メディアグランプリ

曼荼羅の中にバカボンのパパの真理あり


 
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:リッキー・りさ・西澤(ライティング・ゼミ1DAY講座)
 
私は点描曼荼羅を描き始めてから、人生を後悔する事が減った。
全く無いとは言えないけれどもしかし、確実にそれ以前よりも「何とかなるさ」と感じるまでが早くなった。
 
曼荼羅とは元々ヒンドゥー教や仏教のシンボルで放射状に広がる幾何学模様の中にびっしりと仏様が書き込まれた絵なのだが、そこから芸術へと昇華し、さらに今では広くセラピーアートとして親しまれている。
どうしてセラピー効果があるのか、仏様とは関係ない。
驚くことに、描いていくことで誰でも「悟り」に似た体験をすることができるからだ。
 
点描曼荼羅はインスピレーションのみで描いていくものだ。
ざっくりと座標となる下書きはするが、後はその瞬間の閃きのみで、自由に「点」を打っていく。点を打ち重ねていくことで完成させるという、傍から見ると凄く気の長い作業のように思えるのが点描曼荼羅だ。
 
この「点」を打つという行為がポイントとなる。最初は戸惑うものの、気が付けば無心になって打っている。想いのままに、まるで何かに導かれるかのように筆は進んでゆく。
しかし必ず途中で何度も立ち止まる。これでいいのだろうかと迷いが生じる。その時は一旦筆を止め、静かに深呼吸するようにしている。
一息ついたらまた自分の感じた点を打つのだが、この「点」こそが「今ここ」であり、この行為が人生のこの瞬間を自分の感じた通りに打てているのか、輝やけているのか、というところに通じてくるのだ。そしてそれは自分を信じて「ありのままに」生きているのだろうか、というところにまで簡単に繋がってしまう。
 
たかが絵を描くくらいでと思うだろうか。しかし断言しよう、誰でも「描き終わった自分の曼荼羅を見たら感動に言葉を失う」だろう。自分の描いた絵のはずなのに自分の智を越えて何かが作用しているとしか思えないのだ。その時は迷いの中で、これは駄目かもと疑いながらも夢中で打った「点」が、完成して俯瞰すると実に意味のある「点」だったことが解ったりする。
実生活においても失敗だったと思うことが好転する為の鍵に変わったり、思わぬ経験や事柄がパズルのピースがハマるが如く作用し、突然に人生が動き始める時がある。
「そうか、あれは、こういうことだったのか……」と感じるあれである。
 
曼荼羅を描くことはまさに人生の魔法を解く行為のように感じられるのだ。曼荼羅は宇宙の設計図だと呼ばれているのも理解できる。
 
私はこれまで60枚の曼荼羅を描いてきて、相変わらず途中で行き詰まるし「これはもう絶対に失敗だ」と思うこともある。
正直に言うと60枚描いてきた中で一枚だけ本当に途中でどうにもならなくなって燃やしてしまった。しかし残りの59枚は最後まで完成し私をそのたび驚かせた。
誤ってはみ出したり、筆をうっかり落としてしまい、転がって汚れにしか見えなくなったものもあった。しかしそれをリカバーしようと打った「点」から別の世界が始まり、思いもかけない景色が生まれていった。私は何度も失敗し、何度も奇跡を目にした。そして失敗なんて本当はこの世に無いのだとさえ感じることができた。曼荼羅の体験は運命とか天命のような大きな何かに、私たちが包括されていることを感じさせるのだ。
 
失敗して打った「点」は決して消せない。覆水盆に返らずだ。
しかし、そこから始めることができる。「ありのままに今ここから」また始められる。
むしろそこからしか、実は進めないし生まれないのだ。
その「点」の持つ本当の意味をその時の私には知る術もないが、それは信じるに値するものに違いない。私はそれを何度も曼荼羅から教えてもらっている。
 
描き続けることは既に修行の様にさえ感じるほどだが、しかしとても楽しい修行でもある。そしてこの修行の日々の中で偉大な先人がいる事に気が付いた。
それが「バカボンのパパ」である。かの名言「これでいいのだ」は、私にとって最も大切なマントラ(祈りの言葉)になった。
 
天才バカボンの作者である赤塚不二夫さんへのタモリさんの弔辞は素晴らしかった。
「あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は重苦しい影の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を断ち放たれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち『これでいいのだ』と」(タモリさん弔辞引用)
この言葉は「これでいいのだ」の真理を的確に言い表している。
 
私もいつも全てを「たりらりら~ん」と軽やかに受け入れ「これでいいのだ」と言い切って生きてゆけるようになりたいと励んでいる。そしてそれを実践する人を指す言葉として、私の造語だが「曼荼羅人(マンダリスト)」という言葉を作った。
「これでいいのだ」を「マンダリズム」と言い、「マンダリズム」で生きる人を「マンダリスト」と呼ぶ。
今という点の一つ一つを穏やかな呼吸と共に、祈りの中で打てたなら、それは素敵な人生になるだろう。「バカボンのパパ」を継ぐ者になりたい。
 
私はあなたにも曼荼羅の不思議な世界を体験して欲しいと思うけれど、もし曼荼羅に縁が繋がらなかったとしても問題はない。曼荼羅人は曼荼羅を描く人とは限らないからだ。
蕎麦を打つ曼荼羅人もいれば、写真を撮る曼荼羅人、文章を書く曼荼羅人、畑を耕す曼荼羅人、営業、経理、レジ打ち、窓ふきの曼荼羅人もいる。
そしてそれぞれの世界にも必ず点がある。その点の中にどんな時でも「これでいいのだ」を忘れず、軽やかに、とことん真面目にバカボンのパパのように人生を歩く人を曼荼羅人というのだ。私はそんな曼荼羅人と共に軽やかに歩いてゆきたい。曼荼羅人を増やしたい。
バカボンのパパの増殖で、この世界がもっと愉快にシアワセなるだろうなと確信するのだ。
 
私は曼荼羅人だ。これでいいのだ。
たりらりら~ん。
 
 
 
 
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2019-05-10 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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