プロフェッショナル・ゼミ

ようこそ、秘密の学校へ《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:相澤綾子(プロフェッショナル・ゼミ)
 
「今年も赤組、白組を応援するために、うんどうかいくんがやってきてくれました! みんなで大きな声で呼びましょう。せーの!」
「うんどうかーいくーん」
進行係の女の子がたどたどしいながらも、ヒーローの登場を告げると、子どもたちが声を出す。よく聞き取れないけれど、女の子のマイクを通した声と重なり、なんとなくそんな風に聞こえる。
すると、赤と白の帽子をかぶり、ゴーグルをつけ、赤と白の衣装をまとった何者かが、グラウンドに走って登場してくる。紅白帽子の白布と赤布を左右に開いて、ウルトラマンのように頭の上につばを立てている。「うんどうかいくん」だ。そのまま小さいグラウンドを連続バック宙で横切る。会場から自然と歓声が沸き起こる。最後はひと際高く飛び上がって回り、見事着地。水泳用のゴーグルをつけていることを、少しも感じさせない。完璧な動きだった。割れんばかりの拍手がしばらく鳴りやまない。子どもたちの一人が列を飛び出し、うんどうかいくんの後を追いかける。それを先生が止めようと慌てて走り出し、会場の笑いを誘う。
 
ここは、ごく一部の子どもたちしか通えない学校、特別支援学校だ。知的に遅れのある子たちと、身体の障害も持っている子が通っている。
この学校に入るためには、いくつかの方法がある。我が家のように最初から特別支援学校に入れたいと思っている場合は、小学校に上がる前の年の春のうちに最寄りの「教育センター」で就学相談をして、秋になったら特別支援学校での面談をして、決定通知を待つ。そうでなければ、秋に一斉に行われる就学前診断に参加し、その時に受ける診断の結果で、特別支援学校に行くか、普通学校の中の特別支援学級に入るかを勧められるのだ。
息子の知的な遅れは、なかなか重かった。家族の中でも、1歳半違いの弟にはすぐに抜かれた。5歳下の妹も先におしゃべりをするようになった。帰宅して、みんなでお風呂に入っている最中に、妹が話し始めたことに気付いた息子は、驚いたような表情で見ていた。しばらくすると笑顔なくうつむいた。落ち込んでいるように見えた。
「ついにアイツも話せるようになっちゃったのか……」
そんな風に考えているような気がした。別に話せないからといって、色んなことを理解していないというわけではない。1歳半くらいのことしかできなくても、心もそれくらいというわけではないのだ。特別支援学校なら、息子のことを理解してくれると思って決めていた。
たまに息子はどうしても行きたがらない場所があるので、それだけが心配だった。そうなると座り込み、手を引っ張って行こうとしても全力で拒絶する。ダメだったら、他の市の特別支援学校を試すことになるのだろうかと考えた。秋の学校での面談のため、初めて連れていくと、嫌がることはなかった。手をつないで素直に廊下を歩き、階段も昇った。私はほっとした。
面談の中で、高校に入る時には試験があると聞いてどきっとした。
「入れないこともあるんですか?」
私は就学相談の先生に尋ねた。
「そうですね……なんとも言えませんが、今まで落ちた生徒さんはいませんよ」
まあ、多分、大丈夫ということなんだろう。
まだおしゃべりの練習もトイレトレーニングも途中の子を受け入れてくれるところがあるんだ、と思うと、ありがたくてたまらなかった。息子も学校が気に入ったようだし、一番手のかかる児童にはなるかなと思ったけれど、大丈夫だろうと思った。ここで高校まで過ごすことができる。
 
