コップのふちまでギリギリいっぱい
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記事:高橋実帆子(ライティング・ゼミ日曜コース)
「時々思うんだよ。家族って、ふちまでギリギリいっぱい水を満たしたコップみたいだなって」
Yさんは、少し困ったようなほほ笑みを浮かべて私に言った。
15年前、私が勤めていた会社の上司だった人だ。定年退職を間近に控えていた。退職後は、好きな映画を見て、家族とゆっくり過ごすのだと語っていた矢先、病気が見つかった。かなり進行していて、手術も難しいということだった。
Yさんには、障害を持つお子さんがいた。Yさんに何かあれば、奥様がたったひとりで、さまざまな重荷を背負うことになる。当時まだ20代半ばだった私は、そんなYさんにかける言葉を見つけられずにいた。
「コップ……ですか?」
私は仕事の手を止めて聞き返した。
「そう」とYさんは頷いて、左手で水を満たした見えないコップを持ち、右手のひらでそのふちを撫でる仕草をしてみせた。
「こんなふうに、もうこぼれるんじゃないか、限界なんじゃないかと思うんだけど、その度に、ギリギリのところで水が溢れないようにできている。家族って不思議なものだよね」
眼鏡の奥のやさしい目を光らせて、Yさんは私をじっと見た。
今、何かすごく大切なものを受け取った、ということに、鈍い私もようやく気づいた。まだ人生経験が少なすぎて、それが何を意味するのかは理解できなかったけれど、いつか必要になる日のため、心の奥のとっておきの場所に、私はその言葉をそっとしまった。
Yさんが治療のために入院した後、同じ部署の上司と一緒に、病院へお見舞いに行ったことがある。ほんの1ヶ月ほど会わない間に、彼の体は驚くほど痩せて、服の上からでも分かるほど患部が腫れ上がっていた。それでも、Yさんは闘病の壮絶さなどみじんも感じさせない穏やかな口調で、病室で起こった珍事件を面白おかしく話してくれた。気をつかわせてしまっているな、と思った。
家族でも、親しい友人でもない、たまたま同じ部署にいただけの私が、本当にここへ来てよかったのだろうかと、正直少し気後れしながら、私は当時付き合っていた人との結婚が決まったことをYさんに報告した。
その瞬間、Yさんはぱっと顔を輝かせた。
「そうか。よかった。おめでとう」と私の両手をとって、ぎゅっと握手してくれた。驚くほど強い力だった。眼鏡の奥の目には、元気な頃と変わらない光が宿って、少し潤んでいるようにも見えた。
来てよかったのだ、と思った。
けれど、涙がこぼれないように「ありがとうございます」と小声で答えるのが精いっぱいで、気の利いたことは何も言えなかった。
Yさんが亡くなったという報せを受け取ったのは、夫となる人の住む町へ転居するため退職し、引っ越しの準備をしているときだった。葬儀は近親者のみで執り行ったと簡潔に記された葉書を握り、段ボールを積み上げた部屋で私は泣いた。
働きすぎて体調を崩し、前線の部署から異動してきた私を、父親より年上のYさんは何かと気にかけ、お昼ごはんをご馳走してくれたり、自身の好きな映画や写真の話を聞かせてくれたりした。
あんなにやさしい人が、コップのふちまでギリギリいっぱいの家族を支えながら働いてきて、ようやく勤めを終えこれからゆっくり過ごそうという矢先に、なぜ旅立たなければならないのか。
――いっぱいになったコップから、水が溢れてしまったら、それから家族はどうなるんですか?
神様に聞いてみたかった。
その後、私は結婚し、2人の子どもの母親になった。一度は辞めた仕事も再開した。夫の仕事は転勤が多く、小さな子どもたちを抱えて、1~2年おきに日本全国を転々とした。
小さい子どもは、頻繁に熱を出したり、体調を崩したりする。そして、産後で抵抗力が落ちている私も、高い確率で子どもの病気をもらい、寝込むことになる。双方の故郷を離れ、夫婦2人で働きながら子どもを育てている私たちにとって、それは想像していた以上に大変なことだった。
自分も40℃の熱が出て意識もうろうとしながら、子どものベビーカーを押して小児科に連れて行ったり、夫の出張中に子どもが急病になり、もう1人の子どもの手を引いて夜間救急に駆け込んだり、「もう無理なんじゃないか」と思うことが何度もあった。
そして、いつの間にか、「もう無理!」と思う度に、私の脳裏にはあのコップが浮かぶようになっていた。Yさんが教えてくれた、水の入った家族のコップ。すべてを投げ出してしまいたくなる夜、目を閉じて深呼吸して、私は自分に問う。
「わが家のコップ、今どれくらい?」と。
そのときによって、コップの水は80%(かなりキツイ)だったり、30%(まだまだ余裕)だったりする。けれど、ふちまでギリギリいっぱいだったことは、今まで一度もない。
だって、私は生きているし、子どもの病気も一時的なもので、すぐに回復することが分かっている。そう考えると、心が落ち着いてくるから不思議だ。そして、勇気を出して助けを求めれば、家の外に手を差しのべてくれる人が必ずいることも、子どもを育てる中で少しずつ分かってきた。
いつしか「水の入った家族のコップ」は私にとって、大変なときに思い出し「大丈夫。何とかなる」と自分を客観視するための、お守りのような存在になっていた。
15年経った今なら分かる。あのとき、Yさんは、これから新しい家族を作る若い後輩へ、はなむけの贈りものとして、コップを手渡してくれたのだ。
Yさんが逝去してからしばらく経って、共通の知人から、彼の最期の様子を聞くことができた。ご家族だけでなく、親しい同僚や友人がYさんの好きな歌を口ずさんで見送る中、穏やかに旅立ったのだという。
――もし、いっぱいになったコップから水が溢れてしまったら、家族はどうなるんですか?
いつかYさんにたずねたら、彼はきっと笑って、こんなふうに答えてくれるんじゃないかと今は思っている。
――そのときにはきっと、桶やバケツを抱えたやさしい人たちが周りに集まって、コップから溢れた水を受け止めてくれるはずだよ。人生って、不思議なものだよね。
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