プロフェッショナル・ゼミ

ブックカバー愛から考える、新しい本屋の楽しみ方《プロフェッショナル・ゼミ》


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記事:中村 英里(プロフェッショナル・ゼミ)
 
アニメイトで漫画を買うと、透明のブックカバーがもらえるのを、知っているだろうか?
 
たしか、小学生くらいの頃だから、いまから20年ほど前の話にはなるが、その頃CLAMPという4人組の女性漫画家の漫画にハマっていた。
 
『魔法騎士レイアース』『カードキャプターさくら』などを描いた人、といえば、同年代の人には伝わるだろうか。
 
有名どころの作品はふつうの本屋にもあるが、CLAMPは作品数がめちゃくちゃ多く、活動歴も長いので、昔の作品を読んでみたいなぁと思っていた。
 
今だったらネットで買えばいい、という発想になるが、ネットで買い物をしたことがなく、そもそも小学生だったからクレジットカードも持っていなくて、漫画の品揃えが豊富なアニメグッズ専門店・アニメイトに、友達と一緒に足を運んだのだ。
 
通常の本屋よりもやはり品揃えは多く、見たことのないタイトルのCLAMP作品がたくさんあった。
 
すごいね! あれもこれも読んでみたい! と、友達と一緒にはしゃいだが、小学生の少ないおこづかいでは、そんなにたくさんは買えない。
 
今と違ってスマホもないし、家のパソコンもろくに使ったことがないので、事前に本のレビューを調べてから買う、なんて発想もない。
その場で本をパラパラめくってみて、じっくり吟味してから、レジに向かった。
 
そこで、透明のブックカバーと初対面した。
 
本好きの両親の影響で私も本はよく読んでいたから、本屋で買ったときに紙のカバーをつけてもらえることは知っていたけれど、透明なものは初めて見たので、びっくりした。
 
アニメ好きの友人に聞いてみたら、漫画もコレクション的感覚なので汚したくない、でも表紙のイラストを楽しみたい、という両方を満たしてくれるのが、透明なブックカバーなんだそうだ。
 
私は、「本が好き」とは言えるけれど、「漫画が好き」と言うことには、なんとなく抵抗があった。
子どもじみている? オタクっぽい? などと思っていたから。
 
だから、イラストもタイトルもばっちり見える、透明なブックカバーに衝撃を受けた。
 
透明なカバーからは、「私はこれが好きなの! だから見て見てほらこれぇぇ!!」と堂々と表明しているような、ある種のすがすがしさを感じた。
 
好きなものを隠す必要なんてない。
本を読むのがえらくて、漫画は子どもが読むものというものでもない。
それなのに、勝手に優劣をつけていた自分を、恥ずかしく思った。
 
そして時はたち大人になって、電車に乗るようになってから気づいたのだが、電車の中で本を読む人の多くは、ブックカバーをつけている。
 
もちろん、汚したくないとか、そういう意味もあるのだろうけれど、何を読んでいるのかを隠したい、という気持ちでカバーをつけている人のほうが多いのではないだろうか。
 
でも、ふと疑問に思う。
どうして、読まれている本を、人に知られたくないんだろう?
 
そこで思い出したのが、『彼氏彼女の事情』という漫画のワンシーン。
 
ちやほやされたい! という理由で、優等生でおとなしい美少女、というキャラを演じている主人公の女の子が、『マディソン郡の橋』のカバーを上につけて、実際はお笑いの本を読んでいる、というシーンがあった。
 
中庭でひとり静かにラブロマンス小説を読む主人公を見て「素敵だ……」なんて言いながら、まわりの男子学生はうっとりと眺めている。
読んでいる本で自分のイメージをコントロールしようとした主人公のねらいは、見事成功したというわけだ。
 
私は本屋でほかの人がどんな本を手に取っているのかを見るのが好きなのだが、職場の人とうまく付き合う方法、なんて本を読んでいる人がいたら「人間関係がうまくいってないのかな」と思うし、残業した日にも手軽につくれるレシピ集、みたいなのを手に取っていると、「仕事が忙しい人なのかな」と思う。
 
