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メディアグランプリ

ウチの正月は墓参りから始まる


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記事:細井典子(ライティング・ゼミ 冬休み集中コース)
 
 
「今年もまたウチだけ」
 
 
隣を歩いていた娘が不満そうにそうつぶやいたのは、正月恒例の墓参りでのこと。
市内にある菩提寺の敷地内に自分たち以外人影もなく、あたりはシンと静まり返っていた。
 
 
「当たり前じゃん、元旦から墓参りするヤツなんていないよ。しかも朝っぱらから。なんで墓参り?今日じゃなくても良くね?」思春期の息子もポケットに手を突っ込んでぶつぶつ言う。
 
 
ウチでは当たり前のように行われている「元旦の墓参り」。母が嫁いできた時にはすでに恒例行事になっていたというから、かれこれ半世紀以上続いていることになる。多い時は親族中が集まり10人以上で朝から墓参りしたこともあったが、今年は実家の父と母、私と子どもたち2人の5人だけだった。
 
 
入り口から少し入った場所にある実家の墓。ザッザッザッと砂利を歩く自分たちの足音だけが響く。墓に隣接している火葬場は、いつもなら煙が出ているが、さすがに元旦は稼働してない。音もなく静かで、なんだか不気味だった。家名の書かれた墓の前に着き、花と酒を供え、私たちは順番に線香を上げた。胸の前で手を合わせて黙とう。続けてこう言う。
 
 
「あけましておめでとうございます」
 
 
いくらなんでも、お墓で「おめでとうございます」は場違いすぎる。
 
 
昔、友だちに正月に墓参りすると話したら「気持ち悪い」と言われたことがあった、確かにそう。正月のあいさつを墓の前でする家族の姿は異様で、はたから見たら怪しい宗教かと思われるかもしれない。
 
 
小さい頃は、親に連れられてなんとなく墓参りに行っていたが、思春期になると面倒がって行かなかったり、駐車場でケータイをいじりながら待っていたりした。「ウチの家族は気持ち悪い」「何で元旦から」と息子と同じように悪態をついたこともある。しかし、そのことで親や祖父母に怒られたり「行きなさい」と強制されたりしたことはない。大人になった今ならその理由が分かる。
 
 
元旦の墓参りを始めたのはたぶん祖父だ。
 
 
大正生まれの祖父は戦争で満州に渡り、青春時代のほとんどを国外で過ごした。暗号を解読したり伝達を暗号化して送信したりする通信部隊にいたから最前線ほどの危険はなかったというが、食べるものも着るものもなく、飢えや負傷で死んでいく仲間を、一人また一人と置いて行かなくては生きられない過酷な状況は他の部隊と変わらなかったと思う。
 
 
祖父は戦争の辛かった部分をあまり話さなかったので悲惨な部分は知らない。その代わり「それがさ、傑作なんだよ」とにこにこしながら、夜中に寄宿所を抜け出したとか仲間といたずらをしたとか上官の下痢が止まらなくておかしかったとか、とにかく笑い話をたくさん聞かせてくれた。ただし、いつも最後に「まさか帰って来られるとは思ってなかった、幸せだ」と言っていた。
 
 
平和な時代に戦争を想像するのは難しいが、祖父の話と正月の墓参りがつながっていると大人になって気がついた。
 
 
「一休さん」の話を読んだことがある人ならご存知だろうか。一休さんが正月に「ガイコツ」を手に町を歩き、周囲にこう説く。「人は1日1日、死に向かっている。新しい年を迎えたということは死が近づいたということ」正月が来てめでたいと浮かれていてはいけないよ、という戒めの話。
 
 
戦争という生死を分ける状況で正月を迎えていた祖父。死が近づいている中で新しい年を迎えられたことは、本当にめでたいありがたい。正月の「あけましておめでとう」にはそのことを確認する意味があったんじゃないか。
 
 
気がついたのは東日本大震災があったからだ。あの時も生死を分ける状況で、私は子どもを抱えて震えていた。余震が止まらず、緊急地震速報が鳴り響いて、夜が怖かった。眠れなかった。無事に朝を迎えられて泣いた。ああ、生きてる。ありがたい。そう感じた。
 
 
自分でも変わったと思う。それまでは恥ずかしくてごにょごにょと小さな声で言っていた墓前での「おめでとうございます」も、しっかり言えるようになったし、元旦に早起きするようになった。何より「なんとなく」線香を上げていたのに、新しい年を迎えられる感謝の気持ちを込めて手を合わせるようになった。
 
 
今なら分かる。
 
 
墓参りは先祖のためでも祖父のためでもなく、自分のために手を合わせている。そして正月は特に、生きていることに感謝する時間だということが。
 
 
もしかして、近い将来子どもたちは一緒に来なくなるかもしれない。年頃になって家族の時間より大切だと思うものが出来るかもしれない。私はたぶん「いいよ」と言う。強制はしたくない。
 
 
そのかわり祖父母がずっとそうしてくれていたように、私も子どもたちに墓参りの姿を見せ続けたい。続けていればきっと、いつか自分で何かに気がつくはずだから。
 
 
「あけましておめでとうございます」
 
 
今年もまた、ウチの正月は墓参りから始まる。
 
 
 
 
***
 
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2020-01-09 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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