道行く人に「挨拶しなさい」と躾けられた私が東京に住んだら
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記事:天草野黒猫(ライティング・ゼミ平日コース)
ある日のことだった。
「おはようございます」
「……」
返事はなかった。
ここは東京、杉並区の路上。
ちょっと怪訝そうな目をして、その女性は通過していった。
九州の田舎から上京して1週間。
会社に通勤しようとアパートから駅に向かう途中だった。
私は、田舎の島育ち。
祖母から、道で人とあったら必ず「挨拶しなさい」と躾けられて育った。
田舎の町では、会う人毎に挨拶をする。
朝は「おはようございます」
帰る時には「こんにちは」「こんばんは」
とにかく、知っている人にも知らない人にも挨拶をする。
相手も同じように挨拶を返してくれるのが普通だと思っていた。
そんな私が上京し東京に住んで最初の戸惑い。
「おばあちゃん、道行く人に挨拶していたら会社遅れる!」
だった。
田舎ではめったに人が通らない。
しかし、東京という大都会ではとにかく人にあう。
会う? いや、通過する。
電車のホームで改札を通る時に挨拶していたら大変だ。
それこそ、今でいう「空気よめ!」の世界だ。
ケースバイケース。通勤で人とすれ違う時に挨拶は必要ない。
電車の中でもそうだ。
みんな、幸運に座席に席をおろしたら寝ていたい。
スマートフォンを見たり、自分の世界に入りたいのだ。
それは、通勤1日目にして田舎者の私でもすぐ理解できた。
だとすれば、どの範囲まで挨拶したらいいの?
試してみていた。そして、怪訝そうな顔をされたのだ。
それに住まいから駅までは、そんなに人通りはないかな?
と思っていたら、結構これが人が通る。
田舎でいうお祭りの時のようだ。
2,3人で挫折した。
だったら、ビルの中はどうだ。
毎日のように、みんな同じビルに入るんだから。
いやいや。ここも多い。
朝の通勤の満員ぎみのエレベーターでの挨拶。
とんでもない。とても声を掛け合える場所じゃない。
思わず先輩に
「挨拶って、同じフロアーの人にもしますか?」
と聞いてみた。
これまた少し困った表情で
「そうね~。会釈でいいんじゃない?」
という事だった。
そうか。その距離感なんだ。
田舎と都会。挨拶の距離感の違いは新しい発見だった。
そんな発見から数か月。
私はしだいに、この都会の距離感になれていった。
通過していく人は、まるで田舎道の樹木のごとく通りすぎる。
無言で通過することもお手のものになってきた。
アパートのご近所の方と顔を合わせることもめったにない。
挨拶は、だんだんと同じ会社の人。
友人、顔見知りの人だけになっていった。
そんな都会の距離感が身に沁みついた頃。
私は、何十年ぶりかに田舎の島に帰ることになった。
久しぶりの島暮らし。
日々の日課のウォーキングに出かける。
その時だ。
目の前の坂道を、元気に通学中の女子中学生が自転車で下って来た。
「おはようございます」
彼女は、明るい声でそんな言葉を響かせて通り過ぎて行った。
はっ! とした。
かつての私がそこにいた。
次に会った年配の人、連れ立ってウォーキング中のご夫婦。
会う人ごとに挨拶をかわしてくる。
つかれて、こちらも挨拶を返す。
なんとなく、笑顔になる。
そうだ。これが田舎の距離感だった。
田舎では、今でも道行く人にも挨拶をするのだ。
時がすぎても、この距離感はあまりかわっていない。
なつかしさ共に、うれしくもなった。
と、同時に改めて挨拶で都会と田舎の距離感を考えた。
なぜ、田舎の方では道行く人にも挨拶をかわすのか。
それは、きっと農業や林業、漁業など家族や家単位で仕事をしているからではないか。
会社という組織がないからこそ、隣近所や町での協力体制が必要となるからだ。
そもそも、挨拶は「あなたの敵ではありません」という表現のひとつだという。
協力体制を作る範囲に人は挨拶をしているのかもしれない。
最近は、いろいろな犯罪の影響で、子供に知らない人に挨拶をしてはいけないという。
さみしくもあるけれど、農耕民族ではなくなりつつある日本。
それもひとつの手段。敵を見分けられない子供には有効なのかもしれない。
これもきっと、現代の生んだ距離感なのだろう。
距離感は、それぞれの生きる場所で違う。
だからこそ、都会から田舎に来たらまずは挨拶の距離感の変更。
移住でうまくいかない人がいたら、とりあえず挨拶から始めるのもいいかもしれない。
挨拶は空気を変える。距離感を変える。
そういえば、アイヌ語では、「こんにちは」は「イランカラプテ」
「あなたの心にそっと触れさせていただきます」というそうだ。
そんな思いで笑顔をかわすのは、ステキかもしれない。
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