母に引導を渡した日
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記事:あかばね 笑助(ライティング・ゼミ日曜コース)
「かあさん、実はあの時、ボクが思ったのは……」
ボクは話しかけた。
母の亡骸に向かって。
母が亡くなったという知らせを受け、病院へ行った。
着くと職員が霊安室に案内してくれた。
するとそこには、もう動かない母が横になっていた。
母の近くのイスに座ると、ボクの携帯が鳴った。
先ほど連絡した葬儀社からだった。
母とボクを迎えにくるまで、後、二十分ほどかかると言っていた。
わかりました、と言って通話を切り、母を見つめた。
ボクは母に最後の思い出話を語ろうと思った。
どこかで聞いてくれてるような気がしたからだ。
母は若い頃から子供が欲しかった。
なかなか妊娠しなくて、三十六歳の時、ボクが産まれた。
男の子が欲しかったそうなので、かなり嬉しかったらしい。
当時の母は父の先妻の息子たち二人を子育てしていた。
「二人からは、おかあさんと呼んでもらえないが、このお腹の子は違う」
ボクは、かなり期待されてたらしい。
息子としては嬉しい。
「かあさん、ありがとう。ボクが産まれてくることを喜んでくれて」
目の前の横たわっている肉体の母ではなく、
どこかで聞いていそうな母に言った。
母の勝気な性格が災いしたのか、いつしか父と折り合いが悪くなった。
父は新しい恋人と家を出て行ってしまった。
母は父の知り合いを尋ねて、父の居場所を突き止めた。
そして、相手の女性と暮らす家に行った。
五歳のボクを連れて。
それ以前からも、父と母は頻繁にイガミ合った
そして、その場所に必ずボクがいた、ように思う。
多分、母は父が怖かったのだ。
だから母は計算した。
あの人は息子に優しい。
この子の前で、私に手荒なマネはしないだろう。
ボクの目の前には言い争う男と女がいた。
父の恋人を交えて三人の時もあった。
「かあさん、怖かったのは理解できるけど、それを見せつけられるのは嫌だったよ。
なんだか男と女は必ず上手くいかなくなる、と刷り込まれた気がする。
もう少しボクの気持ちを考えてほしかったなあ……」
透明になった母は、静かに聞いている気がした。
母には妙な自信があった。
私は借金しても必ず返済できる、という自信。
だからなのか、60歳を越えてから目標を立てた。
私は演歌歌手になる!
その時からカラオケの大会に出るため、着物をローンで買いまくった。
大会を探しては、出場した。
そこそこトロフィーを獲得したりしたが、所詮、素人の域だった。
「かあさん、ねえ聞いて、60歳を越えてから歌手活動始めた人もいるけど、
それって会社の社長が、無理やり社員を集めてコンサートしたりするパターンなんだよ」
空間の透明な母は、黙秘をしてる気がした。
残念ながら歌手にはなれなく、母に借金だけが残った。
88歳を越えてから急に腰が悪くなり、介護施設に入居する事になった。
借金がネックだったので、ボクが弁護士に相談して処置した。
処理が終わり、報告した時、生前の母は、そりゃ良かった、と他人事のように言った。
ボクは透明な母に言った。
「かあさん! あのね、けっこう大変だったよ。弁護士と破産の手続きするの。
まあ、ボクも親孝行らしいこと、しなかったから、これも、その一環かな。
でも、もし生まれ変わったら、ご利用は計画的に!」
透明な母が、少し笑った気がした。
他にも手作りのお弁当が美味しかった話、
寝ている母の顔にムカデが落ちた話、
料理してた母のチャンチャンコに火が引火した話、
楽しかったこと、
悲しかったこと、
感謝したこと、
こうして欲しかった事、
思い出せる限り、母に話しかけた。
何故、思い出を亡くなった母に語ったのか、それには理由がある。
ボクには、前々から信念があった。
もし、母が亡くなっても、僧侶を呼ぶのは止めよう。
この母に引導を渡せるのは、一人息子のボクだけだ。
母の人生を一番近くで見て、感じた人こそ、ボクだ。
母を世界で一番納得させることが出来るのも、ボクだ。
ボクしかいない。
正直に、今までボクが、どう感じたかを何も隠さないで語りかけよう。
ボクの眼からの母の人生を語ることで、母自身が人生を振り返って欲しかった。
そして心の底から納得して帰って欲しかったのだ。
ボクが息子として出来る最後の務めだと思ったから。
霊安室の扉が開いた
葬儀の業者が来て、手際よく母を運んだ。
火葬場に着き、母は火葬された。
二時間かけて、母は骨になった。
親戚と一緒に、箸で骨を骨壺に入れた。
骨は、思っていたより白くて嬉しかった。
母の今までの人生が真っ白になり、
再スタートを切った象徴のような気がしたからだ。
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