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勉強のできない僕が教師をやったらどうなったか

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*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:高木信幸(ライティング・ゼミ冬休み集中コース)
 
 

「ほうきみたいだな」
 
 
と僕は思った。
 
 
よく晴れた昼下がり。
 
 
普段は車での移動が多けど、無性に歩きたくなって、家を出た。
 
 
近所の公園の前を通った時だ。
 
 
葉っぱを全部落として、枝だけが剥き出しでほうきみたいな桜の木がそこにはあった。
 
 
春になったら満開の桜を咲かせて、人々心のそこから感動させる桜の木が、冬の間はこんなにもみすぼらしくいるということを改めて感じた。
 
 
冬の間は誰にも認められることなく、ただじっと耐えて、春の訪れを待っているんだな。
 
 
ただじっと耐えて。
 
 
昔、何かの本で読んだことがある。
 
 
桜が美しく咲くためには、冬の寒さが必要だと。
 
 
冬が暖かいと、桜は春が来たと勘違いして早めに咲いてしまい、本来の美しさを発揮することは出来ない。
 
 
つまり、キレイに咲くためには冬の厳しい寒さが必要条件ということだ。
 
 
厳しい寒さを乗り越えるからこそ、春になったら美しい花を咲かせ人々の心に影響を与える。
 
 
なんだか、人生に似てるな、と歩きながら思った。
 
 
僕は、塾の教師をしていた。
 
 
勉強も苦手、人前で話すのも苦手、子どももそんなに得意というわけではない。
 
 
「オイオイ、なんでお前が教師なんてやってんだ」
とツッコミが飛んできそうだが、
 
 
人のご縁とタイミングが重なって、塾の教師という道を選択したのだ。
 
 
当然だけど、全く上手くいかなかった。
 
 
学がないから、授業に出ても教えることがない。
 
 
50分の授業時間を与えられたのに、30分くらいで自分が用意した内容を終えてしまいテンパる。
 
 
残りの20分どのようにして乗り切ったか記憶がない。
 
 
生徒の前に立つ度に足が震えた。
 
 
授業中にお喋りしている生徒に注意が出来ない。
 
 
寝ている生徒も起こせない。
 
 
生徒に名前も覚えてもらえない。
 
 
終いには授業後、生徒から「先生は来週はもう来ないよね?」と言われる始末。
 
 

自分のダメっぷりをあげ出したらキリがないからここで辞めておくが、まぁヒドかった。
 
 
保護者からクレームが来なかったのだけが、唯一の自慢だ!
(自慢することでもないが)
 
 
しかし、そんな僕が2年後にはNo.1教師になるのだ。
 
 
No. 1教師になれた理由。
 
 
それは、
学が無かったこと、
子どもが苦手だったこと、
人前で話すことができなかったことだ。
 
 
一見するとダメな要素に思えるが、僕は学が無かったから、勉強の出来ない生徒の気持ちが痛いほどよくわかった。
 
 
生徒の気持ちに寄り添うことができた。
 
 
「なんでこんな簡単な問題もできないんだ」「何度言ったらわかるんだ」と頭の良い先生がよく言いそうな言葉を僕は使ったことがない。
 
 
「わかるわかる、そうだよね。どうしたらできるか一緒に考えよう」
「どこが分からなかった。わかるまで一緒に頑張ろう」と励ます姿勢を取り続けた。
 
 
別に戦略的にやったわけではない。

 
 
本当にできない生徒の気持ちがわかるから、自然とそんな言葉が出てきたのだ。
 
 
そうすると面白いもので、生徒の方から自然と寄ってくるようになり、信頼を得ることができた。
 
 
そして、子どもが苦手だったこともプラスに働いた。
 
 
苦手だからこそ、生徒の良い所を見つけようと必死になった。
 
 
良い所が見えれば好きになるだろう、と持論を展開したのだ。
 
 
そうすると、面白いように良いところが見えてくるだの。
 
 
今まで僕は、子どもはうるさい、言うことを聞かない、わがまま、と悪いイメージばかりを見ていた。
 
 
だから、苦手だった。
 
 
でも、見方を変えた。
 
 
そしたら、子どもたちってこんなにも素晴らしいんだ、ということに気が付くことができた。
 
 

僕は、褒める天才になれたのかもしれない。
 
 
よく保護者からは、「先生はよくうちの子を見てくれていますね」と嬉しい言葉を頂いた。
 
 
これも、子どもが苦手だったからこそ生まれた発想だった。
 
 
さらに、話が苦手だったから、僕は必死に練習した。
 
 
人前で話せないから、人がいないところで練習した。
 
 
車での移動中や、お風呂の中、そして誰もいなくなった授業後の教室で。
 
 
僕は話すのが苦手だったわけじゃなく、単純に経験が無かっただけだったんだ。
 
 
練習すれば、話ができるということがわかった。
 
 
練習するための、お手本を探した。
 
 

先輩・上司、テレビやユーチューブで話が上手いと言われる人の話を聞きまくった。
 
 
そして、それを見本に練習を重ねた。
 
 
自然と話ができるようになっていった。
 
 

話が苦手で、自分ではどうしようもできないという状況が、人を真似しようという発想に至り、今では人前で話すのが得意にまでなった。
 
 
生徒からは「先生の話を聞くとやる気が出る」「感動しました」と言ってもらえるようにまでなった。
 
 
こうして、約2年の下積みを経て、僕は塾生が選ぶNo. 1教師になることができたのだ。
 
 
初めから順風満帆だったわけじゃない。
 
 

仮に、初めから学歴が高く、子どもが好きで、人前でスラスラ話ができていたら、ここまで努力して来なかったと思う。
 
 
そしたら、もっと薄っぺらい教師になっていたと思う。
 
 
僕は逆境からのスタートだった。
 
 
2年間、全く日の光を浴びなかった。
 
 
誰からも認められなかった。
 
 
寒く厳しい冬の時代があった。
 
 
だからこそ、子どもの心に影響を与えることができるようになったのだと今振り返れば思う。
 
 
これから、桜の咲く季節がやってくる。
 
 
桜を見る度にこの気持ちを忘れずに、上手くいかない時があっても耐え忍べばきっと上手くいくと信じてこれからも生きていきたい。
 
 
そういえば、誰かが言っていた
 
 
「冬来りなば、春遠からじ」
 
 

これって本当だ。
 
 
 
 
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2020-01-05 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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