チーム天狼院

「夢を追う」という言葉が嫌いになってしまった


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記事:田中望美(チーム天狼院)

嫌いになった言葉がある。

「夢を追う」という言葉。
そういう私は周囲から見れば「夢を追っている人」なのだそうだ。
今までは、「夢」という言葉が大好きだった。

ウォルト・ディズニーの大好きな名言の中には「夢」という言葉があったし、私の人生を大きく変えてしまった本にも「夢を叶える」という言葉がタイトルに入っていた。
大学の卒業論文では、「夢を叶える」ことをテーマにして資料をかき集め、実験やアンケート調査をし、提出した。
自己啓発本が好きで、キラキラ華やかなことも好きで、その代名詞であるような「夢を追う」という言葉に、私は人よりも強く興味関心があった。
何よりも、現実世界でも、アニメやドラマでもなんでも夢を叶えた人、夢を追う人の姿にどうしても心打たれ、その姿が大好きだったし、憧れていた。

だから私は、大学卒業後、夢を追いはじめた。自分もあんな人達みたいになるんだ、あっちの世界に飛び込むんだと張り切っていた。やる気に満ち溢れていた。

けれど……

「のんちゃんすごいね!」
「え? 何が」
「え、だって、夢追ってるって感じが」
「いやいや、そんなことないよ。皆の方がきちんと自分の力で生計立てられてて、働いて、すごいことだよ」

人に会うたび、そんな会話をするようになった。

「最近どう?」
「忙しいけど、充実してます」
「そっか。好きなことやってていいよね」

別に悪気があって言われたのではないことは分かっている。本当にそう思うから言われたのであって、私も真っ向から反抗するようなこともない。けれど、その後に、自分の苦労話や理不尽話がはじまると、先輩であったにもかかわらず、気がつけばこう返していた。

「いや、でも、私も好きなことをするためには嫌なこともきついこともやらないといけなくて、結構しんどいこともありますよ。自分で選んだことだから、言い訳もできないですし」

言ってやったか…….! とも思ったが、それでもなお先輩は、自分の大変さを正当化する理由を述べ続けたので、私は結局、共感し肯定する他なかった。

私の中ではここ数年間ずっと、
こんなに苦しいのに夢を追い続けているままでいいのか。
意味はあるのか?
果たして私はがんばれているのか?
本当に覚悟を持ってやれているか?
私は好きなことをやっているのだから、きついとか辛いとか、弱音を吐くなんていう贅沢なことしてはいけない。

と悩みあぐねていた。

そんな時に、
私の尊敬する人である、天狼院書店の川代店長が、
「夢なんか持たないほうがいいよ」
と言った。

小説家になる、本を出す、とあれほど大きく宣言していたあの大人気の「川代ノート」の店長が、きっぱりとそういうのだ。
夢のことばかり考えていたら、夢に縛られて、自分の可能性狭まるし、夢と現実のGAPに打ちのめされて辛くなるだけだし。

そう言われてみれば、そうだと思った。確かに、今の私は、「夢」のことばかり考えて、今、光の見えない暗闇でジタバタしている。私が陥っている状況を的確に言い当てられた感じがした。

だから、と川代店長は続けた。
「今の自分に求められている目の前のことを、ひたすらやるだけ。そしたらいつの間にか、ふと気がついた時に、たくさんの距離を走ってて、あの時出来やしなかったことが当たり前にできるようになっていたり、何か大きな意義のあることを達成してたりする。夢を叶えるって、結果論でしかなくて、その時求められたことをしっかりとこなしていけば、それが自分の夢になってたりするんだよ」

川代店長もたくさん悩みあぐねた結果、この結論にたどり着いたんじゃないかな、と思った。

これを聞いて、今の私は、求められてもいないことを、ただ自分のためだけにやっているのではないか。それじゃあ、成功するものもしない。独りよがりの夢なんて誰も興味がない。周囲の人に認められ、称賛されてこそ、夢を実現する意味があるのだ。それならば、一度思い切って、今まで努力を重ねてきた自分の夢や目標を捨ててみようかとも思った。一度投げ捨てて、自分の中身をゼロにし、求められていることをやれば、本当に自分のやりたいことや向いていることがわかるかもしれないと思ったからだ。それがたとえ、今の自分がやりたいことでなかったとしても。やりたくなくても、ある程度耐えてやっていたら、やりたいことに変わるよ、楽しくなるよという祖父や川代店長の言葉を信じて。

だけどやっぱり、「夢」を捨てきれないままの自分がいるような気がして、モヤモヤと日々を過ごしていた。

最近、広瀬すず主演の『チアダン』という映画を観た。
簡潔に言えば、福井のど田舎の女子高校生が出来っこないをやってみて、チアダンスで全米制覇したという実話を元にした物語だ。
ほとんどがチアダンスの未経験者で、当然下手くそだったのに、目標を持って必死に頑張ったおかげで、アメリカで優勝することができるところまでに成長したのである。
世界大会で優勝し、先生と仲間たちとボロボロになって、笑い泣きする姿は、本当に美しく、真正面から見ていられないほどだった。どれほど頑張っただろう、辛かっただろう、そしてこの瞬間のためにやってきたことが報われた時、どれほどの幸福感なのだろう。
その映画を観た時、私は何度も涙を流した。感動して泣いたのだ。
そう、人は、その下手くそで何も知らなかった女子高生が、たくさんのことを知り、経験し、成功するという物語に感動するのだ。
当然のことかもしれないが。改めてそう気がついた。

