プロフェッショナル・ゼミ

拝啓、上司様。いつまでも貞淑な妻でいると思うなよ《プロフェッショナル・ゼミ》


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記事:永尾 文(プロフェッショナル・ゼミ)

今日も怒りにふるえながら、急須に熱湯を注ぐ。

男というものはどうして理由もなく偉そうなのだ。股の間にぶら下がる、あのかわいそうな造形のウインナーに一体どんな天命が詰まっているというのか。

茶葉の中で、びちびちと跳ねる湯が、漂白剤で荒れた手の甲に飛び散り赤い痕を残した。私には不要なキスマークだった。最悪。
罰が、当たったのだろうか。
彼らの貞淑な妻である未婚の私が、せめてもの復讐心で泥のように濃い茶を入れることを、どうぞお許しください。神さま。

5年前に他界した祖母の家の台所にも、年季の入ったキッチンハイターが置かれていた。
蛍光緑のボトル。茶色やベージュの溢れる色褪せた日本家屋においてあのボトルは異質だ。鮮やかで毒々しくて、目が離せなかった。あれと同じものが今、会社の給湯室にある。誰が持ってきたのか知れないごま塩の隣に、当たり前のように置いてある。
生まれてから今まで、つまらない男のために何度お茶を淹れてきただろう。
私はリーリーと、受付から鳴らされる忌々しい電話をとり、上司に報告をする。
「○○物流の××様がお見えです」
彼らは顔を上げもせず、「あー、そう」と一言だけ。
その一言で私は用意するお茶がいくつか、察しなければならない。上司が応接室に入る前にお客様用の煎茶をお出しし、すべての準備を終えている必要がある。
ぽん、と私は心のポイントカードに判を押す。
勿論、面会が終わったことも察しなければならない。彼らは何も言わない。自分の席に戻り、神妙な面持ちで腕組みをする。「あー、そう」以外の言葉を知らないのかもしれない。ここでもう一度、判を押す。
何も言わずに席を立ち、応接室を片づけ、茶碗を洗う。シンクに置かれたキッチンハイターが誘うように私を見つめ返していた。
ハイターの粉って、どんな味がするのだろう。苦いのかな。もしかしたら、甘いのかも。
ねぇ、ばあちゃん? あなたも想像したことがあるでしょう?

弊社で(文字通りの『弊』社で)、お茶を淹れることに関して私の右に出る者はいない。
小さな頃から親戚の集まりのたびに、祖母の家で奉仕をさせられてきたからだ。祖母や母に混じり、酔って騒ぐ祖父や父や、叔父さんたちにお茶を淹れ続けた。
命令するわけではない。しかし、手伝うことは決してない。女が働くのは当たり前だと思っているからだ。2歳年下の弟と遊んでいると女の私だけ連れ出され、花嫁修行よと教え込まれた。
「どーまた、奥さんばっか働かしてからー」
叔父さんが囃し立て、
「よかとよかと。こいつァ茶ァば淹れるしか能のなか愚妻たい」
祖父はガハハと笑う。
私にとっては優しい祖父だったが、どうも酒が入ると途端に口が大きくなるところがあって、こういった席での祖父は好きになれなかった。
「あかりちゃんの淹れるお茶はおいしかねぇ」
佐世保のシゲおじさんは私に向かって臭い息を吐く。私はこの人が一等嫌いだった。
「器量よしやし、頭もよかごたし、こらよかお嫁さんになるばい」
あかりちゃんはどがん男と結婚するとねー? と言いながら、こちらに手を伸ばしキスを求めてくるので、
「おじさんみたいにお酒を飲まない人よ」
と言い返してやった。あとで母にしこたま怒られた。理不尽だ。
祖母だけだ、誉めてくれたのは。
「あかりちゃんは、ばあちゃんやお母さんみたいになったらいかんよ」
シンクで茶碗を洗う祖母は、いつも優しい笑顔であった。傍らには毒々しいキッチンハイターが常にあった。蛍光緑が目に焼き付いて離れない。

始めに祖父が死に、次にシゲおじさんが死んだ。
祖父の弟のヤマジおじさん、祖父の妹の夫・古川のおじさん。タケおじさん、ヨシゾウおじさん、スミおじさん。
不思議なことに、うちの男のほとんどは平均寿命に達することなく死んだ。
祖父がいなくなっても長男の家が本家であることに変わりはない。同じく長男である私の父が家長となり、祖母はやはり法事のたびに客人のため茶を淹れ続けた。
ハイターの置かれたあのキッチンで。
微笑みを絶やすことなく。

彼女が逝ったのは、白寿を目の前にした夏のこと。98歳の大往生だった。私が最後に会った祖母は病院のベッドに寝かされてはいたものの、意識ははっきりしていた。会話もできた。しわしわの手を握り、長生きしてほしくて力を込めた。
「ばあちゃん、もうちょっとで100歳だよ。いけるよ、ばあちゃんなら」
「そうかねぇ。でも、向こうでみんなばあちゃんば待っとるけんねぇ」
「みんなって誰ね」
お父さん、シゲさん、ヤマさん、と死んだ男の数を数え、うっとりと目を細めた。
「男はほんなこつ弱かねぇ。すぐ死んでしまう。いい気味」

