一本の笛と、踊る阿呆と見る阿呆《プロフェッショナル・ゼミ》
*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
記事:青木文子(プロフェッショナル・ゼミ)
「おまえは笛の音もよう出せんやろう」
家の主のおじいさんはぶっきらぼうに言った。
「吹いてみてもいいですか?」
私は、眼の前に何本か並べてある篠笛一本を手にした。
祭りのお囃子で使う篠笛。もちろん今まで篠笛を吹いたことはない。
笛を唇にそっとつけた。笛につける唇の角度を探す。指が穴をおさえる感触を確かめる。目を閉じた。息を整えて、息を吹き込むと「ピー」という鋭い音が出た。その意外な音の大きさに私が自分でびっくりした。
今から約20年前、大学3年の初夏。場所は佐渡島。日差しの強くなり始めた太陽と青空。私は大学のゼミの調査で「羽茂祭り」という祭りの調査に来ていた。
大学では民俗学のゼミに所属していた。正確に言えば所属していたわけではない。自分の学科ではなく、隣の学科の民俗学のゼミにもぐりこんでいたのだった。3年生になって、自分の学科で選んだのは農村社会学のゼミだった。農村に泊まり込んで実際に暮らしている人に話を聴く。農産物の生産高をしらべる。それをひとつづつ記録して積みかねて論文を書く。人に聴いて歩く。事実を実際に現場でみつけていく調査の仕方をフィールドワークという。人から話を聴くことが好きな私はフィールドワークにハマった。
そこで考えた。「フィールドワークをもっと学びたい! もっとフィールドワークをやらせてくれるところはないかな」
自分の学科の今年の調査はもう終わっていた。次の調査は1年後。だったら他の学科はどうだろう。ちょうど隣の学科に民俗学のゼミがあった。民俗学はまさにフィールドワークの学問だ。
「フィードルワークをやりたいんです」
私はその民俗学の先生に頼みに行った。
「おう、いいぞ」
学科をまたいでゼミに入ることは基本出来ない。それでもそのゼミの先生はあっさり許してくれた。
「俺が学生のころもあちこちのゼミにもぐったもんだ。もぐりのゼミ生になればいい」
ゼミの先生は笑ってそう言った。
その民俗学のゼミの調査は佐渡島の祭りの調査だった。佐渡ヶ島北部の羽茂地区に残る「羽茂祭り」というお祭りの調査。ゼミにもぐりこんだ私は念願かなって2週間のフィールドワーク調査についていくことになった。東京から新幹線で新潟へ。そこからフェリーに乗って2時間半フェリーに乗ると佐渡ヶ島だ。集落に調査のために到着したのは「羽茂祭り」の10日ほど前だった。そこから集落の家を学生が一軒一軒、祭りについて聞き書きのフィールドワークをして回る。私もゼミ生に混じって、一軒一軒の玄関のドアベルを鳴らして話を聞いて歩いた。
「羽茂祭り」の特徴は「つぶろさし」という神楽だ。村の中のいくつかある集落が、集落ごとにすこしづつ異なった「つぶろさし」を舞う。「つぶろさし」の基本的な形は二人の舞い手。それぞれひょっとこのお面とおかめの面をつけている。羽織るのは女物の派手な長襦袢。男役のひょっとこはタスキがけして着物の裾をからげる。ひょっとこが手に持つのは木で作った1mもある大きな男根。おかめが手にもつのは「ささら」という棒と棒をこすりつけて音を出す楽器。そして太鼓、笛、鉦のお囃子が入る。
おかめは「ささら」を鳴らしながらひょっとこを誘うように腰を振りながら舞う。ひょっとこは木で作った男根を手で擦りながらみせつけるように掲げて舞いを舞う。つまり「つぶろさし」は性行為を模した神楽だ。エロとかエッチともいえるけれど、古代から性行為は豊穣のシンボル。祭りや飾り物で性行為を模したものは、ひと粒の籾からたわわに稲穂が実りますように、沖に出た船が大漁帰ってきますようにという祈りの表現なのだ。
調査がはじまって何日か経ったころ、ある集落のはずれの一軒の家に行った。
「あの~、大学の民俗学調査で来たんですが、お話聴かせてもらってもいいですか?」
「調査の学生さんですよね。よかったらどうぞ、どうぞ」とその家の奥さんに進められて部屋にあがった。その家は平屋で、おじいさんとその奥さん、そしてその息子さんが住んでいた。
通された部屋を見回すと、床の間には何本もの笛が置かれてあった。机の上には作りかけの笛が置いてある。
「あ、篠笛ですか」
部屋の中にはあちこちに置いてある笛をみて、私が言った。
「音も出せんやろう」
そう言われてムキになった気持ちもあって手にした篠笛。
何かの気まぐれだったのに音が出た篠笛。
その音を聴いておじいさんがぎょろりとこちらをみた。
「お前、笛をやっとるんか?」
「いえ、篠笛ははじめてです。大学で南米のケーナっていう笛を吹いているんです。だからきっと音が出ただけで」
私は、慌てた。さっきまでのムキな気持ちはあっという間に消えた。偶然に出た笛の音をかき消すよう、顔の前で手を振って否定しながら、そう言った。
「そうか。それだけ音がでれば充分や。今から練習や」
それだけ音がでれば充分って? 練習って何のこと?
