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運を掴みたいなら、手を放せ《週刊READING LIFE Vol.78「運」は自分で掴め》


記事:浦部光俊(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「同じこと、何度言ったらいいの?」 ついつい詰問口調になった。
 
最近、経理部に異動してきた上川君。年齢は20代半ば。私とは20歳近く離れている。仕事を依頼すると、はい、部長、わかりました、すぐに取りかかります、と丁寧な返事。間違いを指摘すると、大変申し訳ありません、すぐに訂正いたします、と素直な対応。まことに結構なのだが、いまいち心許ない。質問はない? 心配して尋ねても、はい、だいじょうぶです、との即答に、正直、本当にだいじょうぶかよと思ってしまう。
 
部長、終わりました、神妙な様子で持ってきた資料。小さな会社の小さな経理部、部長といっても書類のチェックは私の仕事。早速チェックを始めると、あっちもこっちも間違いだらけ。
 
おいおい、上川君、修正してほしいと伝えた部分、また間違ってるよ。さっき説明した時、わかったって言ったよね、全然、理解してないじゃないか。一緒にやったほうがいいのだろうかと思いつつも、いやいや、部長たる者、それもおかしい。私が自分でやった方がいいのか、それはもっとおかしいだろ。
 
もう勘弁してくれ。時間ばかりが過ぎていく。丁寧じゃなくてもいい、素直じゃなくてもいい、とにかく私の話をきちんと聞いて、わからないなら、わからないと言ってくれ。
 
じゃあ、もう一度、やり直してきてくれる? 本当に分かった? と念押しする私を真っ直ぐに見つめる彼の返事、それは、
 
「はい。私は理解したつもりです。自分で考えて解決したいので、もう一度やらせてください」
 
…… ご立派な回答。こう言われてしまうと、どうしようもない。
 
いやいや、そうなんだけど、そうじゃないんだよ。私が伝えたいのはそういうことじゃないんだよ。のど元まで出かけた言葉をぐっと飲み込む。
 
もう何度も間違えているんだから、少しはこっちのアドバイスも聞きいれてよ。自分で考えるのは大事だよ。仕事ってそうやって成長していくものだよ。全くその通りなんだけどさ。でも、まだまだ若い君の力には限界もあってさ、人の力も借りながらやっていくことも大事なんだよ。それもまた仕事の進め方。もうすこし広い視野でさ……
 
自分で、自分で、か。席にもどっていく彼の後ろ姿をぼんやりと眺めていると、ふと彼の姿が若い頃の自分と重なった。
 
もう、20年ちかく前の話。
 
その頃の私の所属は経理部。入社後、すぐ配属され3年が経とうとしていた。仕事は一通り経験し、いよいよこれからが戦力だ、と期待されていた、と言いたいのだが、実際の周りの評価はいまいち、中の下。仕事は遅いし、間違いも多い、一生懸命やっているのは確かだけどね…… といったところ。
 
そんな自分に対する自己評価も同じようなもの。一生懸命やっているけど、なんだか成長のためのとっかかりが見つけられない。元々数字を扱うのが得意でない上に、細かい作業を正確に繰り返すという経理の仕事はどうも…… 苦手意識がぬぐいきれない。
 
夜遅くまで作業をして、翌朝、先輩に報告をする。間違いを指摘され、仕事をやり直す。その間にも新しい仕事はたまっていき、また夜遅くまで仕事をして、という毎日だ。なんとかしなければ、と焦る気持ちばかりが空回り。
 
周りを見渡せば、営業や広報に配属された同期、仕事にもすっかり慣れ、和気あいあいと楽しそうに仕事をしている姿が気になって仕方が無い。お前、結構、いい仕事するようになったな、みんなの前で褒められている同期の嬉しそうな顔。スタートは同じだったのに、ずいぶんと差がついたな、なんて格差を痛感させられる。
 
今日も帰りは深夜だな、そんなことを考えながら一人会社に残り仕事をしていると、自分は、なんてついてないのだろう、経理なんて地味な部署じゃなくて、もっとクリエイティブな部署に配属されていたら、もっと活躍できていたんじゃないか、そんな風に嘆きたくなる時もある。
 
