョレー地区。その中でも特に素晴らしいワインを生み出す10村の一つ「フルーリー村」のワイン。
ボジョレーといえば、日本では早飲みの「ボジョレー・ヌーヴォー」が有名だけど、熟成して愉しむワインも実はたくさんある。フルーリーは、その名のごとく花のような繊細さとスパイシーさを持ち合わせている、とってもフェミニンなワイン。色は艶やかなガーネット色で、グラスを眺めているだけで「ああ、こんな女になりたい」と思ってしまうような、そんなエレガントなワイン。しかも、フランスの作家であり、小説「異邦人」を書いたアルベール・カミュが人生最後に飲んだワインと言われている。
こんな素敵なワインを愉しんだ翌日の朝、病院に向かい診察室に入ると、お医者さんは私にこう説明してくれた。
「良性か悪性か、可能性は50:50です。とにかく入院して精密検査をして見なければ何もわからないですから、1週間以内に入院できるよう手続きを進めましょう。最低1ヶ月、手術することになれば2ヶ月程度の入院になります」
会社に戻り、上司に報告すると、上司は私にこれ以上ない言葉をくれた。
「会社のことは心配しなくていいからね。仕事、ここまでずっと頑張ってきたんだから、神様が少し休養をくれたと思ってね」
その頃、2チーム対抗で進められていた社内の商品開発プロジェクトで、私の所属しているチームが負けたばかりの時期だった。いわゆる社内失職の状況で、病気になるにはちょうどよいタイミングだったかもしれない、なんて思えた。まあ、普通に考えれば、不幸に不幸が重なった状況ではある。
比較的楽観的に受け止めてくれた母と一緒に、新宿の伊勢丹に出かけ、かわいいパジャマや素敵な室内履きを選び、伊勢丹の近くにある紀伊国屋書店で読みたかった本をたくさん買いこみ、中村屋で大好きなカレーを食べて、一週間後に入院した。
その日からは毎日検査の連続。CTスキャンのように楽勝の検査もあれば、大腸内視鏡検査のように涙が止まらなくなるくらい辛い検査もあったが、2週間位あらゆる検査を受け続けていると、検査受診スペシャリストのごとく、スムーズに検査を受けるためのノウハウを掴み、先生や看護師から「そうしてもらえると、助かります」という言葉と笑顔をもらえることに、やりがいを見出したりもしていた。
検査が一通り終わった2週間後、手術日が決まった。とにかく手術をして腫瘍を取り出し検査しなければ、良性か悪性かは分からない、ということだけは変わらなかった。手術が決まってからは、内科医に加え、執刀医である外科医と二人体制で見てくれることになったのだが、この執刀医がイケメンでとっても話がうまかった。さらに大のワイン好きだったため、1日1回の回診時のワイントークがとても楽しみだったことを思い出す。おかげで、不安感なく手術の日を待つことができたのは間違いない。
結果が出るまではできるだけ最悪なことは考えずにいよう。
くよくよするだけ、もったいない。50%の可能性に賭けて、とことん前向きでいよう。
そんなことを無意識に思いながら、虎ノ門病院の病室フロアから見える東京タワーを眺めていた。富士山と同じように、東京タワーは毎日眺めていても飽きない。そして毎夜のライトアップは、後ろ向きにならぬよう私を常に励ましてくれているように見えた。
江國香織の小説「東京タワー」も読み直してみることにした。「世の中でいちばんかなしい景色は雨に濡れた東京タワーだ」という一行から始まるこの物語の舞台は、私の入院していた虎ノ門病院のあるエリアだ。主人公たちを見守る東京タワーを、ほぼ同じ場所から眺めながら読むことができるなんて。今考えると、現実逃避をすることに必死になっていたのかもしれない。
手術は7時間にも及び、無事成功。術後の苦しみは、今も忘れないほどの辛いものだった。取り出した腫瘍を病理検査した結果、良性であることが判明した。術後、私のお腹から取り出した直径5センチくらいの腫瘍の写真を見せてもらうと、それは、まるでチーズの塊。モッツアレラチーズをスモークしたスカルモッツァのような、そのいでたちにビックリした。
思えば、物心ついてから、私はほぼ毎日チーズを食べる生活を重ねていた。
30代に入ってからそのオタク度は増し、冷蔵庫に常に複数のチーズが入っていないと安心できず、チーズの作られる場所を巡る旅に頻繁に出かけ、さらに「チーズプロフェッショナル」というマニアックな資格も取り、目隠しでも、どこでどんな風につくられたチーズかがわかるくらい、ハマッていた。
勇気を出してお医者さんに聞いてみた。
「やはり、チーズの食べすぎがいけなかったのでしょうか……」
本気でそう思ったから聞いたのに、イケメン執刀医からは「そんなことあるわけないでしょ」と軽くあしらわれた。突然の宣告から退院まで2ヶ月。仕事は3ヶ月休んで復帰した。お酒が美味しく飲めるまでには、さらに1ヶ月かかったので、今思えばいいデトックス期間になったかもしれない。
普通に働けることの喜びを感じることができたのも、いままで当たり前だった友情や愛情に感謝できたのも、久しぶりに飲むお酒の美味しさに感動できたのも、全て、私の中にできた「チーズの塊みたいな腫瘍」のおかげだった。
病気の経験だけでなく、人生って思う通りにいくことなんてそうそうないし、思いがけないことのほうが断然多い。でも、そんなことの積み重ねで、人は強くなっていく。それだけは確かだ。
*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。