「ちょうど笛の吹き手がおらんのや。今からお囃子を教える」
「つぶろさし」では、神楽として笛、太鼓、鉦がお囃子を奏でる。この集落では、お囃子の笛の吹き手が少なくて困っていたらしい。しかし、しかしだ。吹き手が少ないからといって、大学のゼミの調査で来た、ちょっと笛の吹ける大学生を即席のお囃子の吹き手にしようとするなんて、無謀な。
そんな私にお構いなしに、私の手に押し付けるように一本の笛が渡された。
「とりあえず、この笛をつかえ。できそこないの笛や」
次の日からなりゆきでお囃子の練習が始まった。お祭りまではあと3日。お囃子の笛を私に教えてくれるのは、そのおじいさんの息子さん。私はおじいさんのことを笛師匠、息子さんのことを若師匠と呼ぶことにした。
「若師匠、そんな3日間でお囃子覚えるなんて無謀ですよ」
「親父がもう祭りのお囃子では笛を吹かないからな。笛の吹き手がおれ一人しかおらんのや」
このおじいさんがこのあたり一番の笛のつくり手だということ、かつて「つぶろさし」の笛を吹く名手だったということを若師匠から聞かされた。
もちろん、断ればよかった。大学の調査で来ているのだから。でもなぜか断れなかった。おじいさんの勢いにのまれただけではなかった。断りたいけれど断らなかったのはなぜだかはわからない。結局、そこから3日間は調査そっちのけで篠笛の練習にあけくれることになった。
丸一日練習して、調査の宿舎にしている民宿にもどってくるとへとへとだ。何しろ笛のお囃子には楽譜がない。短いフレーズごとに、目の前で吹いてもらってそれを写し取るように吹けるように覚えていくしかない。当然祭りの調査は進まない。ゼミの先生に泣き言を言った。
ゼミの先生は笑いながら言った。
「お前、祭りの調査にきて、自分がお囃子で笛を吹いてるなんて、前代未聞だ」
「なかなかできる経験じゃないぞ。良いじゃないか」
良い経験じゃないですよ、助けて下さいよ。私、民俗学で祭りのフィールドワークの調査に来てるんです。ちょっと笛の音が出たからと言って、なんでこんなところで笛を吹くことになっちゃったんですか。そもそもお囃子をやる、なんて一言も言ってないですから。
3日間の特訓の末、なんとか一通りお囃子をふけるようになった。祭りの何日か前から地区の集会所で「つぶろさし」の練習が始まっていた。練習している「つぶろさし」の神楽を見に行った。「つぶろさし」の舞の話は聞いていたし、写真も見ていた。けれど、実際にはじめて見て慌てた。ひょっとこが木の男根を振り上げているなんて。ちょっと待って。私、あの後ろでお囃子を吹くの? 一応私、女子大生なんですけど。そんな言葉を半泣きで心でつぶやいてみても当然、誰にも届かない。
「おーい、笛の練習するぞ」
知ってか知らずか、若師匠が呼びに来る。
お祭りの当日になった。
他のゼミ生たちはそれぞれのテーマでお祭りの様子を調べたり、見て回っている。その中で私ひとりお囃子の準備をする。
「つぶろさし」はまず神社で舞いの奉納をする。神社での奉納のあとは門付けだ。門付けとは、集落の一軒一軒をまわって、玄関先で神楽を舞うことだ。門付けししてもらうことは予祝をしてもらうこと。福を授けてもらうこと。門付けしてもらった家はお酒をふるまったり、ご祝儀を渡したりする。
門付けから私はお囃子に入った。
