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【12月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《日曜コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事 : 伊藤 剛 (ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
「お前自身のことだ。じっくり考えろ」
 
そう言われても、もうすでに僕の中で結論は出ていた。
これまで、プロサッカー球団の下部組織にあたるユースチームの一員として、小学四年からずっと続けてきた。
ある日、突然呼び出されたクラブハウスの一室には、いつもグラウンドで会う顔とは、異なる雰囲気のコーチが座っていた。
「お前は、将来のことをどう考えてるんだ?」
まるで学校の先生のように、親指の上でくるくるとペンを回しながら聞いてくるもんだから、
「とくに考えてないっすよ」
と笑いながら返したが、大事な時期だからじっくり考えた方がいいと真剣に言われた。
この時、様々な選択肢があったが、僕の中の結論というのは、少なくとも「サッカーでプロの道はもうないな」ということだった。
 
サッカーを始めたのは兄の影響だ。
小学生の時、二つ上の兄が先にジュニアユースのセレクションを受けて、見事に合格した。
兄はとても上手で、すぐにチームの中心人物となり、僕はその後を追うように入団した。
最も、実力で入団したと言うよりは、「あの兄の弟」というアドバンテージがあったに違いない。
実際に、チーム内で僕のレベルは下の方だった。
兄とは対照的に、身長が低く、身体が細い方で、ついたあだ名は「ガイコツ」だったくらいだ。
これといった特徴もない選手だったため、ほとんど試合に使われることはなかった。
 
基本的に兄には憧れを抱いていたのだが、一方で兄と比較されることを僕は嫌った。
「兄はすごいけど、お前は大したことないな」
そんなふうに思われているんじゃないか、そう考えるだけで悔しかった。
「なんとか身体を大きくして、みんなを見返してやる!」
そう心に誓い、猛特訓の日々が始まる。
サッカーが休みの日は、学校の放課後の時間を使って、兄に教わりながら自主トレに励んだ。
身体造りのために、毎日ご飯をお腹が痛くなるまで詰め込み、牛乳を2リットル近く飲んだ。
ところが、すぐに成果が出るわけでもなく、そのまま小学校卒業の時期がやってくる。
中学のユースに上がるためには、再びセレクションがある。
僕は自信がなかった。
 
「お前の良いところは、負けず嫌いなところだよ」
不安な気持ちのままセレクションの日を迎えた僕に、一人のコーチが言った。
空は努力を見ているというが、ここにも見てくれている人がいたようだ。
そのコーチの推薦があったのか定かではないが、僕は中学のユースに上がることができた。
中学に入って間もなく、努力の成果だろうか、どんどん身長が伸び、気がつくとチームで三番目に空に近かった。
そしてついに、ライバルからレギュラーを勝ち取ることができた。
僕の世代はとても強く、中学二年の時には全国大会で準優勝を成し遂げた。
恐らく、中学生の頃が僕のサッカー人生の黄金期だ。
「もしプロのサッカー選手になれたら……」
そんな妄想をするには十分な実績をつけていた。
 
「ちっくしょう!!」
高校でもユースに上がることができたのだが、そのまま順風満帆とはいかなかった。
プロのスカウトも試合を観にくる二年の大事な時期、練習中に膝の半月板を損傷してしまったのだ。
手術をして、半年間程の長期離脱を余儀なくされた。
高校のユースでは、今までよりもさらにレベルの高い選手が入団しており、ライバルが結果を出していくのをベンチから眺めていた。
本当に悔しくて、涙を流したこともあった。
しかし、サッカーができない日々の中、リハビリもそこそこに、僕はあろうことか遊びまくっていた。
高校の不良グループにスタメン入りし、非行に走ってしまったのだ。
モヤモヤした気持ちを晴らしたかったのかもしれない。
リハビリをサボっていると、コーチからは「やる気がないならやめろ!」と叱られた。
 
一方で、チーム内にはナショナルトレセンという、いわゆる日本代表の選手が誕生していた。
他にもプロになりそうな成長株が数人おり、そんな中で僕はなんとか怪我から復帰を果たした。
しかし、ライバルがメキメキと力をつけていく中、半年のブランクは大きかった。
この頃から、毎週火曜日の走り込みや、休みが週に一度しかないことを不満に思い、練習に行くのを億劫に感じていた。
「サッカーがなければ今頃友達と遊んでいるんだろうな」
などと思っていた。
チームメイトとの会話では、はっきりプロになりたいという言葉を口にする者もいれば、別の進路を考えている者もいるようだった。
 
高校卒業を迎え、結果的には、ずっとプロになることだけを考えていた3人の選手だけが、プロ契約を果たしていた。
もちろんプロ志望の全員がサインできたわけではないが、少なくともこの3人は、他の選手とは違った。何が違ったのかというと、技術や能力といったものだけじゃない。
それは圧倒的な熱量だ。
三年か、六年間以上共に過ごしてきたチームメイトだからこそわかる。
練習が終わってからも自主トレをする姿、どんなにきつい練習でも文句一つ言わずに直向きに取り組む姿勢。そのサッカーにかける熱量が違ったのだ。
当然、僕もサッカーが大好きだったが、「他のことが気にもならないくらい好き」というレベルではなかった。
 
「お前は将来のことをどう考えてるんだ?」
高校二年の終わり頃、これまで小学生の頃からずっと育ててきてくれたコーチの質問に、第一声で「プロになりたい!」と応えられない自分がいた。
だからこそ、その時にはっきり結論は出ていた。
「手塩にかけて育ててきた子供だから、はっきり言うと悲しむんじゃないか?」などと、何ともおめでたい思考の持ち主は、笑みを浮かべながらはぐらかしたが、コーチは続けた。
「お前の負けず嫌いは才能だ。それを活かせる道は必ずある。大事な時期だからじっくり考えな」と。
その後も進路について迷っていると、いろいろと相談にのってくれた。
本当に心から感謝している。
 
コーチは、時として自分の才能に気づかせてくれたり、モチベーションを高めたり、ポンッと背中を押してくれた。
親や教師が指導者ならば、僕にとってコーチは人生のパートナーだ。
今考えると、「やる気がないならやめろ」というのは、ただ叱っているわけではなかった。
他にも選択肢はあるということだ。
現在、僕はその数ある選択肢の中で、「他のものが気にもならないくらい圧倒的熱量を注げるモノ」をついに発見することができた。
それは、クライアントのパートナーとなり、人生の次のステージへ導く”コーチング”という職業だ。
僕が恩師から受け取ったバトンを、今後も多くの人に繋いでいきたい。
 
 
 
 
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2019-11-28 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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