大人の夏休みに切なさを感じる理由
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:濱田 綾(ライティング・ゼミ平日コース)
いつ頃からだったろう。
もう物心がついたときには、我が家には、ある習慣があった。
お盆に親戚が集まって、わいわい、がやがやと食事をするのだ。
田舎ならではの光景。
長いテーブルをいくつも並べて、たくさんのごちそうとお酒が、ところ狭しと並ぶ。
お寿司だったり、焼肉だったり、食べきれないほどのオードブルだったり。
時には、子供用にかき氷機があったり、アイスクリームを作る機械があったりもした。
さながら、レストランのバイキング会場のようだ。
子供のころは、大勢で集まって食事をするこの機会は、とてもワクワクした。
ごちそうが並ぶというワクワク感と、夏休みの解放感とが混ざり合って、特別感を醸し出していた。
それがいつ頃からだったか。
なぜか、切なさを感じるようになった。
「長旅をよう帰ってきたねぇ。子供たちもみんな大きくなって」
懐かしさを感じる口調が心地いい。
今年の夏もふるさとへ帰ってきた。
迎えてくれた玄関には、変わらず孫たちの写真が飾ってある。
でも、その写真の中のみんなは、今と比べて幼い。
懐かしさを感じるとともに、何だか少し違和感を感じた。
その違和感の答えが分からないまま、夜には恒例の宴会が始まった。
「綾も頑張ってるんやなぁ。大変なこって」
テーブルには、相も変わらず、食べきれないほどのごちそうが並んでいる。
宴会が進むにつれて、話題は色々な方向に広がる。
少しずつ大きくなっている孫たちのことや東京での暮らしのこと、仕事のこと。
親戚中で、私の職場をインターネットで調べようとしたり、ホームページに顔写真が載っているのをみて喜んだりしている。
なんて親ばかなんだろうなと思う反面、心配をかけているなと思う。
何だかむずむずとするような、気恥ずかしさを感じる。
今までとそう変わらない、いつもの光景。
けれど、テーブルの上のごちそうはあまり減っていない。
そういえば、お酒の減りも遅くなったような気がする。
孫たちの賑やかさで目立ってはいないが、宴会自体の時間もずいぶん短くなった。
そして、みんな小さくなったように感じた。
「ほな、またね」
宴会もおしまいになり、いつもと変わらない帰りの挨拶。
でもなぜか、鼻の奥がツンとする感じがした。
みんなが帰ったあと、たくさん残ったごちそうたちを見ながら、ふと思う。
ああ、違和感はこれだったんだ。
いつもたくさんのごちそうがあるけれど、こんなに残ることは、そうない。
みんな食べなくなったなぁ。そして年を取ったなぁと。
子供のころと変わらない光景。
でも、確実に時間が流れているんだという実感。
背中も見るたびに小さくなっているように思う。
写真の中の孫たちが幼いのは、私が頻繁に連絡をとっていなかったから。
少しの後ろめたさと、ここには、また今の私とは違う時間が流れているんだなと感じる。
そう、小さなころからずっと見守ってくれていた場所。
あたたかい応援があったり、時には弱音を吐いたり、心の支えとなっていた場所。
社会人になってからも、いつ帰省できるかを楽しみにし、お土産話に花を咲かせ、「頑張ってな」のひとことに元気をもらっていた、そんな場所。
でも、いつからだろう。
今の私の居場所は、ここから変化していた。
もちろん支えの一つとしては変わりない存在だけど、根っこを張る場所は別にある。
ああ、そうなんだ。
もう、自分で自分の居場所を作っていかなければならないんだ。
時間は確実に流れていて、見守ってもらっていた私だけではいられない。
そして流れている時間は限りあるもので、そのスピードも早くなっている。
その色濃さを感じずにはいられない。
寂しいような、切ないような気持ちの原因は、きっとこれだったんだ。
次の日の朝、少しセンチメンタルな感情に浸っていると、息子が叫ぶ。
「おばあちゃんと一緒にプチトマトとってきたんだよ! しゅうかく、だよ!」
満面の笑みで、トマトを誇らしげにみせる。
その笑顔に、こちらも笑顔になる。
息子たちにとって、この風景も記憶に残っていくだろうか。
いつか何かの拍子にふと思い出される、あたたかい記憶になるだろうか。
そして今度は、その風景を、居場所を私が作っていく番なのだ。
そう、時間の流れは止めることはできない。
「ほな、またね」の「また」が今度あるかもわからない。
だけど、今までのあたたかい風景は私の中に生きていて、これからもずっと残っていく。
時間が流れていくことは、居場所が変化していくことは、寂しさだけではない。
幸せなことでもあると思う。成長の証でもある。
そして、繋いでいくものでもある。
でも、やっぱり少しの切なさを感じずにはいられない。
そんな複雑な感情が、生きているということなんだろう。
そんなことを考えながら帰路につく。
新幹線を降りると、むわっとした空気が流れ込んでくる。
街中は人であふれかえっている。
そんな騒々しさとは反対に、帰ってきたという何だかほっとした思いも感じる。
ここが今の私の根っこを張る場所だ。今の私の居場所だ。
それぞれの場所で、それぞれが生きている。
今までも、これからも時間は流れる。
同じ時間は、もうないかもしれない。
だからこそ、日々を大切にしたい。
そう思いながらも「ほな、またね」の「また」が来てほしいと願わずにはいられない。
そう、大人の夏休みは、やっぱり少し切ない。
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