失われた秘伝のスパイス
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記事:高橋実帆子(ライティング・ゼミ日曜コース)
「ねえ、なんで私と結婚したの?」
私は夫にたずねた。
「えっ」
不意をつかれた夫は絶句した。
答えは、聞かなくてもだいたい分かっている。「なんでだろうねえ」とオウム返しにするか、「うーん、フィーリングかな?」とお茶を濁すか。結婚して12年も経つと、相手の言動は何となく予想がつく。
分かっているのに聞いてしまったのは、トヨエツのせいだ。
1995年、最高視聴率28%超えという、令和の時代には考えられない驚異的な数字をたたき出したテレビドラマ『愛していると言ってくれ』。豊川悦司が耳の不自由な孤高の画家を、常盤貴子が女優の卵を演じて一世を風靡した。
今年の正月、CSで一挙放送されていたそのドラマを、1話から最終回まで、私と夫はひたすら夫の実家で見続けていた。なぜそんなことになったかというと、帰省したその日に夫婦そろってひどい風邪をひき、家族にうつさないよう、隔離部屋に引きこもっていたからである。高熱で話をする気力もわかず、ぐったりと横たわって若い2人の恋をひたすら見つめているうちに、ふと、いつもなら聞かないことを夫にたずねてみたくなったのだ。
夫もやはりぐったりと横たわり、言葉を失ったまま黙って常盤貴子を見ている。もとより私も返事を期待していたわけではないので、咳き込みながらドラマの続きを見守ることにする。
それにしてもこのドラマ、主人公の2人が信じられないほどすれ違う。四半世紀前の日本には、スマホはおろか、ケータイもポケベルもない。しかも、トヨエツ演じる晃次は聴覚が不自由という設定なので、電話で連絡を取り合うこともできない。2人のおもなコミュニケーション手段は、自宅に設置したFAXである。紙にメッセージを書いて送受信するのだが、相手が自宅にいなければ、もちろんリアルタイムでメッセージを届けることはできない。待ち合わせをするにもひと苦労だ。
例えば、晃次から「会いたい」というFAXを受け取ったヒロイン紘子は、自宅を飛び出して晃次の家へ向かう。しかし同時に晃次も家を出て、紘子の自宅へ向かっている。相手の自宅にたどり着き、それぞれの留守を知って嘆息する2人。「2人は無事に会えるのかな……っていうか、スマホがない時代なんだから、FAXで待ち合わせ時間と場所確認しようよ!」と視聴者は終始ハラハラさせられることになる。
現代なら、LINEで「今どこ?」「晃次の家の前だよ」「なんだ。入れ違いだね。すぐ行くわ」と1分で終わってしまうような会話に、CMをはさみ十数分の尺をとっている。しかも、この手のすれ違いがほぼ毎回起こるのだ。現代の私たちから見ると、『愛していると言ってくれ』の主題は、ほとんど全編「コミュニケーションのすれ違い」と言っても過言ではない。そして、そのすれ違いが「2人の恋はどうなるんだろう」という興味をかきたて、物語として実に面白いのである。
源氏物語の例を持ち出すまでもなく、時間差から生じるコミュニケーションのすれ違いは、悠久の昔から重要な恋のスパイスだった。会えない時間、連絡が取れない間にこそ人は想像力を働かせ、愛しい相手への思いを募らせてきたのだろう。
世界中どこにいる相手とでも即時に連絡が取れる便利さを知ってしまった私たちは、もう時間差の魔法がかかった世界には戻れない。好きな女の子と電話で話すため、公衆電話からその子の自宅に電話をかけ、お父さんの関門を突破する緊張感もなければ、最終電車に乗っているかどうか分からない相手を待って、駅の改札で胸を高鳴らせることもない。
もしかすると私たちは、「いつでも」「どこでも」の便利さと引き換えに、時間差というとっておきのスパイスを失ってしまったのかもしれない。
「……葉書かな」
ドラマを最終話まで見終わった夫が、テレビの方を向いたままぼそっと言った。
「葉書?」
私は聞き返した。自分が何の質問をしたかさえ忘れていた。
「ほら。毎日書いてくれたじゃん。連絡が取れなかったとき」
「ああ……」
私もようやく理解した。「なぜ私と結婚したの?」という質問の答えだ。
私たちが結婚した12年前にも携帯電話はあったが、今ほど性能がよくなかったので、エリアによっては電波が通じないこともあった。結婚前、夫が電波の通じない地域に出張して3ヶ月間仕事をすることになり、電話もメールもできない時期があったのだ。
遠距離恋愛をしていた私たちは、毎晩電話かメールで一日の出来事を報告し合うことを日課にしていたが、3ヶ月間はそれもかなわない。代わりに思いついたのが、毎日葉書を書くことだった。今日の出来事や考えたことを葉書に書き、時にはイラストも添えて、ポストに投函するのである。
「3ヶ月後、ポストにぎゅうぎゅう詰めになった葉書を見つけてしまう相手の気持ち」や、「いっぱいになっていくポストに、3ヶ月間毎日葉書を押し込む郵便配達員さんの気持ち」を慮る余裕がない程度には、私も時間差のスパイスに理性を狂わされていたのだろう。
それにしても、私自身が存在すら忘れていた葉書の存在を、まさか夫が覚えているとは。
「そんなこともあったねえ……」
もはや前世のことを思い出すような懐かしさを覚えながら私は言った。
「……嬉しかったんだよ。あの葉書」
夫はひとりごとのようにつぶやいた。12年間一緒に暮らしてきて、初めて聞く新事実だ。うっかり素直な気持ちを口走ってしまうあたり、たぶん、夫も高熱で意識がもうろうとしていたんだろう。
いくつになっても何年経っても、むしろ長い時間一緒にいるからこそ、相手の気持ちが全部わかるなんてことはあり得ない。だからこそ私たちには、ちゃんとひとりになって、大切な人に思いを馳せる時間が必要なのかもしれない。
ドラマのエンドロールに流れるドリカムの名曲を聴きながら、次の記念日には久しぶりに手紙でも書いてみようかと、ふと思った。
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