横目で若師匠の吹くのを見ながらなんとかお囃子を吹く。ここまでくると私自身は恥ずかしさよりもお囃子をちゃんと吹くので必死だ。「つぶろさし」を舞うのは集落の男衆。ひょっとこ役もおかめ役も男性が務める。最初はおごそかに舞っている舞も、だんだんと門付けの振る舞い酒が入ってくるにつれ、足取りが怪しくなってくる。神社の奉納では格式の高い舞だったはずの「つぶろさし」がだんだんとそうでなくなってくる。それにつれて、舞も卑猥になってくる。どんな舞いになるかは想像にお任せするが、観客は面白そうにそれをみて指を指して笑い出す。もちろん大人も子どもだ。あの天岩戸の前でストリップしながら踊ったアマノウズメノミコトをみて神々が大笑いした場面もこんな場面だったのかもしれないと思う。
舞いの人もお囃子の人も酔いが回ってくる。舞もアドリブになり、お囃子の人も酔っぱらい、そのうちに太鼓の人が道端でつぶれ、鉦の人が介抱され、最後は若師匠と私の二人の笛だけがお囃子に残った。
祭りが終わった。長い一日だった。宿舎の民宿にもどる帰り道。日はまだ明るかった。身体はつかれていたけれど、やりきった感があった。なんだかよくわからない爽快感だった。あれ? 私、泣き言をいったりしていたけれど、この気持ち良さはなんだろう?
ゼミの調査も明日で終わりになる日。笛師匠に挨拶に行った。
「根性なしかと思っとったが、まあ、頑張ったな」
相変わらずぶっきらぼうな笛師匠だった。
「お前に渡した、あの笛を返せ」
祭りの当日、そのまま持ち帰ってしまっていた笛。あの笛、くれるわけじゃないんだ、そう思いながら言われるままにあの笛を出して渡した。笛師匠はそれを受け取った。立ち上がると、部屋の奥に消えた。そしてほどなくして、別の一本笛を手にして戻ってきた。
「あの笛はできそこないや。お前にはこの笛をやる」
「この笛は最近では一番の出来や」
「褒美や。おまえは笛を吹く側の人間だ」
え? 褒美? もらっていいの?
なんと答えていいかわからず、目の前に差し出された笛を受け取った。なんだか上手くお礼も言えなかった。笛を吹く側の人間だ、というのはどういう意味の言葉だったのだろうか。今はもう確かめることもできないけれど、ちゃんと聞き返せばよかった。
「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃそんそん」
同じ祭りにいるのなら、踊るのも阿呆、見るのも阿呆。どうせ同じなら、踊る方を選べという阿波おどりの言葉だ。人にはそれぞれの場所がある。それぞれの役割がある。踊る側の阿呆を選ぶ人もいれば、見る側阿呆を選ぶ人もいる。笛を吹く側というのはさしずめ踊る側の阿呆ということだろうか。
「プレーヤーであれ」という言葉がある。プレーヤーは傍観者でなく「何かをやる側を選ぶ人」だ。人生の中で笛を吹く側を選ぶこと。それはプレーヤーであることを選ぶこと。あの「つぶろさし」のお囃子で一日の笛を吹ききった後に感じた爽快感。それはプレーヤーであることを選んだからだったのかもしれないと振り返って思う。
家の机の引き出しには、今もあの笛がしまってある。
もうあのお囃子は忘れてしまって吹けないけれど、時折、笛を取り出して手にとる。笛を手にするたびに思う。私は笛を吹く側に立てているだろうか、踊る阿呆を選んでいるだろうか、と。そしてふと思うのだ。「お前は笛を吹く側の人間だ」というあの言葉。あの言葉は、ぶっきらぼうだった笛師匠の最高の褒め言葉だったのかもしれない、と。
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