みんな毎日滝つぼに落ちては這い上がって生きている。〜客と店主と成功と〜《イベント後記:加藤ユカロニさん》
*この記事は天狼院のお客様、加藤ユカロニさんに書いて頂きました。
この前、東京天狼院書店にて行われた橋爪朝寿さんの遭難トークイベントの後に、店主の三浦さんと常連の酒屋さんと三人で「成功とはなにか」という話になった。今思えばあの夜は、小さな書店の店内の、四角い木製テーブルに腰掛けていた私たち三人を、まるでスポットライトのように橙色の白熱灯が照らしていた。
橋爪さんは齢十九にして結構シャレにならない感じで遭難している。彼は秩父の三峰山で、食料もなく、五日間遭難していた。崖から落ちて肋骨を折り、それが肺に刺さって穴が開いた。落ちる直前に必死になって枝をつかんではいたが、枝は腐っていたために折れてしまった。その枝の破片が知らないうちに左手に入り、それがもとで徐々に左手が壊死し始めた。食料や携帯電話や、裸眼の視力が0.1もない彼のメガネは崖から落ちた時に飛び散り、助けを求めたくても求められない、自分の置かれた状況すら把握できない状態だった。それでも助かるために里に下りようと川を下るも、滝つぼに落ちること数回。徐々に体が冷えて動けなくなり、遂に「俺、もう死ぬな」と諦めて、意識がなくなって倒れていたところを地元の神主に発見されて生還した。
彼の体験談はすさまじい。普通なら絶対経験できないことだ。どん底から這い上がってきた体験談は、まさに成功者そのもの。だが、そこで三浦さんはイライラしていた。「じゃあ、なんで遭難して生還した人たちはみんな成功してないの?」と。
思えばこれまでに奇跡の生還を果たした人は世の中に少なくない。生還したというニュースや遭難した時の体験談を本やテレビで見たことがある。病気から奇跡的に回復した人だってそうだ。だが、彼らがその後、継続的に脚光を浴びているかといえば、どうだろう。
「……なんで?」
三浦さんはツルツルの頭を抱えてうつむいた。ツルツルの頭が撫でられるのを見ながら私は、「橋爪さんや他の生還した人たちにとっての『成功』は、その『普通の生活』だからなんじゃないですかね?」と答えた。
「でも、奇跡的な確率なんだよ? 死んでたかもしれないんだよ? もっと注目浴びてチヤホヤされてもいいのに、なんで? 病気から回復した人だってそうだよ。治らないかもしれないところから奇跡的に助かったのに、どうして世の中では成功者の部類に入れられてないんだろ?」
そう言われてみれば確かにそうだ。どん底からの生還をグラフで表すならば、社会的な成功者が辿ってきた軌跡と酷似するのではないだろうか。同じなのに、なぜ違うのだ。そもそも、成功とはなんぞや。三人は答えが見つからず、うつむいた。
「……ぼく、よく使うんだけどさ、この表現。……『ここは銃声のない戦場だ』って」
三浦さんがつぶやく。ふと、酒屋さんが宙を見つめて「確かに、戦ってますね、毎日」と言った。私も自分の生活やこれまで過ごしてきた人生を思い返してみる。私がこれまで生きてきた場所は戦場ではなかった。でも、思えばこれまでずっと戦ってきたのだ。銃声を聞いたことはないが、恐ろしい人間社会は知っている。三浦さんは言う。
「橋爪さんの場合は遭難っていうわかりやすい形だったけど、たぶんみんな、毎日見えない滝つぼに落ちてるんだと思う。で、死ぬかもしれないところをいつも必死に生き延びて、今日までなんとか生きてるんだと思う」
突然、三浦さんは抱えていた頭から手を離し、はっと驚いたようにつぶやいた。「そうか、だからか!」
「だから世の中で言う『成功者』枠には入れられてないんだ! だって、みんな戦ってて、毎日見えない滝つぼから落ちて、道に迷って、命かながら生き残ってるから! 遭難とか病気とか、どん底から立ち直ったから成功者なんじゃない。僕たちみんな遭難者で、成功者で、僕たちと彼らの間に差はないんだ!」
三浦さんは強い眼差しのまま続けた。
「だから、満たされないとすれば……『なんで世の中はもっと自分のことを認めないんだろう』と思うとすれば……たぶんそれは、その人の思う『成功』が、他の人から認められたいっていう承認欲求だからなんだ。自分自身のことを認める唯一の方法が、他の人の意思に委ねられてる。僕も、遭難した人も、病気を治した人も、サッカー日本代表も、みんなおんなじで戦ってるよね。僕なんか、最近メディアとかにもたくさん出させてもらってて、話題の人みたいに扱われることがあるけど、僕にとっては天狼院の成功こそが『成功』であって、どんっだけ周りからチヤホヤされても、なんか違うんだよな……。僕の場合は承認欲求じゃなくて、天狼院の成功っていう自分の達成欲求だから。たぶん、自分の満足度を他の人の評価に委ねてるうちは、満足することなんてないんじゃないかな。だって、自分が満足できるかどうかを、自分で決めてないんだもん。でも、僕から言わせると、自分の意思決定っていう最大の自由を他の人に任せるなんて……いいの!?」
三人は目を合わせた。結局、成功とは自分を満足させられるかどうかなのだ。承認欲求ではなく、達成欲求。よく世で騒がれるような成功は、わかりやすいものではある。華やかだし。でも、それも結局周りが騒いでいるだけだから、その人がその状況で本当に満足できているかなんて、本人以外にはわからない。遭難して普通の生活に戻っている人は、きっと遭難体験そのものに重きを置いていない。その後の人生で自分を納得させられたときに本当の成功者になるのだ。遭難や病気が、受験や就職と同じように人生の通過点のようになっているだけなのかもしれない。逆にそこに重きを置いても誰も注目してくれないだろう。だって私たちは、みんな日々戦って生きているから。
小さな書店の中、木製テーブルに座っていた三人は熱く語っていた。周りとは全く違った濃度の濃い空気で、さらに話は進んでいく。成長していくと周囲はどういう風に変わるのか。感動とは何か。良い作品を作るには、私たちは本当に生きなければいけないのだ――。
こんなことを語れるのは、東京といえどもそうないだろう。だが、天狼院にはそれを語れる空気があり、私の言葉を受け止めて、一緒に熟考してくれる人たちがいる。それが私がここに通う理由だ。素晴らしい時間と出会いをありがとう。身体から溢れ出るような充足感とともに、その日も夜は更けていった。
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