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プロフェッショナル・ゼミ

モツ鍋と男のイチモツ《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミプロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:小堺ラム(プロフェッショナル・ライティング)*この記事は小説です。

「これ、お土産です!!」
オーストラリア旅行から帰国したばかりの若手のナミコが、私に差し出してきたのは、赤茶色の何かの皮でできたコインケースだった。
中学3年生で初めて彼氏ができた以降、途切れることなく彼氏がいるというナミコが最近うまくいっている男と一緒に海外旅行に行くという話は前々から耳にしていた。
「これ、カンガルーのペニスを切り取って作ってるらしいですよ!課長にもご利益ありますように!」
ナミコが屈託のない笑みを浮かべて大きな声で私に言った。
人がたくさんいるオフィスのフロアで。
私は、ナミコに押し付けられたモノを左手の掌に載せて一瞥した。
ペニス……カンガルーのペニス……
無残にも切り取られ、観光客の土産物になってしまったソレを見つめた。
「ちょっと、古賀課長、至急会議が入るそうですよ。AA会議室です」
男性部下の声にふと我に返った。
私は、ペニスで出来たコインケースを、通勤に使っているケリーバッグの奥底にそっと入れ、AA会議室に向かった。

今回のプロジェクト、失敗するわけにはいかなかった。
このプロジェクトの出来栄えで古賀の今後が決まるだろうと取締役達がひそかに話しているのを知っていた。
わが社始まって以来、生え抜きの女性社員として今後、取締役に登れるかどうか、このプロジェクトが運命の分かれ道だった。
大丈夫、私はやってのける。
プロジェクトが失敗するイメージがむしろ湧かない。
これまでも難しいといわれている取引をいくつも成功させてきた。
勤続18年、脇を見る余裕もあまりなく、仕事に邁進してきた。
何故か私には、仕事の道筋は光って見えた。
だから考えるまでもなく、どう采配を振るえばいいかが不思議とわかった。
そして、取り組めば取り組むほどに成果が出た。
そんな私でも、40を目前に控え、ふと思うことがある。
私は何故これほどまでに仕事にのめりこんでいるんだろうかと。

プロジェクト成功に確かな手ごたえを感じながら、ひとり、帰宅する。
私鉄を乗り継いで到着する小さな町の駅。
駅前には昔からの商店街があり、私はコンビニエンスストアに入った。
「あら、明子ちゃん、今日も遅かね」
私が小さい頃は酒屋だったこの店の、オーナーのおばちゃんが私に声をかける。
「うん、仕事が忙しくてね~」
「かっこよかね、キャリアウーマンやけん、明子ちゃんは。お母さんも自慢の娘さんたい」
おばちゃんと一言交わして、線路沿いの小道を歩き家路を急いだ。
向こうから、赤いトレーナーを着た老人がしっかりとした足取りで歩いてくる。
村田さんのところの猛じいちゃんだった。
猛じいちゃんは、認知症で徘徊が酷かった。
家族の隙を見ては家を飛び出し、近所を徘徊していた。
村田一家は居酒屋を経営していて夜は特に忙しく、猛じいちゃんを気にする余裕がなかった。
近所が顔を見知っているこの小さな町の中なら、猛じいちゃんのことを知っていて、うろうろしていても連れ戻すことができる。
でも、町の外を出ると大変だった。
だから猛じいちゃんは、見つけやすいようにいつも真っ赤な服を着せられていた。
異様に目立つ真っ赤な服は、まるで昔の囚人服のようだった。
真っ赤な服を着て町を徘徊している猛じいちゃんは、脱獄に成功し、つかの間に娑婆を味わいながら町を逃げ惑う脱獄囚みたいだった。
私は猛じいちゃんの手を引いて、村田さんがやっている居酒屋に向かった。
「あ、明子ちゃん、ごめんね。こら、おじいちゃん、またウロウロしてから!」
村田さんは、私に申し訳なさそうに言うと、何にもわからない猛おじいちゃんに、大声で怒鳴っていた。
私は猛じいちゃんを村田さんに引き渡して、自宅まで線路沿いをひとり、歩いた。
猛じいちゃん、家に居づらいだろうなあ。
だから、徘徊という形で家から出ていくのに違いない、そう思った。