はぁ、運も実力のうちなのかと、とため息をつく自分に、いやいや、そうじゃないだろと、自分で自分に言い聞かせる。仕事ってそういうもんじゃないだろと。ついているとか、ついていないとか、そういうことじゃなくて、まずは自分のできることを懸命にやってみよう、運気を味方につけるのも自分次第、結果は後から着いてくる。
 
そうだ、そうだ、俺は小さい頃からそうやって、頑張ってきたじゃないか。小学校の時、身体が小さいという理由でレギュラーメンバーに選ばれなかったサッカー部。身体を大きくすることはできないけど、その分はテクニックでカバーしてやる。そう誓って、毎日、一人、居残り練習したじゃないか。それで、レギュラーを勝ち取ったじゃないか。
 
大学の時だってそうだった。田舎出身の自分は、東京の大学に入学した時、都会出身の同級生達との違いに圧倒されたっけ。これから都会生活、大学生活を楽しもう、目の前のことだけ考えていた自分に対して、彼らの興味はすでに就職活動。就職に有利なサークル、就職に有利なゼミ、ずっと先を見ている彼らに引け目を感じたっけ。
 
でも、そんな中でも自分なりにおもしろいものを見つけてやってきた。バイトで知り合った田舎出身の友達達。大学は違ったけど、境遇が似ていたせいもあって、妙に気が合った。深夜遅くまでみんなで将来について語り合った。
 
そんな彼らと一緒に行くことになった海外へのバックパッキング。
 
「おもしろいところ、教えてあげようか」 気のよさそうなおじさんに連れられた先は、強面ばかりの怪しいお店。高額のダイヤモンドを売りつけられそうになって、みんなで逃げ出した。食事があわなかったのか、道ばたで腹痛に苦しんでいた時、現地のおばさんがトイレを貸しましょうか、と声をかけてくれたこともあった。言葉は全くできないけれど、とにかく身振り手振りで感謝の思いを伝えたっけ。失敗ばかりだったけど、自分の力で困難を乗り越えたじゃないか。
 
そう、俺はいつだって、自分を信じてきた。今は冴えない自分だけど、自分の力できっと困難を乗り切ることができる、やればできると信じてきた。今だって、これからだって、きっと自分は乗り切れる。
 
経理の仕事だって、今は苦手意識があるけれど、自分の努力と工夫できっと乗り越えられる、いや、乗り越えてみせる。ついてるとか、ついてないとか、言ってないで自分のやるべきことをやれ、未来は自分の手でつかみ取るんだ、自分に声をかけ、さあ、もうひとがんばりするぞと、仕事に取りかかった時だった。
 
「お前さ、バランス悪いよな」 普段、静かに見守っている部長が突然声をかけてきた。
 
あっ、は、はい、そうですね、言われたことの意味が理解できず、間の抜けた返事をしまった。
 
やっぱり自分のこと、あまりよく思ってないんだろうな、失敗ばかりしているもんな。今日も先輩から注意されてる時、部長、こっちをじっと見てたよな。こんな時間にわざわざ声をかけてくるなんて、怒られるんだろうか、そんな感情が表情に出てしまったのだろう、隣に腰掛けた部長は、心配するなよと穏やかな口調で語り始めた。
 
「わかってるよ。お前ががんばっているのは。先輩に、何度も何度も叱られても、めげないで、根気よくやり続けてる。ほんと、よくやってるな」 でもな、それだけじゃうまくいかないんだよ、分かるか、部長が少し遠い目をした。
 
「仕事ってのは、自分を手放したとき、まわり始めるんだよ」 ぽかんとした自分の顔が、ちょっと熱をおびはじめた部長の語りぶりと対照的だ。
 
「今のお前を見ていると、若い頃の自分のようだよ。とにかく、自分でやらなきゃ、自力で乗り切るんだって、いつも自分に言い聞かせて。自分の力を信じていたって言えば、聞こえはいいけど、逆に言えば、周りを信用していなかったんだろうな。弱さを見せたらすぐにつけ込まれるぞって、世の中、そんなに甘くないぞって」
 
