床の間から始まる父との冒険
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
【4月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《日曜コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:山本さおり(ライティング・ゼミ日曜コース)
「明治時代の人は、意外と発音に忠実だったんだなぁ」
ある絵を前にして父は言った。
父は、「表具師」をしている。書や絵画を修復し、掛軸や屏風に仕立てる仕事なので、家にはいくつかの絵画が預けられることがあり、私はそれを見せてもらうのが小さい頃からの楽しみだった。
その絵は、明治時代に描かれた浮世絵。外国人が港を歩く様子を表した絵である。
絵の中の四角い枠の中に「ケビテーン」と書いてある。横にはひげをたくわえた、たくましい外国人男性……これはどういう意味だろう? 父と一緒に考えること数分……
「これ、『キャプテン』のことじゃない?」と思いつきを私は口にした。ピンときた父と大笑いである。
描かれた男性は確かに、ブレザーに帽子を被り、パイプを吸っていて、まるでポパイの出で立ちだった。そう、彼はキャプテン、船長なのだ。
「ケビテーン、ケビテーン……キャプテン。う~ん、確かに聞こえるなぁ」
明治時代当時の人たちの表現の豊かさとヒアリング能力の高さを父と笑いながら話した。
「さて、仕事に戻るかぁ」と父は言い、ケビテーンの描かれた、派手なピンクと濃い藍色で塗られた浮世絵のシミを取り始めた。
私が父の仕事に興味を持ったのは、小学生の頃だ。小学3年生くらいの作文で、家族の職業について書く機会があったのだ。そのときに父に説明してもらったが、あまり理解出来なかった。その様子を見かねて、父が床の間のある和室でいろんな絵を見せてくれた。「これが浮世絵だよ」「これが水墨画だよ」と次々いろいろと見せてくれたが、今となれば、あんなに畳の上でゴロゴロしながら絵をみられるような貴重な機会はないのにと、小学生の私を揺り起こしたいくらいだ。
父の仕事にピンとこないまま迎えた、初夏の5月頃に、床の間の絵にギョッとしたことがある。床の間に続く襖を開けると、暗闇にぼぉっと浮かぶ女の幽霊……「ぎゃぁーっ」と私は、母の元にダッシュで逃げた。ある美術館から修復を頼まれた幽霊の掛軸が床の間に掛けられていたのだ。その幽霊は、顔のただれや血が流れる様がとてもリアルで妖しく、美しかった。しかし、あまりの怖さに、しばらく床の間には入れなかった。そして、そんな幽霊と向き合って修復の仕事をする父はヒーローのように思っていた。
中学生になった私は、また床の間に入ってギョッとした。教科書で目にした、湖を前にしてうちわで扇ぐ浴衣姿の女性の絵があった。それは、洋画家黒田清輝の『湖畔』の複製画だった。
「おぉ、この絵見たことある?」とのほほんと聞いてくる父に拍子抜けしたが、「どうしたのこれ?」と教科書に載るような有名な絵を前に、鼻息荒く聞いた記憶がある。しかし、父は、娘の荒い鼻息もどこ吹く風。その絵は、涼しげな模様の布で掛軸に仕立てられ、元の美術館へ旅立っていった。
私が日本美術好きになったのは、間違いなく父の影響だ。ただ、私の場合は、歴史的な知識などはまるで身につかなかったのがお恥ずかしい限りだが、父は、日本美術については、どんな質問をしても答えてくれる。一緒に美術館に行けば、歩く音声ガイドとして活躍してくれるので、とても都合がいい。
父は若いころに、この仕事を始めるにあたり、たくさんの勉強をしてきたらしい。書や絵画の修復を持ち込むのは、大抵は自分より年を重ねていて、美術に詳しい人ばかり。その人たちに信頼されるために、本を読み、美術館に通い、図書館で画集を見て学んだようだ。そしてそれを依頼してきた人と話し、最初は任せてもらえなかった仕事も少しずつ、増えていったとのこと。私にはぐうたらな父にしか見えないこともあったが、努力が今の父を形作ってきたのだ。
ある日、父に仕事道具を見せてもらったことがある。それは表具師の七つ道具の入った箱だった。象牙や黒水牛の角で出来た掛軸の軸先、金糸で織り上げた布地など、全てが美しく、宝石のように見えた。それを説明する父は誇らしげで、研究成果を発表する考古学者のようだった。
まさに父は、インディ・ジョーンズのような考古学者だ。古いものに新しい命を吹き込み、日本美術の冒険の世界に連れていってくれる。時に幽霊を連れてかえってきて、子どもを怖がらせたりもするけれど。
父も「あの、ホラ、あれがあれでさ……」と指示語だらけの会話も増えてきているが、今なら知識も経験も十分、貫禄も相まって、まだまだたくさんの美術の仕事ができるのではないかと楽しみにしている。
手先の器用さも、努力の血筋も、娘に受け継がれなかったことは、非常に残念に思うが、父にはまだまだこれからもたくさんの絵を世に残すための修復をしていってほしい。
そしてまた床の間で、絵について、書について語り合いたい。
まずは、次に父と会ったら、父に教えてもらって知った「大津絵」のかわいさについて話してみようかと思っている。
*** この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加いただいたお客様に書いていただいております。 「ライティング・ゼミ」のメンバーになり直近のイベントに参加していただけると、記事を寄稿していただき、WEB天狼院編集部のOKが出ればWEB天狼院の記事として掲載することができます。
http://tenro-in.com/zemi/70172
天狼院書店「東京天狼院」 〒171-0022 東京都豊島区南池袋3-24-16 2F 東京天狼院への行き方詳細はこちら
天狼院書店「福岡天狼院」 〒810-0021 福岡県福岡市中央区今泉1-9-12 ハイツ三笠2階
天狼院書店「京都天狼院」2017.1.27 OPEN 〒605-0805 京都府京都市東山区博多町112-5
【天狼院書店へのお問い合わせ】
【天狼院公式Facebookページ】 天狼院公式Facebookページでは様々な情報を配信しております。下のボックス内で「いいね!」をしていただくだけでイベント情報や記事更新の情報、Facebookページオリジナルコンテンツがご覧いただけるようになります。