「ただいまー」
「明子今日も遅かったね、仕事お疲れさま」
玄関の戸を開けると母が出迎える。
「早く手を洗って。今日は豆乳鍋だから」
40歳も近い娘に対して、食事前の手洗いを促す母。
母は清掃やレジ打ちのパートを掛け持ちし、女手一つで私を育て、大学にまで行かせてくれた。
立派に自立しなさい、これが母の口癖だった。
私は母の願いどおり、社会的に立派に自立していると思う。
大学卒業後は名が通った企業に勤め、女性総合職として仕事に邁進し、評価も貰っている。
これ以上の喜びがあるだろうか、母にとって。
苦労した母の背中を見ていて、母娘二人支えあって生きてきた。
母の喜びが私の喜びだった。
でも、いつしか、そんな母の期待が重荷になることがあった。
大学に入学した18歳のころ、同じサークルの男子から誘われてデートに行き帰宅が遅くなると、決まって母の機嫌が悪かったのだ。
学生だし、まだ母の脛をかじっているから仕方ないかなと思っていた。
遅い帰宅になりそうなデートを断り続けていた私は、大学4年間を通じて彼氏が一度もできなかった。
そうして迎えた就職活動で、市内の会社に就職の内定をもらった私は、通勤のためこの家を出ることもできた。
むしろ、仕事に打ち込むためにはそれが自然だったのかと思う。
母も、「一人暮らししてみたら?」と言った。
だけど、私はこの家から離れることが出来なかった。
母はどうなるんだろう?と思ったからだ。
今から考えると、母は私を手放したくなかったのではないかと思う。
言葉では一人暮らしを促したものの、私が家を探すために不動産屋へ寄りもらってきた資料を見ていると、とてもとても悲しそうにしていた。
だから、私は家を出ないことにした。
私の決断で家を出ないことに決めたのだ。
でも、それは果たして自分自身で下した決断だったんだろうか?と今でもふと思うことがある。
働き始めてから、男性社員から二人きりでの飲み会の誘い、デートの誘いが無いわけではなかった。
それとなくいい感じの男性もいることはいた。
でも、彼からのお泊まり旅行の誘いを何故か受け入れられず、幾度となく断っていると、大抵すぐに破局を迎えた。
仕事は順調だった。
でも、パートナーシップに関しての経験は皆無に等しかった。
いくら考えても、どう采配を振るっていいかわからなかった。
どうしていいかわからないうちに、20代が過ぎた。
そして、男性を知らないまま、30代に突入した。
世の中の大抵の人が経験していることを知らないという堪えがたい羞恥心。
女としての堪えがたい屈辱と劣等感を抱きかかえて走った。
手放せばいいのに抱きかかえたまま走って、日常に仕事に埋没して忘れようとした。
幸い、世の中の人の目は節穴で、私がこのような闇を抱えていることに気が付く人は一人もいなかった。
そして、私は40歳を目前に控えようとしていた。

 

「明子、なにぼーっとしてんの、煮立ってしまうわよ、鍋が」
母の声に我に返ると、ダイニングテーブルの上に置かれたカセットコンロの上で、豆乳鍋がグツグツと煮立っていた。
煮立ちすぎて、表面が乾燥した湯葉状になっていた。
私は煮立ちすぎて濃くなった豆乳鍋をつつきながら、今日猛おじいちゃんが線路沿いで徘徊していて村田さんの店に連れて行ったことを母に話した。
「猛さん、あんたが子供のころ、ものすごくかっこよくてやってた料理屋に女がたくさん押しかけてきてたよ。ブイブイ言わせてたって話で、一時期は種馬って陰で言われてたよ。今居酒屋やってる息子以外にも、どこぞやに子供がいるだろうという噂だったけどね」
私は母から猛おじいちゃんの武勇伝を聞いて、無理やり着せられた囚人服みたいな赤いシャツで徘徊している今のイメージと結びつけることができなかった。
女に人気があって種をばらまいていた猛じいちゃん。
そんな奔放に生きていた人も、年をとってしまえば、あんなふうになってしまうんだなあ。
私は夕食を食べ終わり、台所で洗い物をしながらぼんやりと猛じいちゃんの若い頃を勝手に妄想していた。
ブイブイ言わせてたって、そんなに凄かったのか。
今では、160センチメートルある私の身長より小さくなってしなびた体つきで、昔のことなんて想像できない。