入学式は、人の多さに圧倒されたのか、入場前に並ぶ時から、緊張して泣いていた。私がその頃彼のブームだった、「いっぽんばしこちょこちょ」を繰り返しやると少し落ち着いた。私が彼の左手で一本橋をやると、クラスメートになる女の子が右手に一本橋をやってくれた。同じ特別支援学校の子どもといっても、色々いるのだ。
入場の時になると、さすがに手遊びを続けるわけにはいかないので、やめると、また泣き始めた。歩こうともしないので、私は仕方なく、息子を抱いたまま入場した。
1年生各クラス6人、3クラス、計18人。他の17人の子たちは全員、保護者に手をひかれて歩いていたし、着席してからも泣いたりすることはなかった。でも彼は、体育館の床に座ったまま、泣き続けていた。膝に座らせようとしたけれどダメだった。声には出さずに手だけで一本橋をやってみたけれど、効果がなかった。
やっぱりここでも一番なんだなあと思った。一番支援が必要な子という意味の、一番だ。
入学式がとても長く感じた。壁に貼り付けられた式次第と進行を見較べながら、あとどれくらいかかるのだろうかと考えた。ふと、私は、彼が脱走しようしていないことに気付いた。ここにいなくちゃいけない、ということが分かって、泣きながら耐えているのだ。
入学式には全在校生も参加していた。在校生の中には、ヘッドフォンをつけて、ぴょんぴょん飛び跳ねている子がいた。中学生くらいだろうか。ずっと飛び続けていた。ここは色んな子を受け入れてくれるのだ。うちの子もちゃんと受け入れてもらえるのだ。
入学してからも、終業式などの式典の最中に居眠りしたりもするらしい。本当に眠くて寝ているのか、嫌だから寝てしまっているのかよく分からない。
先生にその話を聞かされた時、私はつい言った。
「入学式の時は泣いていたのに、寝るなんて、大分慣れてきましたね」
先生は、はっと思い出したような表情になった。
「そうでしたね。慣れてくれて良かったです。本当に成長しましたね。」
当然のことながら、学校の授業は普通の学校とは全く違う。一クラス6人の児童に担任は2名、うちの子のクラスは介助の先生が1名入っている。工作など、みんなで同じことをする時間もあり、それぞれに合わせた内容をすることもある。息子の場合は、みんなで同じことをする時には、介助の先生がマンツーマンで面倒を見てくれる。個別の時は、簡単な型はめや、手先を器用にするための練習が中心だった。
夏になると、毎日のようにプールか水遊びがある。息子は水遊びが特別好きだったけれど、他の子もそういう感じなのかもしれない。
 
運動会も午前中で終わる。中学と合同で、個人競技、団体競技、応援合戦、選抜リレー、全体でのダンスとシンプルだ。たくさんのボランティアも参加してくれる。団体競技と応援合戦の時に、ヒーローの「うんどうかいくん」が登場して会場を沸かせてくれる。
1、2年生の個人競技は、10メートル走だった。ゴールまで短い距離なのだけれど、なかなかまっすぐ走らない。立ち止まったり、変な方向に走ったり、色んな子がいる。特に1年生はそんな感じだけれど、2年生になると、全体的に競争という雰囲気になってくる。
息子も2年生になった時には、ゴールまで走ることができた上に、1等賞を取ることができた。グループは個性によって分けているらしく、のんびりした戦いになるグループと、熾烈な戦いになるグループと色々だった。もちろん彼はのんびりした戦いのグループだった。
それでも、彼は半分過ぎた辺りから急に本気を出してゴールに向かって走り出した。
先生が毎日書いてくれるおたより帳には、
「練習の中でも1等賞のメダルを使うようにした日から、毎回ラストスパートをかけて1位をとるようになりました」
とあった。少し、偶然じゃないかな、と思っていた。けれども、本番を見た時に、本当にメダルが欲しくて頑張ったんだということが分かった。最初はぱたぱたと走っていたけれど、途中から本気を出して追い上げて、テープを切った。メダルを首からかけてもらい、ニコニコと嬉しそうだった。私も嬉しくてたまらなくて、その後一週間くらいは、何度もその時の笑顔を思い浮かべた。
3年生の今年はトラックを回るようになり、距離も50メートルくらいになった。彼は途中でやる気を失い、脇道にそれたりしたけれど、駆け寄ってきてくれたボランティアと先生に誘導されて、何とかゴールした。
4年生の方はきちんと走れている子が多かった。ひょっとしたら来年はもう少し戦意が湧いてきて、頑張れたりするかな、なんて想像した。
 
