本当に婚活を成功させたいならば
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記事:中野アンリ(ライティング・ゼミGW特講)
我が家には、女がわたし一人しかいない。
男という生き物は、どうしてこう、汚すのだろう。片づけないのだろう。散らかっていてもイライラしないのだろう。お茶碗洗っておいてと頼むと、隣に置いてあるお箸は洗わないのだろう。わたしの日本語がおかしいのだろうか。お箸がいつの間にか移動したのだろうか。お箸が洗われるのを拒否して、お風呂ギライ同士で秘密の協定が結ばれていたのだろうか。もはやわたしのアタマがどこかオカシイのか。
いずれにしても男というのは、別の生き物だ。基本的なスタンスは、理解不能。
子どもの頃から、犬が好きだった。実家は横浜のマンションのため飼えなかったから、都内の祖父母宅まで犬会いたさに、何度もひとりで通った。艶やかなココア色をした、オスのダックスフントだった。
犬との付き合い方は、全部じいちゃんに教えてもらった。頭をなでようと上から手を出すと、犬はぶたれると思って怖がるから下から出すこと。手を舐めてもらったらお友達と認められた証拠だということ。おやつをあげるといってあげないとか、嘘をついたら犬は必ず覚えていること。
何度も通ううちに、少しずつ信頼してもらえるようになった。ひざでうたた寝してくれた時には、うれしくて声を出しそうになったのをこらえて、カラダのどこかに変な力が入ってしまって、それで犬は起きて、離れて行ってしまった。ようやく懐いてくれたのに。触れていたふくらはぎのあたりが、体温を失ってすうすうした。
かたや、じいちゃんが動けば、犬はどこで何をしていても察知して、必ず駆けつけた。私がどんなに自分から寄って行っても、犬にとっては、じいちゃんが揺るぎない絶対君主だった。怒られても、放っておかれても。羨ましかった。大人になったら、いつか「自分の犬」を飼おうと決めた。
大人になったわたしは、結婚して、初めて戸建てに住んだ。兄弟を、と考えていたが、授かった子どもはひとりだった。難産のダメージを引きずりながらの子育ては、思った以上に心身の負荷が大きかった。よい父親は残念ながら必ずしもよいハウスキーパーならず、大小の男たちとの会話は、1言って1伝わったら、奇跡だった。お箸は洗ってくれなくてもいい、でもせめて、男ってほんと困ったわねー、って、つぶやける相手がいたら。犬を飼うなら、女の子がいい。
盲導犬候補生の仔犬を預かるパピーウォーカーのボランティアになることも考えた。けれど盲導犬候補生はエリート中のエリートだ。自分の子育てすら失敗だらけのわたし、人命を預かる優等生をまっとうに育てられる自信はない。それなら小型の保護犬の里親になろう。あちらも一癖あるかもしれないけど、そこはお互い様だ。我が家にご縁のある子を、家族として引き取ろう。もう、男でも女でも、年齢も、関係ないよね。そう思った。
紆余曲折を経て我が家にやってきたのは、中型犬キャバリア・キングチャールズ・スパニエルのオス、推定9歳。息子と同じ年。人間でいうなら還暦も近い「おじさん」。元の飼い主が自ら、保健所に持ち込んだらしい。本当なら持ち込みは即日処分の対象だが、キャバリア専門の保護団体が「必ずレスキューするから殺さないで」と事前に声をかけていた保健所に持ち込まれたのが幸いし、間一髪で命拾いをしたラッキーボーイ、いやラッキーおじさんだった。
保護される犬も様々だ。ブリーダーの崩壊、「商品を産む道具」としてボロボロになるまで産ませられる繁殖犬、先天性の障害や売れ残りで「商品価値」がなくなった子の他、我が家に来た子のように個人的な事情で飼えなくなって捨てられる子もいる。
おじさん犬と暮らしてみてわかったことは、仔犬にはない年相応の落ち着きと風格があること。プライドと、そこから見え隠れする本音があること。犬らしい素直さかわいらしさは年齢に関係なくあること。場をわきまえる分別と強烈な個性が共存すること。産まれたての白紙状態ではなくて、生死を分けるような苦労をしてきた大人なのだ。個々の歴史があり、こちらの思惑通りには行かない。
引き渡しの日は新幹線で名古屋まで迎えに行った。食事やトイレなど生活全般の申し送りをしている間、彼は預かりママさんの隣にピッタリ寄り添っていて、抱っこしてもわたしには見向きもしなかった。仲人役の保護団体の方が気を使って、今日からこのママの子になるのよ~って言い聞かせてくれてたけど、どこ吹く風の様子。落ち着いて穏やかな性格の子だから、初めて飼うにはとてもいい子です、って繋いでもらったけど、仲良くなれるかなぁ。
申し送りが終わって、いよいよ預かりボランティアのパパママとはお別れ。保護団体さんの車で名古屋駅に向かおうと、後部座席に犬と乗り込んだ。窓の向こうでは、パパもママも涙、涙。たった2カ月だったけど、家族として大事にしてもらってたんだね……
車が動き出し、角を曲がったところで気がついた。
犬が、体重をわたしに預けている。
そうか。
彼は最初から分かっていたんだ。
預かりママとはこれでお別れだということ。
大好きなママを悲しませないように、ママの前では、最後までママだけの子でいたんだということ。
彼は、一緒にいた人と別れる時のつらさを、誰も迎えに来ない場所の床の冷たさを知っている。ダックスがいなくなった私のふくらはぎより、もっともっと冷たかったはずだ。
これからは、「うちの子」になるって、わかってるということ。
わたしにだけ、わかるように伝えてきた。
何も言わずに。誰も傷つけずに。
わたしよりも、ずっとずっと、大人だ。
新幹線に乗ってから、ひとりで泣いた。
犬は足元で、静かに寝ていた。
名前を考えながら横浜で待っている息子には、いつか話そう。
あの日から、もうすぐ3年。
顔周りの白い毛が増えた。寝ている時間が長くなって、散歩にあまり行きたがらなくなった。ドッグランでランしないのは最初から。こちらもアラフォー、お互いにやりたくないことは無理にする必要もなかろう。
もう少し先になったら、介護も必要になるだろう。トイレのちょっとした失敗は前にもあった。申し訳なさそうな顔をして小さくなっていたけど、今ではなんでもっと早くに連れて行かない? とキレ気味だ。年を取ると怒りっぽくなるって、自分の現在位置がずれたことに気がつかないから起こるのかもしれないな。自分も気を付けよう。
その先は、必ず、別れがやってくる。彼を置いて先に逝くことはできない以上、いつかは通る道だ。もちろん泣くだろう、たくさん、毎日。感謝しながら、後悔もしながら。寂しくなって、他の犬をまた迎えるかもしれない。でも彼とは違う犬だ。
結婚「が」できればいい、じゃなくて、「本当に幸せな結婚」を、ずっと一緒にいられるお相手を、と思うのなら、健康な時も病める時も死がふたりを分かつまで、教会でお言葉を賜る前に、試してみたらいいと思うのだ。相手は犬でも、大切な家族であることに変わりはないんだもの。
「この人生フルコースを、ほんとうにこの人とやってみたいと思うのか」
もし知りたいのなら、婚活をする前に、保護犬を飼うといい。あなたの犬は、未来予想図を身をもって見せてくれるはずだ。
わたしも誰かにこう言ってほしかったな、結婚する前に。
ねぇ、ライちゃん。そう思わない?
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