洗い物を終え、二階の自分の部屋に行く階段を物思いに上がる。
最近、うっすらと豊かになりつつある腰まわりの肉を感じた。
体つきだけは、既に娘の体ではなくなっていた。
二階の部屋に入り、明日の準備でもしようと通勤のケリーバックの中身を取出そうとした。
バッグの底に、かさついた手触りを感じる。
取り出すと今朝会社でミナコにもらったカンガルーのペニスで出来たコインケースだった。
利き手である右の掌にそっと乗せ、まじまじと見つめた。
赤茶色でどこかしこに皺が寄っている。
私は両手でコインケースを挟んだ。
もっと感触を確かめたかったからだ。
でも、両手で触っただけでは物足りなかった。
そこで、右頬にペニスで出来たコインケースを押し当て、頬ずりしてみた。
ごわついた獣の皮膚がやすりのようにガサガサと私の頬を傷つけそうだった。
だけど私は頬ずりをやめなかった。
今、私が頬ずりしているのは、南半球で生息している獣の切り取った皮である。
だけど、私は獣であれ何であれ、切り取られたペニスに頬ずりしているこの状況にいたく興奮した。
乾燥した獣のコインケースでさえこんなに高ぶるのに、生身の男のモノに頬ずりできたら私は一体どうなってしまうだろうか?
その時は正気を保てないかもしれない。
男の体を知らない私は、そんな意味のない妄想を一人頭の中で繰り広げ、また一つ男の体に対する憧れを募らせるのであった。

それから1週間ほどたち、職場のプレゼンを10日後に控えたある日、深夜近くに帰宅すると母がまだ起きていて、私に告げた。
なんでも、居酒屋の村田さんが、私が徘徊していた猛じいちゃんを連れ帰ってくれたことのお礼として、お店の常連さんの独身の男性を紹介しようとしているということだった。
地元一の大企業に勤めるこの男性は、私の2つ上の年齢で、村田さんから写真を見せられた母によると、結構端正な顔つきだったらしい。
私はとっさに母の顔色を気にした。
長年の癖である。
母が、私が男性と交際するのをよく思わないと思い込み、若い頃は男性の誘いを断り続けていたからだ。
だけど、母はこう言った。
「あの会社の人やったら、いい条件やないの。断るのも面倒やけん会ってみらんね」
私は母がアッサリと言い放ったので、ちょっと拍子抜けした。
そして、私は村田さんが紹介してくれた男性と1週間後に村田さんの経営する居酒屋で会うことになった。

パンツスーツならたくさん持っているけど、男性とのデートに合わせる服なんて、持ち合わせていなかった。
一つだけ持っているベージュのフレアースカートにオフホワイトのカーディガンを合わせ、ヘアスタイルもアップにしているのを、今日は下ろして、揺れるピアスをつけて村田さんが経営する居酒屋に向かった。
「こんばんは~」
「お~、明子ちゃんこっちこっち。この前はおじいちゃん見つけてくれてありがとうね。
森田さん、この女性が明子ちゃん。はい、明子ちゃん、こっちに座りんしゃい。二人ともビ
ールでよかね?」
「初めましてこんばんは。古賀明子です」
仕事では幾多の難局を乗り越えてきた猛者の私だったが、一人の見知らぬ男を前にして完全に舞い上がっていた。
これが取引先やライバル会社の担当だったら、五手六手先の展開まで読んで渡り合うのに。
「こんばんは、初めまして」
相手の男も誠実そうな声で答える。
母の言ったとおり端正なマスクだった。
「はい、ビール」
私が相手の男の顔に見とれていると、村田さんがビールを持ってきた。
グラスビールで乾杯して、お互いの簡単な紹介をする。
そのうち村田さんがこの店の名物であるモツ鍋を持ってきた。
グツグツと煮立つ白濁した鍋。
プリプリで白く光る丸腸、コリコリなハツ、黒ずんでビラビラしているせんまい。
今しがた会ったばかりの男と差し向かいで、つつきあうモツ鍋。
なんともあけすけなシュチュエーションだ。
うまくいけば、私はこの男と今後も会うことになるのだろうか。
そうしたら、そのうち私はこの男とセックスすることになるのだろうか。
モツを口いっぱいに頬張りながら、ちらりと思った。
跳ね返すような弾力溢れる、噛みきれないモツのうごめくような新鮮さを感じながら、煮立つ鍋を覗く。
白く光る丸腸と黒ずんでビラビラしているせんまいが鍋の中で絡み合っている。
私は、鍋の中のモツを見つめながら、まだ経験したことのないセックスについて思いを馳せた。
世の中で想定できる大抵のことは経験してきたつもりだ。
だけど文字どおりセックスは初体験だ。
うまくできるだろうか……
初めてだと相手に悟られたらどうしようか……
いっそのこと、実は初めてだと打ち明けてしまおうか……
いかんいかん、仕事では数々の大勝負を乗り切ってきた私なのだ。
なにを今頃からうろたえているのか、
結局のところ、セックスって臓器と臓器がこすれあうだけの行為なのだ。
今、男と二人でつついているモツ鍋の中で絡み合う丸腸とせんまいのように、ペニスとヴァギナがこすれあうだけのものだろう。
気を取り直して更にモツを口に頬張った。
鍋の中で淫らに絡み合うモツを見つめる。
それから私は、男の顔を一瞥した後、誰にも気が付かれないように胡坐をかいた男の股間に一瞬だけ目をやった。
その一瞥だけで、お土産でもらったカンガルーのコインケースに頬ずりした時のざらついた感触と興奮が鮮やかに呼び起こされる。
この男とうまくいって結婚でもすれば、私はあの実家から出て自由になるのだろうか。
そう考えると、目の前のこの男が救世主のような気がしてきた。

