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メディアグランプリ

「ごめんなさい」が30年後に「ありがとう」になった話

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記事:羽様 洋一(ライティング・ゼミ冬休み集中コース)

「ぼく、この二人の両方からサインはもらえないの。どちらか一人を選んでサインをもらってね」

イベントの若い担当者の男性は幼い私に優しく語りかけた。

この二人とは、横浜大洋ホールズ(現横浜DeNAベイスターズ)の人気選手である髭のクローザーの齊藤明雄と横浜大洋のエースの遠藤一彦である。二人は投手で最多奪三振など多くのタイトルを獲得し、地元では当時絶大な人気を誇っていた。しかし、この二人の風貌は真逆である。髭のクローザーと呼ばれた齊藤明雄は、立派な髭を生やし、目つきも鋭い。幼い私は見られただけでもブルブルと震えがきた。プロ野球選手への憧れなど吹っ飛んで怖さしか記憶に残っていない。もう一人の遠藤一彦はやさしい笑顔でこちらを見ていたのが印象的だった。

この日は家の近くの銀行で球団と地元住民との交流イベントとしてサイン会が開催されていた。そのイベント存在を当日になって知った私は母にねだって会場を訪れた。しかし、イベントの開催時間は既に終わって、まさに二人が部屋を出ようとしている所だった。

この二人を前にして若い担当者は、残酷にも二人からはサインはもらえない。一人を選べと迫っているのだ。

「何で二人からもらっちゃいけないの。誰もいないからいいじゃん」

心の中で密かに思った。しかし、イベントの担当者は律儀にルールを変える気はないらしい。
私の答えはとっくに出ていた。優しい笑顔の遠藤さんからサインをもらいたかった。しかし、隣にいる齊藤さんのオーラというか威圧感が凄まじかったのだ。

「俺のサインはいらないのか」

無言の圧力をかけられているようだった。

「遠藤さんのサインをください」

簡単にそう言えたらどれだけ楽だっただろうか。幼い私は、緊張し、悩んだ末に、勇気を振り絞って、その言葉を発した。無事に遠藤さんのサインをもらうことできた。

しかし、遠藤さんのサインをもらえた喜びよりも、齊藤さんからサインをもらわなかったことに罪悪感が残った。別れ際に見た齊藤さんは、先程までの鋭い眼光と少し変わってどこか寂しい表情に見えた。子供心に何だか悪いことをしてしまったように思えて申し訳なかった。そして、心の中に齊藤さんに対する「ごめんさい」という言葉が繰り返した残った。

「二人のファンです。二人のサインが欲しいです」

機転を利かせてなぜ言えなかったのか。このことが人生に与えた影響は大きい。

なぜなら、これが人生ではじめてプロ野球選手を目の前で見た瞬間だったからだ。あまりに衝撃的で次の日に熱を出して寝込んでしまった。それも今では良い思い出になっている。

今にして思えば、プロ野球選手が幼い子供に威圧的な行為をするわけはないし、むしろ温かい目で見ていたに違いない。

そして、このことがきっかけで私は何事にも欲深くなったのである。迷った時は、両方できないか、両方もらえないか、ダメでもとりあえず口にして言うようになったのである。幼少期のトラウマは、その後の人生に与えた影響は計り知れないのである。

この話には後日談がある。

あれから30年、現役を引退した齊藤さんと遠藤さんが横浜DeNAベイスターズについて語るトークイベントを開催した。

私は懐かしさと原点に戻るような気持ちでこのイベントに参加した。

30年経っても二人は日々のトレーニングを欠かさないせいか、スタイルは当時とあまり変わらないように感じられた。変わったことは、雰囲気が現役時代と違い、ほんわかしたことではないだろうか。トークも軽妙で面白く、幼い時に感じた恐怖はどこにも感じられなかった。

このイベントの最後に抽選会が行われ、齊藤さんと遠藤さんが来場時に来場した順番に配布されたカードと同じ番号が入ったカードを箱から取り出して、番号が一致すれば二人のサイン入りの色紙やグッズ等が当たる仕組みだ。

「しまった1番だ」

心の中で微妙な気持ちになった。こういった抽選で1番が引かれる確率は過去の経験から低いからだ。思い入れの深い二人のイベントだったので気合が入って一番に並んだことを後悔していた。

「1番」

齊藤さんが元気よく叫んだ。そして、齊藤さんのサイン入りグッズが当たった。それもベイスターズがOB選手と現役選手を集めたメモリアルゲームで限定発売された貴重なクリアファイル。そのクリアファイルには、幼い私が恐怖した眼光鋭い若き日の齊藤さんの姿が印刷されている。あまり予想外の展開に声が出なかった。

「おめでとうございます。いつも応援ありがとうございます」

齊藤さんは握手をした後に笑顔でクリアファイルを渡してくれた。
30年前に、私は選ばなかったのに、齊藤さんは笑顔で選んでくれた。

「ありがとうございます」

私も笑顔が返すことができた。

そして、私の思い出も「ごめんなさい」の繰り返しから「ありがとう」の繰り返しに変わった。

***

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2020-01-11 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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