スーツ姿の男性が女性ファッション誌を読んでいたり、逆にいかにもファッション誌を読みそうなキラキラ系のOLの女性が『PRESIDENT』とか『週間ダイヤモンド』を読んでいたりしたら「意外!」と思う。
 
つまり、読んでいる本と、読んでいる人を照らし合わせて、その人がどんな人なのかを、無意識のうちに想像しているのだ。
 
本棚を見ればその人がわかる、なんて格言もあるので、読む本がその人自身をあらわすというのは、きっと多くの人が持っている考えだろう。
 
だから、カバーで隠すのだ。
何を考えているのか。何に興味があるのか。自分が、どんな人間なのか。
それを人目にさらしたくないから。
 
自己主張が苦手で、奥ゆかしさを良しとする日本人らしい感覚だ。
実際、海外ではあまりブックカバーという文化はないらしい。
 
ブックカバーを付けない人もいるが、そういう人はなんとなく、人目を気にしない、自分の主張がはっきりしている人が多い印象だ。
 
ブックカバーを付ける・付けないで、その人の性格を想像するのは、少々乱暴な気もするが、あながち外れてもいない気がする
 
さて、私はどちらなのかというと、「ブックカバーを付ける」タイプである。
 
ここまでの流れでいうと、読んでいるものを知られたくないからだろう、ということになるが、カバーをつけるタイプの中には、「隠したい」以外の種類の人間もいる、ということをここで提示したい。
 
私は、カバーそのものが好きなのだ。
 
ブックカバーだけではなくて、スマホのケースやiPadケース、手帳のカバーなど。もっというと、ポチ袋とか封筒とか風呂敷とかも好き。
”包むもの”がとにかく好きなのだ。
 
最初に手にしたブックカバーは、母親からもらった茶色い革のブックカバー。
 
本好きの母が気に入って使っていたものだったが、使い込んだ革の風合いがきれいで、大人っぽくてかっこいいなと思っていて、欲しい欲しいと言っていたらくれた。多分中学〜高校生くらいだったと思う。
 
社会人になってビジネス書を読むようになってから、そのカバーはよく使っていた。
名刺入れもペンケースも茶色い革で統一していたので、そこに茶色いブックカバーが並ぶと、統一感が出る。社会人になりたてのお子ちゃまだった私はそれを見て「大人っぽい」と満足していた。
 
革のカバーはかっこよかったのだが、重かったのと、好みも変わってきたところで、布のカバーをつけるようになった。
いろんな柄・色のものを集めて、その日の服やカバンに合わせて変えたりして、楽しんでいた。
 
最近は、物を減らしたいという思いから、電子書籍で読むことも多くなったのでカバーを付ける機会も減ってしまい、カバーもだいぶ処分した。(本屋のメディアで電子書籍とか言ってすいません)
 
だが、紙の本を読むときには、処分せずに残してあるものの中から選んで付けるのが楽しみでもある。
 
でも、だからと言って本屋で「カバーを付けますか?」と聞かれても、断るわけではない。
なぜなら、本屋でもらえるオリジナルの紙のブックカバーも、好きだから。
 
どのくらい好きなのかというと、「ブックカバー/本屋」で画像検索すると、ブックカバーのデザインがたくさん見られるのだが、「あぁこれいいよね! お、こっちもオシャレ〜!」などと独りごとを言いながら、その画像をつまみにビールを呑めるくらいには、好きである。
 
ロゴがただ並んでいるようなものや、ワンポイントだけのシンプルなものも多いが、本屋によっては凝ったデザインのカバーもある。
 
たとえば、上野にある「明正堂書店」。
 
けしごむハンコをポンポンポン! と6つ並べて押したようなデザインで、春夏秋冬それぞれのモチーフと、「上野」をあらわす五重の塔と、「明正堂書店」をあらわす本のモチーフが描かれている。
 
季節ごとのモチーフは、春は駒、夏はカニ、秋は栗、冬は雪うさぎ。これがめちゃくちゃかわいいのだ。
 
あとは、「あゆみBOOKS」のブックカバーも素敵だ。
 
カバだかくじらだか、なんだかよくわからない動物が花からにょきっと生えているイラストとか、象が積み重なっていて、その体内に小鳥がいるイラストとか……。
 
私の語彙力ではその魅力を伝えきれない、カオスティックかつアーティスティックで繊細なイラストが描かれているのだ。
 
調べてみたら、有名なイラストレーターさんとデザイナーさんがつくったもので、「書皮大賞」なるものも受賞しているそう。
 
(※「書皮」とは、本屋でかける紙のカバーのこと)
 