 

モツ鍋デートは話もそこそこ弾み、次回の約束を取り付けて居酒屋前で別れた。
私はひとり、線路沿いの小道を歩いた。
しばらく歩いて踏切に差し掛かろうとすると、パトカーや救急車、そしてわずかな人だかりができていた。
電車も踏切前で止まっている。
何だろう?と思って私は近づいた。
人だかりを分けて踏切に入ると、線路の上に肉片が飛び散っていた。
わ~、さっき食べたモツみたいだ。
白く光る丸腸のような大きな脂身や、ミノみたいな内臓のかけらがあたりに飛び散っていた。
下手くそなスイカ割できれいに割りそこなったスイカのように、叩きつぶれたような人間の頭らしきものも見えた。
そして、その人らしき肉塊は、見覚えのある赤いトレーナーを着ていた。
「猛じいちゃん!!!」
間違うはずがない猛じいちゃんが着せられていた昔の囚人服のような赤いトレーナーだった。
「すみません、この人知り合いなんです」
私は作業しようとしていた救急隊に言いながら、今はもう肉片の寄せ集めになってしまった猛じいちゃんに駆け寄った。
モツ鍋用のモツ1キロ分が入った袋をうっかり落としてしまい当たりに散らばったように肉片が散乱していた。
目の前にだらしなく伸びた黒ずんだ棒のような肉片を認めた。
あの肉片は猛じいちゃんのペニスかもしれない。
そういえばじいちゃんは若いころ、種馬だって言われてたんだっけ。
猛じいちゃんのペニスは、まるで切り取られたカンガルーのコインケースのように、身体から離れて一人ぼっちで線路上に存在していた。
だらしなく伸びたペニスは、今後はもう誰とも触れ合うことはないのだ。
認知症になってからは家族に面倒くさがられていた猛じいちゃん。
そんな家が嫌だったのか、ほとんど毎日のように家を飛び出して徘徊を繰り返していた猛じいちゃん。
「猛じいちゃん、やっと自由になれたね。
よかったね。
猛じいちゃん、私。猛じいちゃんのおかげで、セックスすることになるかもしれないよ。」
私は心の中で猛じいちゃんに報告した。
そして、線路上にだらしなく伸びた黒ずんだその肉片に向かって、心の中で大きく2回柏手を打ち、深く深く2礼した。
野次馬をかき分け踏切を出た後、私は「パンッ」と最後の柏手を大きく鳴らした。
乾いた音が夜の住宅街に響く。
家に着いたら、母に今日のデートうまくいったことを報告しよう。
そして、来週のプレゼンが終わったら、家を出て独り暮らしすることを伝えよう。

 

 

*この記事は、「ライティング・ゼミプロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
「ライティング・ゼミ」のメンバーになり直近のイベントに参加していただけると、記事を寄稿していただき、店主三浦のOKが出ればWEB天狼院の記事として掲載することができます。

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