「キュリー夫人」をどう呼ぶか
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:大越香江(ライティング・ゼミ特講)
「なぜ、キュリー夫人っていうのかな?」
子どもの頃、「キュリー夫人」の伝記を買ってもらった。
彼女は、ポーランド生まれ。パリに渡り、苦労して大学で物理や数学を学んだ。ポロニウムやラジウムの研究で夫と共にノーベル物理学賞を受賞し、夫の死後も研究を重ねてノーベル化学賞を受賞した。ノーベル賞を受賞した最初の女性で、世界で初めて2度のノーベル賞を受賞した。すごい人だと思った。
しかし、フルネームではなく「キュリー夫人」と呼ばれていることが腑に落ちなかった。夫のピエール・キュリーよりも有名人なのに。他に〇〇夫人と呼ばれる偉人は聞いたことがない。
違和感をしばらく忘れていたが、自分が論文を書くようになって、再びこの問題が気になり始めた。著者名をどう記すかは、研究者にとって重要なことだからである。彼女が、論文でどう自分の名前を記していたのか、気になった。
ある時、「世界を変えた書物展」という科学の歴史的名著や科学論文の展示会を見に行く機会があった。アインシュタインや、ニュートン、ダーウィンなどの初版本を見ることができるという。科学を学んだ者にとっては、垂涎の論文や書物である。
私のお目当ては彼女の論文であった。
どんな論文を書き、自分の名前をどう記したのだろうか。
彼女の学位論文の表紙には、“Mme-Sklodowska-Curie” と記載されていた。
Sklodowska(スクウォドフスカ)は彼女の生来の姓である。複合姓を使っていたのだ。
昨年の夏、学会でポーランドに行く機会があった。
どうしても行きたいところがあってワルシャワまで足を伸ばした。
子どもたちと旧市街地の少し外れにある建物を目指した。
「あった。この看板だ」
MUSEUM
MARII SKLODOWSKIEJ
CURIE
と書いてあった。
マリー・スクウォドフスカ=キュリー博物館である。
彼女の生家がそのまま博物館になっていた。通りに面した普通の家だ。私は興奮し、博物館の入り口や彼女の等身大写真パネルの横で、記念撮影をした。
写真や物理実験器具などの展示に加えて、マリーの論文やノーベル賞のディプロマ(証書)が飾ってあった。
1回目の受賞の時のディプロマでは“MARIE CURIE”という記名だったが、2回目の受賞の時は“MARIE SKLODOWSKA CURIE”という記名になっていたのが興味深かった。
今となっては、彼女の心の内はわからない。
マリーが結婚を決めた頃、友達への手紙に、「新しい名前はキュリー夫人です」とわざわざ記しているくらいだから、「キュリー夫人」と呼ばれてウキウキしたのだろう。
しかし、研究業績は別だ。
夫のピエールが主たる研究者で、妻のマリーは助手に過ぎないと低く評価されていた時期もあったらしい。しかし、彼女は2 度目のノーベル賞受賞記念講演では、自分と夫の業績を区別して説明している。彼女には自分は夫の助手ではなく、共同研究者であり、夫の死後も独自に研究を続けてきたという自負があったのだと思う。ポーランド人としての誇りもあったのではないか。
私自身が母親になってからは、マリーの娘たちのことも気になるようになった。最先端の研究を続けながら、2人の娘を育て上げたのはすごい。
長女イレーヌは人工放射線の研究でノーベル物理学賞を受賞している。次女エーヴは音楽の才能と文才があり、母親の伝記を書いたことで知られる。有名な「Madame Curie(日本語版:キュリー夫人伝)」である。
イレーヌは、祖父に勉強を教えてもらったり、マリーが知り合いの研究者たちと用意した共同教育で学んだりしていた。マリーが学校の詰め込み教育を嫌ったからだ。その後も、マリーはわざわざ授業時間の少ない学校を選んで娘たちを通わせた。娘たちは、母を「メ(ママ)」と呼び、不在がちの母に手紙を書き、母はその手紙を大事に保管した。
娘2人がそれぞれ才能を発揮できたのは、自主性を重んじた教育方針によるのだろう。
「ママ〜、日本のマンガもあるよ〜」
子どもたちはめざとい。ガラスケース越しにのぞき込むと、「マリー・キュリー」という子ども向けの伝記マンガが展示されていた。
伝記などで「キュリー夫人」と記載されてきたのは、エーヴが書いた伝記が有名だったからだろう。娘としては、両親の結びつきを強調したかったのだと思う。
それでも、研究者としての最大限の敬意を表するには、論文やディプロマどおり「マリー・スクウォドフスカ=キュリー」と呼びたい。
それだと長すぎるから、伝記の題としては「マリー・キュリー」が最適解か。
「ママ〜、この本、Amazonでポチッと買ってよ〜」
子どもが読みたいという自主性を重んじた方がいいのだろうか、と思った。
親が買ってくれた「キュリー夫人」の伝記が私をワルシャワまで連れてきたのだ。どんなことが子どもの動機になるかは、わからないではないか。
……マンガなのは少々気になったが、「マリー・キュリー」をオーダーした。
参考文献:キュリー夫人伝 エーヴ・キュリー 河野万里子 訳 白水社
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