ドーナツの穴の作り方
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記事:結城智里(ライティング・ゼミ日曜コース)
私が幼いころ、時折母が手作りのおやつを作ってくれた。といってもそのころ我が家にはオーブンはなかったので、たいていはホットケーキかドーナツか蒸しパンといった、ガスコンロがあればできる簡単なものだった。
「きょうはドーナツを作るよ!」
「わあい!」
手作りのおやつではドーナツが一番好きだった。
卵、粉、砂糖、膨らし粉、牛乳で生地を作り、こねて型を抜く。この型抜きが楽しい。
母はごくプレーンなガラスのコップを用意する。(たいてい酒屋さんからもらったビールやジュースのコップ)。伸ばした生地の上にコップを逆さに置き、クイッとひねる。
「アジシオのふた、取って」
母はアジシオ(ガラス瓶に入った調味塩)のふたを手にすると、丸く型抜きした生地の真ん中にアジシオのふたを置き、またクイッとひねってふたをもちあげる。
「わあ、ドーナツだ」
真ん中に穴のあいた丸いドーナツ生地のできあがり。これを油であげて、紙袋に砂糖をいれて揚げたてのドーナツを入れて袋を数回ゆすれば、砂糖をまぶしたドーナツのできあがりである。
だが出来上がったドーナツに対しては、作る工程ほど興奮しないし、執着しない。あげたてのおいしいドーナツをつまみ食いして、その時点で満足。それよりもコップとガラス瓶のふたを使って、穴の開いたドーナツを作るということに幼い私は魅せられていた。
数年たって、母が
「こんなの売ってたよ」
金属製の丸いスタンプ状の器具を私に見せた。ドーナツの型抜きだった。
これを使うといっぺんにリングドーナツ生地を形作ることができるのだ。これは便利である。そして出来上がりもきれいである。
だが、その時私は
「なんだかなあ」
ちょっとがっかり。
ドーナツを作る楽しさがひとつなくなってしまったのを感じた。日常使っているありあわせの、ごく平凡な道具を使って、穴の開いたドーナツをつくる。コップとアジシオのふたで穴あきドーナツが作れるのだ。それはとても小さなことかもしれないが、私にとってドーナツづくりの楽しさの大事な部分が損なわれてしまった気がした。
便利になる一方で、失うものがある。それは便利になることのメリットに比べればさして重要ではないことかもしれない。
今、ビデオやDVD,ブルーレイなどのメディアを使って番組を録画するということを、当たり前のように行っている。
だがこうした家庭で手軽に使えるビデオ機器が普及したのは私が大人になってからのことだ。
私が幼いころ、テレビ番組は放映されるその時限りのものだった。番組を録画できるなどということは夢にも思っていなかった。だから大好きな番組は放映されているときに一生懸命見ていた。時には必死といってよいほどに画面を見つめた。それはごく当たり前のことだった。
その真剣さといったら、ちょっと滑稽なくらいだ。子供のころだからアニメーションなどをよく見ていたのだが、エンディングまで真剣に身を乗り出して見ていた。登場人物の声優の名前もしっかり覚えて、メモした。だからその番組が最終回を迎えるととても寂しかった。今でもその時のさびしい気持ちは覚えている。
たかがテレビ番組である。しかし、その時に私は「別れ」というものを疑似体験していた気がする。その時は気づいていなかったけれど、これから生きていくうちには出会いと別れがたくさん続くのである。本当につらい場面にいきなり会うことなく、疑似体験から入っていけたことは、少し楽だったのではないかと思う。
そしてなによりも大切なのはその番組を見ている時間を非常に楽しんでいたことだ。
今はテレビ番組も簡単に録画できる。面白い、好きだ、と思ったら撮りためて、また見よう、と思って積んでおく。好きなはずの番組もかつてのように真剣にみることはない。大人になったせいもあるけれど、いつでも見られるという安心感が影響しているという気がする。「たかがテレビ番組」に抱くことのできたときめきと切なさが失われてしまった。
便利になる、ということはありがたいことだ。仕事が楽になる、時間ができる、欲しいものがすぐ手に入る……生活を豊かにしてくれることにつながることだ。
だが一方で、それは小さなときめきをなくしてしまうことかもしれない。かすかな切なさを味わう機会をなくしてしまうかもしれない。
それにしても、ガラスのコップとアジシオのふたでドーナツの穴を作るのは楽しかった。
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