さよならを言えないさよなら〜『人生会議』について思うこと〜
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記事: 熊元 啓一郎(ライティング・ゼミ平日コース)
「先生、ありがとうございました」
車椅子に乗った初老の男性が私に挨拶をした。
「田島さん、体の調子は悪くないですか?」
私は目の前の男性に当たり障りのないことを聞く。パンパンに張ったお腹、それに反して痩せこけた頬や手足、誰が見ても病気で全身が弱っていると分かる。
「今日はいつもより調子がいいですね、病院を変わるからでしょうか」
無理やり作ったような笑顔で田島さんは笑う。
「大学病院は慌ただしいですからね、転院先の病院は少し落ち着いて治療できると思いますよ」
「ええ、転院先でゆっくりさせてもらいます」
田島さんは私や看護師さんに頭を下げると、奥さんと一緒に車椅子のまま介護タクシーに乗り込む。田島さんたちを乗せた介護タクシーはそのまま転院先の病院に走り去っていった。
ちょうど同じような時期に厚生労働省から発表された一つのポスターが世間で話題になっていた。
「こうなる前にみんな、『人生会議』しとこ」
死に瀕して大事なことを伝えてなかったことを後悔する場面で男性が語るこのセリフは、消化器内科医として癌治療に従事する私にとって末期癌の患者さんへの対応を改めて考えさせるものだった。死への恐怖といった強い不安を煽るのではないかと批判もあり、ポスター自体は1日で発送中止となってしまったが、タレントの小藪千豊さんの起用もあり世間には強いインパクトを残した。
実際に医療の現場でこのようなことが多いかもしれない。
ただ、実際に病状の説明は難しいのである。
病期が進行している癌患者さんに病状を説明する場合、私たち医師は癌患者本人に説明する際に家族に相談する。病名は伝えても、病状が進行具合や、余命についての説明を本人にしてほしくないと望まれる家族が多いのだ。
その背景に思いやりや善意がある。
本人がこの説明を聞いて絶望するかもしれないと言う善意によって、患者さん本人に病気に対する十分な情報を伝えられずにいるケースが多い。
結果として患者さん本人がよく分からない間に癌が進行して、様々なことができなくなって初めて、知らされる、あるいは悟る場面が多いのだ。
癌により肉体的にも精神的にも追い詰められている、そんな状態で自分に残されている時間が少ないことを知らされた時どんな気持ちになるか、考えるだけでも辛い。
“残された家族はどうなるの?”
“死ぬまでにやりたいことがあったのに”
“家族や友人ともっと一緒に過ごしたかった”
病室の中、様々な想いが頭の中を駆け巡る。
そしてそんな不安や後悔の中、この世を去らなければならない絶望。
いささか過激ではあったが、厚生労働省のポスターは、そんな思いの全てを代弁しているようだった。
『人生会議』は、そうなる以前から自分の病状を理解し、治療方針について繰り返し家族や医療従事者と話し合いながら、自分の価値観や意思を共有していくものだ。
末期で追い詰められた段階ではなく、体力的にも精神的にも余力のある段階で話し合っていくことで自分の病状を受け入れ、自分に残された時間を有意義に過ごしてもらう。そして、最期の時を迎えるというものだ。
私はこのポスターを眺めながら私は田島さんのことを考えていた。
田島さんは末期の肝臓癌だった。
5年以上の闘病生活を経て、いよいよ抗癌剤の治療が効かなくなり終末期の緩和ケア目的の転院だった。本人は私が病室に行くと元気そうに振る舞っていたが、食事もほとんど取れずに点滴をしている状態。癌の影響で腹水がたまり、栄養が取れず手足は痩せこけていた。
誰から見ても、病気に体が蝕まれていることが分かる。
医療従事者ではなくても、死に近いと感じ取ることができるほど弱っていた。
でも、本人はそのことを知らない。
もしかしたら、死期を悟っていたかもしれないが、家族の強い希望により余命など詳しい病状の説明は控えられていた。
私たちの前では元気に振る舞う田島さんを見ていて辛かった。
そんな田島さんを見ながら、本人の話を聞きつつも私は当たり障りのない言葉しか伝えることができなかった。
それから一ヶ月後、転院先の病院から田島さんが亡くなったという事実が伝えられた。田島さんが何も知らないまま亡くなったのか、それとも全てを悟った上で亡くなったのかは分からない。ただ、田島さんに『人生会議』がしっかりできる状態が整っていたら、と思わずにはいられなかった。
十分な病状が伝えられていない末期癌の患者さんの死は、さよならを言えない別れなのかもしれない。私たち医療従事者や家族は本当のことを伝えることができず、病状を知らない患者さん本人はさよならを言う時間を与えられることなくこの世界に別れを告げなければならない。もちろん、告知されることを希望しない人もいるので、しっかりとした話し合いが必要だが、『人生会議』を通じて患者さんの価値観や想いを家族や医療従事者が共有していく必要があるのではないだろうか。それがよりよい終末期医療につながると信じて。
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