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子どもが肩こりにならないのは


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:関口 早穂(ライティング・ゼミ冬休み集中コース)
 
 
「ねぇ、どうして子どもは肩こりにならないの?」
 
「凝るほどの筋肉がないから」
「疲れることをしていないから」
ぼーっと生きている私は、正解を答えられずに今日も5歳児から叱られる。
 
肩が痛いなぁ……なんて初めて思ったのは一体いつだったのだろうか。
ぼんやりと考えてみる。全く思い出せない。ただ肩こりも腰痛も知らなかったころがあったことは確かだ。
「ここ、カチカチにこってますね」
「ここに大きなかたまりがあって、それが原因ですね」
今の私ときたら、マッサージや整体に行くのが趣味になってしまった。
 
「子どもは無駄な動きが多いから」が理由だという。
無駄な動き?
そもそも、無駄な動きってなんだろう。
確かに、子どもたちを見ていると、じっとしていない。
ふにゃふにゃしてみたり、話している人と違う方向を向いてみたり。
次から次へと興味が移り、キョロキョロする、自然と体が動く。
全身で感じ、全身で表現し、全身で遊んでいる。
 
でもこれは、子どもたちにとっては無駄でも何でもない。
どうして大人になるとそれらが「無駄」という考え方になってしまうのだろうか。成長によるものなのだろうか。
 
赤ちゃんを考えてみたい。
手を広げてみたり、何かをつかんでみたり、足を持ち上げては下ろしてみたり。
確かに意味を持つ前から自由に手や足を動かし続けている。
ただ、赤ちゃんの動きを無駄だという人なんていないだろう。
それがどうして成長するにしたがって、「きちんとしなさい」「おちついて座りなさい」に向かって行ってしまうのだろうか。
 
世間体を知るにつれて、自分の行動を制限している大人。
理由をうまいこと言って子どもを納得させることができていない大人。
子どもに言っているそばから自分は結果として肩こり腰痛に悩まされている大人。
大人って、なんだか哀しくておかしい。
 
小さい頃の私はご飯を食べるのが遅く、よく怒られたものだ。
「ごはん中なのにいつも、伸びたり縮んだりしてたよね」
「背筋を伸ばしてみたり、腕を上げてみたり……」
今では考えらないくらいに食に興味がなく、ご飯が進まない子どもだった。結果ご飯が進まないので、だんだん飽きだした私は無駄ないつも背筋や腕を伸ばしてみたり、縮ませてみたりしていた。
 
確かに。
今の私は、伸びたり縮んだりしなくなっている。
自分の中の無駄がなくなっていることに気が付いた。
 
合理的に、無駄がないように。
そういうことで世の中は発展してきたとは思う。
しかし、その中で失われてしまったものも確実にあるのだろう。
 
スマホ1つで何でもできる時代である。
世界の端っこで起こったこともSNSを通じて知ることができる。
買い物に出かけずとも、クリックするだけで商品が自宅に届く。実に便利だ。
だがそのことを理解した上で、体を動かして何かを手に入れに出かけたり、作ってみたり、風を感じてみたり汗をかいてみたり。そういう根源的な原始的な動きを見直す必要があるのかもしれない。
 
肩こりは、血流が悪くなって、筋肉に老廃物がたまることが原因で起こるという。
「血流の悪さ⇒肩こりになる」
「世間体を気にしすぎる⇒行動に制限がかかる」
この考えの流れは他にも使えるような気がする。
「今ある常識がすべてだと思う⇒新しいアイディアを受け入れなくなる」
 
「こうすることが当たり前」
「みんなそうやって仕事してるんだから。自分だって我慢しなきゃ」
「私だけこんなことやってたら、周りになんて言われるか」
「今年も去年と同じでいいよね」
「慣れてるから、この方法で」
 
マッサージや整体に行った時のように、凝りが触って分かるわけではない。だが思考パターンや脳も確実に凝り固まっていくことに気が付く。
 
「このお菓子ほしい」
「そんな無駄なもの、いらないでしょ! 」
 
小さい男の子がスーパーのお菓子売り場で母親から言われている。
 
もしかして……
 
それは無駄だ、と心に蓋をされてしまったこと。
ほしいけど無理だと思っていること。
やりたくてもできないと思い込んでいること。
もう子どもじゃないんだから、とあきらめたこと。
逆に、本当は大人になったらやってみたかったのにということ。
 
成長するにしたがって、怒られないように過ごすコツを知り、だんだん世間がはっきりと見えたり聞こえたりしていく。その分聞こえなくなっているのかもしれない。
 
自分の心の声が。
 
無駄の正体は、自分の体から出てきている心の声なのかも知れない。
それを大人になるにしたがって、自分でも聞こえないふりをしていると、本当に脳までカチコチに凝っていってしまう。
 
「無駄に」伸びをしてみよう。
「無駄に」ちょっと寄り道してみよう。
「無駄に」好きだったことを許してみよう。
 
一見無駄に見える動きやアイディアは、自分の本当の気持ちを見つけることに一役買うことになるかもしれない。
 
困りごとのヒントは案外足元にある。
大人の「無駄」には、まだまだ手つかずの宝が隠されていそうだ。
 
 
 
 
***
 
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2020-01-07 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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