「たくさんの人たちの、たくさんのアドバイス、全然聞き入れられなかった。聞いているつもりだったけど、聞いてなかった。みんな、親身になって考えてくれたし、救いの手を差しのべてくれた。それなのに、俺は全然彼らのこと、見ていなかった。俺が、俺が、って自分の狭い世界ばかり見てたんだな。自分で勝手に敵を作って、自分ひとりで戦っていた」
 
自分のすぐ近くに優しい世界があるってこと、全然気づけなかったんだな。まっ、今だからいえることだけど、そういった部長が最後に付け加えた。
 
「少しだけ、自分を手放して周りを見渡してみたらどうだ。意外と世界は優しいぞ。それに、そんなに固く握りしめた拳じゃ、新しいもの、なにもつかめないだろ」
 
……
 
優しい世界か…… そんなこと、考えたこともなかったな…… そう思っていたときだった。
 
「あれ、まだ部長も残っていたんですか」 突然、開いたドアのほうに目をやると、コンビニの袋を持った先輩がいる。
 
「しまったな、3人分だと少し足りないんだけど。部長も一緒に食べますか。こいつ、まだやること、たくさん残っているんですよ」 さっさと飯食って、ちゃちゃっと片付けましょうよ、先輩は部長と私のほうにおにぎりを差し出した。
 
そう、あの時、初めて気づかされた。自分が思ったよりも世界はずっと優しいんだと。そう、あの時以来だ、周囲の人たちのことを、もっと信じてみようと思うようになったのは。
 
できないことがあったら、そんな自分をもっとさらけ出して、周囲に助けを求めてみよう。恥ずかしい思いをすることだってあるけれど、それはそれで、いいじゃないか。それで仕事が前進するんだし、なにより自分に協力してくれる仲間を見つけられたなら。
 
握りしめた拳じゃ、なにもつかめないんだ……
 
ふと我に返った。
 
そうだった。あの時、部長が教えてくれたこと、今の自分は、部下達にきちんと伝えられているだろうか。自分を手放すことの大切さ。周りを信じて一緒に協力して仕事をしていくことの大切さ。そして、その時、出会える世界はとっても優しい世界だということを。
 
懸命に資料をなおしている上川君に目をやる。
 
本当にがんばっているよな、あんなに拳を握りしめて。でも、それだけじゃだめなんだよ。もっと周りを信用して。自分の弱さもさらけ出して。
 
……
 
いや、違う。彼だけじゃない。
 
自分を手放さないといけないのは……
もっと自分をさらけ出さないといけないのは……
 
よしっ、小さな声で自分にかけ声をかけた私は立ち上がる。
 
「よしっ、上川君、私になにかできることあるかな。その仕事、一緒に終わらせよう」
 
えっ、部長がですか、上川君が驚いたように顔を上げる。
 
なんだ、なんだ、部長たる者、そんなことはすべきじゃないとでも言いたいのか。いやいや、そんなことじゃないはずだ。私が彼に伝えたいのは、そんなことじゃない。
 
私が伝えたいのは、自分の小さな世界に止まっていてはいけないこと。そして、君の周りには、頼りにできる優しい世界が広がっているということ。部長だろうが、たとえ社長だろうが、困ったときは、みんなで力を合わせて仕事をするんだ。そして、いつか、彼にも伝えていってほしい。昔、こんなことがあってね、と。意外と世界は優しいんだよ、と。
 
握りしめていた彼の拳が、少し緩んだように見えたのは気のせいだろうか。優しい世界、その手なら、きっとつかめるよ、私が心の中でそう語りかけた時、どこかから、かつての部長の声を聞いた気がした。
 
「同じこと、何度も言ったよな。やっとわかってくれたんだな」 もちろん、その声は優しさにあふれていた。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
浦部光俊(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

語学力を生かしたいとの思いから、貿易関係の会社に就職するも、約2ヶ月で退職。その後、米国公認会計士試験に合格し大手監査法人へ転職。上場企業の監査から、ベンチャー企業のサポートまで幅広く経験する。

約8年の経験を積んだ後、より国際的な経験をもとめ、フランス系金融機関に転職。証券、銀行両部門の経理部長して、様々なプロジェクトに関わる。

現在は、フリーランスの会計コンサルタント。テーマは、より自由に働いて、より顧客に寄り添って。

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2020-05-04 | Posted in 記事, 週刊READING LIFE vol.78

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