ばあちゃん。ねぇ、ばあちゃん。ばあちゃんはこのハイターをお茶に溶かしたらどんな味がするか、想像したことがある?
私、何回もあるよ。
ばあちゃんなら、何百回もあったでしょう?
女って何なんやろうね。神さまにおちんちんをつけてもらえんかっただけで、こがん悔しか思いばせんといかんのかね。

「星野さんの淹れるお茶はおいしいよねぇ」
飲み会で隣に座った課長は上機嫌だった。40代半ばにして禿げ上がった頭まで真っ赤に染まっている。シゲおじさんに昔言われたのと同じ台詞で、私の機嫌は急降下した。
「なんていうかさぁ、ちょっと濃いめでしっかり風味が出とる。他の女の子はすぐ出してさっさと終わらせようとするけん、味がほとんどないんよ。ありゃほぼお湯やね、お湯お湯」
「よく蒸らすようにしてますから」
「うーん、愛情たっぷりってこと?」
お前が禿げ上がった理由がよくわかったよ。そのお目出度さが毛根を死滅させるのだ。おお毛根よ、可哀想に!
……なんて、言ってやりたいが、彼はシゲおじさんではなく直属の上司なのだった。
「いやぁ、でも星野さんもうちの会社に馴染んできたね。最初の頃はさ、言わんとお茶出ししてくれんかったやん。正直高学歴の女の子なんて使いづらいと思っとったけど、よくやってくれとるよ」
お願いだからもう黙ってくれ。課長が喋れば喋るほど、喉がひりひりと痛む。
今日は焼酎を飲んでいない。カルピスサワーしか飲んでいないのに、どうしてか痛むのだ。
もう今更、このくらいの言葉で傷つくはずはないのに!

男と女は平等ではない。性差を乗り越えるために勉強もしたのに、社会に出てしまえば女の賢さは非力に思える。
弊社に(文字通りの『弊』社に)就職したとき、必死にのぼってきた梯子を外された気がした。
女性だけに与えられたこの制服は、一種のマーキングだ。お前は結局女でしかないのだと、無言で印をつけられている。
入社当時の私は確かに言われなければ決してお茶を出そうとしなかった。当然じゃないか? 私は彼らの妻でもなければ娘でもない。部下だけれど、他人だ。お茶が必要なら口に出してほしい。幾度となくそう申し出ると、彼らはめんどくさい女、と考えているのだろう、曖昧な笑顔で言い訳をした。私の知る限り、ポーカーフェイスの得意な男はこの世に存在しない。
『そのくらいいいじゃん。だって、他の女の子は言わなくても察してくれるのに』

反抗することをやめた。古くさく時代錯誤な『弊』社で、つまらない男たちのために熱湯を注ぐ。そのかわりに憎悪のポイントカードが少しずつたまっていく。

たとえば、「お茶を3つ淹れてくれ」の一言さえあれば、このポイントカードをビリビリに裂いて捨ててもいい。
せめて「お客様が帰られたから、片づけてくれないか」と言ってもらえたら。
ありがとう、とか、忙しいときにすまない、とか、お疲れさま、とか。労ってほしいわけじゃない。
尽くすことを当たり前にしないでほしいだけだ。
ため息をつくのは簡単だけど、そうはしない。飲み込んだため息の分、憎しみを溜め込んでいく。ポイントカードが満杯になる日は、そう遠くない。ため息をつくことで諦めるのは嫌だった。
誘うように、ハイターが私を見つめている。

喉の痛みは気づけば下腹部に移動して、どす黒い液体をからだの外へ押し出していく。ため息をついた。最近妙に苛々していたのはこれのせいだったのか。
「ごめん、アツヒロ。今日できない」
恋人に選んだ男は当然のように次男だった。
大学時代から付き合っているアツヒロは酒も煙草もやらない、優しい男。結婚を前提に同棲を始めて1年になる。12回もの生理現象を間近で見てきただけに、さすがに察しがいい。
「できない」の一言を発するだけで、おいで、と手を広げてくれるものだから、遠慮なく身を預けられた。低体温のからだにアツヒロの熱がじわりと染みていく。
「よしよし、痛いか?」
「うん。痛い」
温かい彼の手が腰をさする。少し痛みが和らいだ気がした。
「男はずるいよなぁ」
「ずるいかな?」
「うん、ずるい。黙っててもお茶出してもらえるのずるい。準備も片付けもせずにお酒飲んで騒いでても怒られないし、生理ないのもずるい。せめて生理痛だけは毎月経験してほしい。分けてあげたい」
ただの八つ当たり。言いがかり。
でも、アツヒロにだけは理解して欲しかった。
理解してくれると思っていた。
あかりの痛みを半分背負ってあげたい、彼ならそう言ってくれると期待していた。
そんなことはないんだね。彼は笑いながら言う。