つまりは悲しいことに、一番苦しみ、もがき、夢を追っているだけで、話が終わってしまったら、「夢を追っている途中」の姿には、感動しないのだ。物語のピースがカチッとハマり、完成した瞬間に、人は感動するし、感動が届けられるのだ。人は自分のことに精一杯で、人がどれだけ苦労しているかなんて、関係ないし、なかなか興味が持てないものだ。だから、実現と物語の完成があってこそ、夢を追うという過程が必要であり、その時人は、ようやく関心を抱くようになる。

天狼院書店には、本気で夢を追う人が集まっている。

老若男女、目的もそれぞれ違うが、

プロのライターや小説家になりたい
何か自分を変えたい。
彼氏を作りたい
自分に自信を持ちたい
仕事に役立てて結果を出したい

そんな人達が、天狼院書店で学び、誰にもみてもらえない一番苦しい時間を、切磋琢磨しながら励んでいる。

かくしてここで働く私も、今、
たくさんのことを学び、出来なければ注意を受け、できるようになったことは認めてもらえる。まだ何も持っていない夢だけの私を、しっかりと見てくれる。もし本当に誰にも気づいてもらえなければ、誰からも求められることなく、気付かれずに夢を諦めてしまうかもしれない。だから、もっとよく働き少しずつ、自分ができた分だけ自信を持てるようになってきた。
とはいうものの、まだまだ出来ないことのほうが多く、できた分しか自信にならないため、必死になって工夫して働くようになる。
多分、一人じゃやっていけない。一人だったら、私は、当分前に夢を追うことなんか、諦めている。同じように頑張る仲間がいるから、なけなしの根性で続いているようなものだ。

映画『チアダン』と天狼院書店、そしてうだるような暑さに、私は高校時代のときのことを思い出していた。
私は高校時代の夏を部活動に捧げていた。私も! 俺も! という人は大勢いると思う。お正月以外ほとんど休みなしに活動し、ヘットヘトになるまで練習に明け暮れ、学校の華として、風紀検査に引っかからないこと、規則やマナーを必ず守ること、勉強との両立をすることが踊って良いとされる資格だった。疲労骨折の手前になったこともあるほどだ。あれだけ全力でやっていたのだから、もちろん仲間と過ごした日々は楽しく素晴らしいものだったと思う。けれど、思い返せば、きついことのほうが多かったのも事実だ。
それでもやってこれたのは、一緒に頑張る仲間がいたから。そして、その仲間と、必死に頑張ってステージで踊り、拍手喝采をもらった時の幸福感を感じてしまったからだ。あの幸福感は、一度味わうともう辞められない。チョコレートやタバコ、お酒の依存と同じようなものだ。あの幸福感のためなら、何度だって踏ん張ろうと思える。
観てくれるお客様にとっては完成した物語に心動かされるが、当の本人である感動を届けけたい側にとっては、この夢を追う期間が一番大切で必要不可欠なことかもしれない。

映画『チアダン』のチーム名であるJETSは、ただひたすらひたむきに前向きに目標へと進んでいた。その姿は、うざったいくらい、熱く燃えていた。
落ち込んで、ぶつかるのは、本気だからそんな経験に出くわすのだろう。本気だから、楽しいし悔しいし、やっていける。本気じゃなきゃ、そんな感情は生まれてこないのだ。

そんな彼女たちは「夢ノート」というものを一人一冊書いていた。私はこれ、いいなと思ってすぐさま自分も取り入れようと思った。「夢ノート」とは、今の自分ではできそうにもない夢でもなんでも書き、それを元に、その夢のために出来なければならない毎日の夢を書いていくのだ。毎日の夢を実現させていくことで、夢に近づいていく。こんな名言も聞いたことがある。「夢」は近づけば「目標」になる、と。そしてその姿は、伝播していた。
人の夢や、そのための努力への行動は、周りにとんでもないパワーを与えるのだ。それはダンスだけではない。天狼院書店だってそうであるし、プロ野球や学校の先生がイベントに盛り上がり始めると、生徒もなんだかんだやる気になることと一緒である。大きなことから小さなことまで、全てに言えることなのだ。そしてついにその夢が達成した時、例えば私の高校時代のダンス部の引退公演が成功したときのことを、「青春」だと感じる。

私は多分、いくつになってもこんな青春が好きなのだ。

だから、『チアダン』や天狼院書店など、狂的なくらい大きな夢に向かって一つ一つ前に進んでいく私にとっての「青春」がある場所が好きだ。憧れてしまうし、そこに引き寄せられるかのように足を向けてしまう。ものかきミュージカルダンサーを目指してしまうのも、それだからだ。

ここまで来て夢を追う意味がやっと分かった気がする。私が、考えすぎて嫌いな言葉になっていた「夢を追う」の真の意味は、夢を追って達成したその物語に感動してもらうためなのだ。
だからこそ、こう思えるようになる。必ず実現させなければならない。そして、そのための今を生きよう、と。

すべてが繋がった。
なぜ川代店長が「夢なんか持つべきじゃない」と言ったのか。
なぜ「チアダン」が夢を実現させたのか。
「夢を追ってる」と言われるのが嫌になったのか。

「夢」とは、成功の一瞬だけのことではないのだ。
イチローが誰にも求められていない時から毎日の努力を重ね、今世界に知られる選手になっているように、何も持っていない自分が夢を追い、実現させるそのストーリーすべてが「夢」なのだ。
その意味を履き違えてはいけない、そう強く思った。

「夢を追う」という言葉も、夢を追っている自分も嫌いになりそうだったけれど、ちょっとだけ胸を張れそうだ。
夢を追うことは悪いことじゃない。
かと言って、誰だってやろうと思えばできることなのだから、とびきり凄いことでもない。ただ、その物語を完成させることを放棄しないことだ。

「夢を追う」

やっぱりまだ少しだけ苦手な言葉。だけど、夢を追いかけよう。

***

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