この学校のイベントで私がもう一つ大好きなのが、秋の文化祭「いちょうまつり」だ。
この時は、子どもたちは、先生たちの手作りの遊び場「いちょうランド」で遊べる。ローラー滑り台やボールプール、ハンモックなど、先生たちが廃材などを利用して、工夫して作った遊び場は、児童やその兄弟、遊びに来た子どもたちでいっぱいになる。息子も楽しそうに笑っているし、弟も妹も走り回って汗だくになっていた。
重複学級の子どもたちの演劇の上映会もお気に入りの一つだ。重複学級とは、身体の障害も持っている子どもたちのクラスのことだ。事前に録画したものを、体育館で上映する。最初の年に見た「おむすびころりん」は衝撃的だった。細かなシーンに分けられて、ある子などは、おじいさんがおむすびを転がすところを演じた。その子はまひがあり、車いすにのっている。その子の前にはパイプを半分にしたものが斜めに置かれている。彼女はおむすびを持った手をその一番上辺りまで持っていく。ぎこちなく手を開き、おにぎりがパイプの上にちょうど落ちる。そうするとそのパイプの上をおにぎりが転がっていくのだ。先生が設置したパイプの傾きが絶妙で、本当にころころころころと転がって行った。
先生たちは、子どもたちがどんなことをできるかをよく観察し、役割を考え、何度も一緒に練習して、その動画を完成させているのだ。どの子も練習の成果を出すことができて、誇らしげだった。
 
ここはとても幸せな場所だ。じっくりとそれぞれの能力や個性に向き合ってもらえて、それぞれができることを少しずつ伸ばしてもらえる。
でもずっとここにいられるわけではない。いつか会社なり、就労施設なり、デイサービスなり、それぞれの形で社会に出ていくことになる。その時に必要となる力をつけるための場所なのだ。息子もここを卒業しなければいけない。でもその時には、さっきよりも今、昨日よりも今日、先月よりも今月、去年よりも今年になってできる喜びを知ることができていると思う。それが毎日の積み重ねの原動力になるのだ。
担任の先生たちは、
「息子さんはとても賢いですね。飲み込みが早いですよ」
と言ってくれる。本当かな、みんなにそう言うのかな、と思っていたけれど、年3回ある面談の度に言われると、だんだん信じたくもなってくる。おしゃべりもトイレトレーニングもまだまだ練習中だ。でもそんな風に言ってくれるのだ。
ぱっと見ただけでは昨日と変わらないように見えるけれど、多分、ちょっとした反応から、息子の頭の中や心の中を、きちんと見てくれている。形としてできるようになっていなかったとしても、理解しているのか、やろうとしているのか、そういうことを見極めて、評価してくれる。
本当は誰にだって、こういう時期が必要なのかもしれない。
社会に出ていくと、結果が重要という場面がたくさんある。一生懸命頑張って、あと少し頑張れば成功していたかもしれないとしても、成功していなければ全く頑張らなかったのと同じ評価しかされない。
もちろん、周りの優しい人たちが気付いてくれて、頑張ったことを理解してもらえることもあるだろう。でもそれだけでずっとよいわけではない。いつかは成功しなければいけない。
でもその「あと少し頑張る」ということをできるようにする原動力は、小さな成功体験から得られる喜びをたくさん集めることなのだと思う。それがまた頑張れるという自信に、そして、生きる力になる。
私も、息子の頭の中や心の中をしっかりと見ていきたい。そして、弟や妹のことも、同じように見守っていきたい。子どもの間に、たくさんそういうことに気付いて、口に出して認めてあげたい。そして、大人になった時に、毎日じゃなくても、平均すれば「生きていて楽しい」、「生まれてきて良かった」と思えるようになってくれたら嬉しい。
 
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