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齢32にして、コーヒーを愛でるに至る。


記事:平田 智香(ライティング・ラボ)

 

まさか自分が、寒空の中、小一時間も並んで
1杯のコーヒーを求めることになろうとは……。

今年のはじめ、清澄白河にある某コーヒー専門店に行った時の正直な気持ちだ。

思い返せば、私が「コーヒーを好き」だったことは、
この30余年の人生のなかで一瞬たりともなかった。

私はもともと、19世紀のイギリス文学に憧れ、
もっぱら紅茶をたしなんでいた。
紅茶図鑑や美味しい紅茶の淹れ方という内容の本を読み漁り、
さまざまな銘柄の特徴まで研究しては、
給料の大半を茶葉に換えてしまうという病的なまでの「紅茶フリーク」である。

ついでに言うと、煎茶とお抹茶は、その道のプロに師事したことがあるので、
淹れ方にちょっとしたこだわりを持っている。
また、中国茶についても、わざわざ台湾で茶葉を仕入れ、中国茶器を使って淹れるくらいには好きだ。

しかしである。

コーヒーは駄目だ。

あの独特の匂いがまずダメ。

その部屋すべてを支配するほどの強烈な存在感が、とても受け付けない。
喫茶店やカフェに入る時は、それなりに覚悟をしているので耐えられるが、
意識していない時に、突然、あの香りが漂ってくると、
私はピリリとした空気をまとって周囲をきょろきょろし始め、
香気発生地点を視認すると、そっと体の向きを変える。

そして、口に含んだ時が猛烈にダメ。

口といわず、鼻といわず、あらゆるところから体の内側を侵食してくる気がするのだ。
あの匂いが、茶色くて温かい液体とともに体全体に流し込まれ、かけ巡り、一気に「支配」されてしまうのだから、たまったものではない。

コーヒーこわい……。

なんで、私はこんなにもコーヒーが苦手なんだろう。
コーヒー牛乳は好きなのに。

よくよく考えてみたら、一つ、思い当たることがあった。

「お父さん」だ。

うちの父は、工場で働いていた。
私が小さい時は、大量のタバコと大量のコーヒーを
毎朝、毎晩、リビングでのんでいた。

私は、父の「くさーい」感じと、
職人気質の「こわさ」と、
紫煙くさくなった服で学校に行かなければいけないみじめさとで、
「お父さん」と「タバコ」と「コーヒー」を一緒に嫌いになった。

学校から帰ってきて、キッチンの流しを覗くと、
そこには、朝、父がコーヒーを飲んだまま洗わずに放置されたマグカップが置いてある。
茶色くなっている、そのカップの内側を見るだけで、
あの嫌な臭いがよみがえってくるようだった。

「におい」は、人の記憶ととても関係が深いという。

記憶の中の小学生の私は、今もあのマグカップの茶色い感じが嫌いだし、
ヘビースモーカーで、テレビのチャンネルをいつも阪神の試合にしてしまう、
そんな父親が苦手である。

でも、今の私は違う。

私は、お父さんが大好きだ。

それは、自分が何年もかけてつかんだ気持ち。

私が高校2年生の時、父は突然「禁煙」し始めた。
それから、コーヒーもそれほど飲まなくなった。
その時、ちょっと父のことが好きになってきた。

就職して上京してからは、帰省して父と会っても、
私の好きなお寿司を食べにいくことがほとんどで、
父が「コーヒー」を飲む姿なんて、とんと見かけなくなった。

そして、5年前。
父が「肺がん」で入院してから死ぬまで、結局、一度もコーヒーを飲む姿を見なかった。

幼いころは、働くことがこんなに大変なこととは知らなかった。
毎日まいにち、工場で汗と油にまみれながら働くことが、どれほど大変か、分からなかった。

「宝物は、二人の娘です」

父は、生前、自分で作ったつたないホームページの最後の欄に、そう書いていた。

お父さん、こんな娘でごめんよ。
愛してくれて、ありがとう。

でも、うまく伝えられなくて、
コーヒーも嫌いなままで、ごめんよ。

自分が働き出して、どんどん父への尊敬の想いが増していく。
それはもう、毎日のように……。

お父さん、
私も32歳になりました。

おかげで、コーヒーも飲めるようになりました。

ついでに言うと、
家族でブルーボトルコーヒーに行って、
わざわざ並んで、「おいしいコーヒー」を買い求めるようにまで成長しました。

私は、今日もコーヒーを飲む。
職場に向かう前にカフェに立ち寄るのだ。

あの香りに包まれるだけで、「よし、今日も気合いれて頑張ろう!」と思えるから。

 

***

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