「そんなものは俺もいらん」

ぽん。判子が押されたのがわかった。おめでとうございます! ポイントカードは満杯です! 豪華なファンファーレと共にくす玉が割れる。きらびやかなネオンが頭の中でちかちか光っていた。蛍光緑の毒々しいネオン。
最後のマスを埋めたのは、最悪なことに一番の理解者だと思っていたアツヒロだった。
「……そんなもの?」
私の顔を見て彼はたじろいだ。
「今、いずれ自分の子供を生むかもしれない女の生理を、そんなものと言ったのか?」
「あかり、ごめん。そういうつもりじゃなかった」
「違うよアツヒロ。そっちがアツヒロの本音なんだよ。アツヒロだって他の男と同じだ。じいちゃんや、シゲおじさんや、課長と同じ!」
だばだばと涙が出ていた。でもしょうがない。ポイントカードは埋まってしまった。アツヒロのことは好き。本当に優しいひとだと知っている。涙は止まらない。傷ついたわけじゃない、だって今更こんなことで傷つくはずがないのに!
神様、男にそれだけの価値があるのですか。ちょっと太くて、ふにゃふにゃしたウインナーを、意味もなくぶらぶらさせているだけの存在ではありませんか。
私は声を上げて子供のように泣き続けた。「そんなに男が偉いのかよ」と叫び、アツヒロを叩いたり引っ掻いたりもした。彼は「痛い、ごめん、痛い」と繰り返しながらも、私を抱き止めて離そうとしなかった。
やっぱり何だかんだ言ってもアツヒロは、私には勿体ないくらいの、いい男だった。

リー、リー。今日も古びたリースの電話が来客を告げる。
「あー、そう」
課長はやっぱりそれしか言わなかった。
「何個ですか」
「あ?」
「課長の他に応接室に入られる方は、いらっしゃいますか」
察しろと言いたげな表情をするだけで彼は何も言わない。完全にこちらに背を向けてから、何のアピールのつもりなのか、大袈裟なため息をついた。
熱湯がこぽこぽと音を立てる。急須に注ぎ、時間をかけてよく蒸らす。シゲおじさんや課長が褒めてくれた、泥のように濃い私のお茶。おいしさの秘訣は愛情じゃない。憎しみを溜める時間だ。私は少しだけ瞳を閉じて、この茶を口に含む彼らを想像する。
憎たらしい彼らにハイターの味を確かめてもらおうか。苦いのかもしれない。けれど、舐めてみたことがないからわからないだけで、もしかして、意外と甘いのかもしれない。ハイターの溶けたお茶を知らずに飲む男たちを想像するだけで、胸の奥に確かな甘みが広がっていく。
『男はほんなこつ弱かねぇ』
致死量には至らないほんの少しの粒子をとろりと溶かして。
『すぐ死んでしまう』
気が遠くなるような年月をかけて、少しずつ、内側から毒で犯して。
『いい気味』

あの日、私が最後に見た祖母の微笑みは、蛍光緑に染まっていなかっただろうか。

「アツヒロ。お茶にハイターを溶かしたらどんな味になると思う?」
ぐずぐずと鼻をすすりながら、愛する男に聞いてみた。ちゃんと「ごめん」と謝った後で。
「私、いつかアツヒロのお茶にハイターを混ぜるかもしれん。致死量には程遠い分量を何年もかけてさ。ねぇ、少しくらい味が変わっても、私のお茶を飲んでくれる?」
思い出すのは、一際目立つハイターの緑。
アツヒロはひどくゆがんだ私の言葉に、優しくこう諭すのだった。
「ハイター、絶対おいしくないよ。あかりのお茶はせっかくおいしいのに、わざわざまずくすることない」

ハイターに延びかけた手を、一瞬だけ止めて、私は口の端を上げた。
私の愛情を量るというのなら、自慢のお茶で身をもって教えてあげよう。私が彼らをどれだけ憎み、ポイントを溜め続けてきたか。
飴色のお盆に乗せた茶碗が3つ。伸ばした爪の先でほんの少しだけ、魔法の粉を。
ハイヒールの音を響かせて応接室に向かう。口角の上がった唇は、蛍光緑に染まっている。

「星野さん! 今日のお茶どうしたの、香ばしくて、おいしかった!」
応接室から出てきた課長は目を輝かせていた。ごま塩味の愛を少しだけ混ぜた煎茶は、意外にも評判だった。疲れたからだに塩気は効くのだ。もしおいしく感じられたのなら、それだけの話。
ばかだなぁ。男って。こんなのに騙されて。
『いい気味』と、記憶の中の祖母と同じ微笑みを浮かべて、
「愛ですよ。愛」
と答えておいた。ふふ、いつまでも貞淑な妻でいると思うなよ。いつでもこのごま塩をハイターに変える準備は出来ている。

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