「いただきますは殺すこと」
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
【2月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《平日コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:清水洋二(ライティング・ゼミ日曜コース)
食事をする前に手を合わせて言う一言。
「いただきます」
私も幼い頃から当たり前のように親からうるさく言われ、今では意識をすることなく無意識のように食事をする前に言うようになった言葉である。
幼い頃には親からや学校からなぜこの言葉を言うのかを、多分教わっていたとは思うが、今となってはその理由を正確には答えられる方は少ないのではないだろうか。
もちろん私もその一人である。
いただきますと言うことが礼儀であり、これを言わないと育ちが悪い、礼儀がなっていないと判断されることもある。いわば人としての知性を判断する、そんな言葉かもしれません。
ただ、言っているだけの人も多いと思う。
なぜこのようなことを書いているかと言うと、間も無く2歳になる娘の存在があるからだ。娘は「パパー」「いやー」はもちろん、「おかえり」なども言えるようになってきた。これがまた可愛いの何のって。家に帰る楽しみの一つである。
そんな娘と一緒に食事をする時に、妻が娘に「いただきますは?」と言わせようとしていた時にふと感じたこと。
「いただきますってなぜ言うのだろうか?」
もしも娘に「お父さん何でいただきますって言うの?」 って言われたら自分は何て答えたら良いのだろうか?どのように答えたら娘は納得して言うようになるのだろうか。ただ言うのが礼儀なんだよって言うのは簡単ではあるが、それは教育ではなくただの洗脳。自分の娘にはしっかりと自分が話すこと行動することには説明を持てるようになって欲しいと切に思う。
その為にはまず自分がしっかりとその言葉を理解することが当然必要になる。だから今回はこの「いただきます」とう言葉を掘り下げていこうと思う。
まず広辞苑で調べてみると以下のように説明をされている。
いただき-ます【戴きます】
出された時の料理を食べ始めるときの挨拶の言葉。
そういただきますは挨拶なのである。もう少し噛み砕くと「いただく」(“もらう”の謙譲語、または”食べる”、”飲む”の謙譲語・丁寧語)から派生したもので、「ます」を付けないと挨拶として機能しない連語である。
なるほど、謙譲語なのかと納得をした。ただ、謙譲語となると「自分がへりくだって相手を立てる」ということになる。では、誰にへり下っているのかというと言うと、それは料理を作ってくれた人、そしてその料理に使われた食材になると思う。
つまりいただきますは感謝の心なのである。料理を作ってくれた人、そしてその料理の食材に対しての感謝の心を表す言葉としての”いただきます”。
ここまではあたり前の話だと理解されている方も多いかと思うが、私はこう思っている。
「食材に感謝している人はどれくらい居るだろうか」
食材はコンビニに行けば24時間好きなものが買うことが出来る、今の時代。料理になる前の食材から、すぐに食べことの出来る食材まで様々なものが並んでいる。そんな時代に食材に感謝することなんて可能なのだろうか?
野菜をとって見ると分かりやすい。スーパーでは同じような形や色が綺麗に、いわばディスプレイのように並んでいる。でも果たして生産する時はそのような同じような形で出来あるのだろうか?もちろん最新の機械と設備を導入して、同じような色や形が出来るものもあるにはあるだろう。ただ、それは一部の話であって、ほとんどの農家では、形が揃っているものだけを選定して他は受け取ってもらえることが出来ずに、頭を抱えているのである。いわばスーパーでは選ばれた一部だけの優秀なものだけが並んであり、その大半は日の目を見ることがなく廃棄されていく。
これが現実である。そんな背景を極力無くすようにして並べられた食材に感謝することは到底難しいと思う。
野菜だけではなく、動物や魚などの食材も同様であり、私たちは綺麗にカットされたお肉やお刺身が並べれているのを、背景を知らずに購入している。魚では生きているものをそのまま裁いたりする映像やお店でのパフォーマンスは見たりすることはあるだろうが、動物ではほとんど見ることはない。
これがひと昔前では違っていた。30代である私の親は、幼い頃から飼っている鶏の毛をむしり、包丁で捌いていた風景は日常であったそうである。もちろん農家などでは当たり前のように今もその作業を行なっているが、それが私たちに極力目が届かないようになっている。
今まで庭に飼っていたものを”殺し”、自分が生きる為に食べる。
これは自然の道理であり、当たり前ことである。人間も動物もこのようにして生きてきたからこそ今がある。
だから私は思う。
「いだだきますは殺すことなのだ」と。
少し残酷な言い方かも知れないが、動物だけでなく、野菜も命があり、それを殺して私たちは生きている。そしてそれが今の時代では、その殺すという行為が生活の蚊帳の外に置かれてしまっているのではないだろうか。そんな時代背景のなかで、「子供に食べることに感謝をする為にいただきますを言いなさい!」と言っても子供はポカーンとするだけだと思う。
だから私達が出来ることは一つ。子供にその背景を見せること。こんなことを言うと、「そんな動物を殺す場面を見せるのは残酷だ。それでそれを食べられなくなったらどうすんだ」という声が聞こえてきそうだが、私はそれによって食べられなくなっても良いと思う。だって私たちはそうして生きてきて、これからもそうして生きるしかないからだ。それを否定するということは生きないとう選択をしているのに等しいのではないか。
だから私は娘には「いただきますを言いなさい」とは言うことはないだろう。その分、しっかりと食材の成り立ちを伝え、出来る限り見せたいと思う。そうすると自然に手を合わせたり、自然といただきますは自然に出ないかもしれないが、ありがとうと言う言葉が出るのではないか。
その段階を踏まえた上で私はこう娘に言いたい。
「ありがとうではなく、いただきますと言うんだよ」と。
***
この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加いただいたお客様に書いていただいております。 「ライティング・ゼミ」のメンバーになり直近のイベントに参加していただけると、記事を寄稿していただき、WEB天狼院編集部のOKが出ればWEB天狼院の記事として掲載することができます。
http://tenro-in.com/event/103274
天狼院書店「東京天狼院」 〒171-0022 東京都豊島区南池袋3-24-16 2F 東京天狼院への行き方詳細はこちら
天狼院書店「福岡天狼院」 〒810-0021 福岡県福岡市中央区今泉1-9-12 ハイツ三笠2階
天狼院書店「京都天狼院」2017.1.27 OPEN 〒605-0805 京都府京都市東山区博多町112-5
【天狼院書店へのお問い合わせ】
【天狼院公式Facebookページ】 天狼院公式Facebookページでは様々な情報を配信しております。下のボックス内で「いいね!」をしていただくだけでイベント情報や記事更新の情報、Facebookページオリジナルコンテンツがご覧いただけるようになります。