平凡な日常に一瞬狂気を味わえる情熱と冷静の熱量
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:土谷 薫(ライティング・ゼミ 平日コース)
「歌うときには常に情熱と冷静の山を自分の内に感じなさい。情熱と冷静の山が鋭角であればあるほど、高ければ高いほど、それは良い音楽を作るんだ」
大学時代合唱団の指揮者の先生がいつもおっしゃっていた言葉だ。
練習中も半ば酔っぱらっているようないい加減な人だったけれど、とてもチャーミングなお人柄で団員皆に慕われていた。何より、ブルックナーが専門でいらしたその先生の紡ぐ大らかな音楽が私は大好きだった。
そして不思議なことに、唯一歌を歌っている時だけが今だに私の情熱と冷静の山を鋭くできる。
私が歌を始めたのは、小学生4年生のクラブ活動だった。同級生が合唱クラブに入り、歌が上手だとまわりから褒められていたことに刺激され、すでに手芸クラブに所属していたにも関わらず、声に自信のあった私は自分も褒められたいという不純な動機で合唱クラブに入部した。
ちなみに、声が良いというか、よく通るのは母親譲りである。母は20代のOL時代、電話に出るとは耳が痛いよと電話の相手から苦情を言われたそうだ。別に大きすぎる声で応対していたわけではない。とにかく遠くまでそして鋭くよく飛ぶ声質なのである。
「普段話す声も綺麗なのね」と、合唱クラブの顧問だった音楽の先生から褒められ調子に乗った私は、どんどん合唱の世界にはまっていった。
私の出身地である石川県の金沢市は人口約45万人、中核市でありまた観光地ではあるけれど、その知名度のわりには田舎である。今でこそ北陸新幹線のお陰で週末は飲食店やホテルに人が溢れ活気があるが、私の子供時代はもっと小ぢんまりとした静かな街だった。
学校の合唱活動の発表の場はそれほど多くなく、都会の学校、特にお金持ちの私立などであれば自分たちの演奏会を開くこともできるが、地方の公立学校の選択肢はスポンサーのついた合唱コンクールくらい。各地方で実施される予選を勝ち抜いた学校は全国大会に進むことができ、野球でいう甲子園のようなものだ。私にとっての合唱はコンクールと切り離すことができない。
夏の県大会に向けて、ゴールデンウィークが明けた頃にその大会で歌う曲の練習が始まる。私がいた小中学校の合唱部は、県大会の先にある支部大会に進めるような実力ではなかったから、5月から8月の3ヶ月間がコンクールの季節だった。コンクールで歌うのは、たった2曲、時間にして7分程度。この2曲だけを3ヶ月間なんどもなんども繰り返し練習する。
まずはパート毎に音程やリズムの確認から始まる。間違えてはそれを楽譜に書き込み、何度も反復練習をする。理屈ではなく、体が覚えるまでやる。
次は全体で合わせる。そこでは、パート単体で見えていた音の世界が、ハーモニーを作ることによって全く違う顔を見せる。自分たちの歌声も歌詞の解釈もどんどん深まり、曲が組み立てられていく。
そうやって自分たちの声が、歌の世界がむくむくと育っていく時間、外の季節も移り変わっている。
木々の緑が目に眩しく緑がどんどん濃くなっていく5月。キラキラとした生命の勢いをわけもなく感じ、心がざわついたのを覚えている。やがて梅雨に入り、土と緑の香りが雨に運ばれダイレクトに自分に刺さる季節を迎える。その後梅雨が開け、ジリジリと太陽が照りつけ蝉が生き急ぐかのようにやかましく鳴く夏本番がやってくる。五感全てでこの季節の変化を受け止めながら、音を育てていた。
そんな肉体自体で感じるという作業を長年繰り返してきたからなのか、歌だけが私の中に高く鋭角な山を作ることができる。
情熱サイドの私は、その音楽に酔って溺れて、時に溺れ死にそうなるくらい溺れて、我を忘れるような熱く激しい衝動の連続だ。明日のことなんか考えず、計画なんてまるでなく、とにかくいまが楽しければいい! みたいにどこまでも落ちていく。時も止まる。それは永遠の感覚とも言える。麻薬をやったことはないけれど、多分似た感じなのだろうと思う。快楽的で官能的で、そしてとても危険だ。
冷静サイドの私は、そんな熱い衝動の塊を、幽体離脱して天井くらいから眺めている。姿勢は保てているか? ブレスは適切に取れたか? ピッチは正確か? 発音はその歌詞や旋律を表すのにふさわしくできているか? 何十ものチェックポイントを、休むことなくパトロールよろしく常に観察しダメなら修正している。全身の毛穴全開で全神経を集中する。30分も歌えば疲労困憊である。
情熱とそれコントロールする冷静とを、同じ熱量分常にたたかわせながら、その山頂を、情熱サイドと冷静サイドを同時に感じ、落ちそうになりながら歩くのだ。
鋭さと高さを持った情熱と冷静の山、あなたは何か持っているだろうか。それは平凡な日々に一瞬狂気を味わわせてくれる。
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