そんな賞が存在するということは、やはり本屋のブックカバーの愛好家は一定数いるのだな、と思う。
 
そして、忘れてならないのが「天狼院書店」のカバー。
天狼院のメディアに載る文章だから一応書いておこう、というわけではない。
 
数々のブックカバーを見てきた中でも、かなり「異質」だったのだ。
だから、語らずに済ませるわけにはいかない。
 
「カバーはお付けしますか?」
と店員さんに言われたときに、カウンターの内側にあるカバーが目に入った。
 
真っ黒で、厚みのある紙。
それは、これまで見てきたブックカバーとは、明らかに違った。
 
その場では何気ないふうを装い、「お願いします」と言ったが、本を受け取るときの手触りが、もう私が知っている「本屋さんのブックカバー」とは違っていて、テンションがあがった。
 
家についてカバンから本を取り出して、まずはカバーをじっくり眺めた。
最初に触れたときに思ったのが、「これお金かかってそうだな」というもの。
 
ふつう、本屋の紙のカバーは、茶色っぽくて、ぺらっとした薄い紙であることが多い。中には、表紙が透けて見えるほど薄い場合もある。
 
だが、天狼院書店のカバーは、真っ黒だ。
さらっとしたマットな手触りの紙は、しっかりとした厚みがあり、ぜったいに表紙が透けたりはしない。
そして、ワンポイントで、天狼院書店のロゴが入っている。
かっちょいい〜、とうっとりした。
 
紙のことには詳しくないが、ペナペナのわら半紙のようなブックカバーと比べたら、かなりお金かかってるだろうな、と感じた。
 
イラストレーターやデザイナーを入れたり、いい紙を使ったりしたら、その分お金は余計にかかる。
しかも、そこにこだわったからといって、目に見えて売り上げがぐんと上がるわけでもない。
 
だからこそ、本屋で素敵なブックカバーを見つけたときに、ときめくのだ。
「本を売る」ところ以外にも、こだわりを持っている本屋だと、感じるから。
 
天狼院のブックカバーの異質さは、天狼院そのものを表現しているように思う。
 
「READING LIFE」という、本だけではなく、その先にある「体験」までを提供する、新しい形の書店。
 
書店なのに、イベントやら部活やらがあるし、Wi-Fiも電源もあるからPC作業にも使えるし、カフェメニューも充実している。
 
お酒もあるから、会社や家が近い人は仕事帰りにちょっと一杯、なんて使い方もできるだろう。
 
私が行くのは「東京天狼院」だが、個人的には、よなよなエールや水曜日のネコなどの、クラフトビールが置いてあるとこがポイント高い。ビールが好きなもんでね。あと、パニーニも食べたけど美味しかった。ごはんメニューももっと制覇したい……。(メニューは時期によって変わるかもしれません、悪しからず)
 
気づいたら、本を買うつもりがないときも、天狼院に行きたいと思っている自分がいる。
 
「本屋」は、本を買うときに行く場所。
そんな前提をすっ飛ばしている天狼院書店のブックカバーは、やはりほかの本屋と同じような、ペナペナの紙じゃ、ダメなのだ。
 
ネットで買えば翌日に届くし、電子書籍もある。
 
でも、本屋には「本を買う」以外の楽しみ方も、あるんじゃないだろうか。
 
それはブックカバーでもいいし、店頭のPOPだったり、本の積み方が芸術的だったり、本屋独自の特集コーナーがあったりとか、店によっていろんな特徴がある。
 
仕事と日常の間にふらりと立ち寄れる、第三の居場所――サードプレイスが、私にとっては本屋だった。
 
最近ネットでしか本を買ってないなぁ、という人はぜひ本屋に足を運んでみてほしい。
 
本屋がなくても、生きていける。
でも、日常の一部に本屋がある生活は、とてもいいものだから。
 
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