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メディアグランプリ

食卓に溢れた、母の愛


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:yuko (ライティング・ゼミ日曜コース)
 
 
母は偉大だ。
……そして深い。
 
私の母は、「母像」を鏡に映したような人だ。
こんなことを公に言っては、地味に生きている母は
「やめて! やめて!」と強く否定するだろう。
目立つことが何より苦手なのだ。
 
母は、毎日何かしら動いている。
パートの仕事や家事はもちろん、姉の子供(2歳と5歳の男の子)の保育園のお迎えから食事の世話、そして実母を含めた家族の世話……。
断れない性格から、かれこれ10年以上、民生委員も任されている。
 
それらを、愚痴をこぼすことなく、スピーディーにこなすのだ。
小さい体で、なんと燃費の良い働きをすることかと、いつも感心させられる。
 
母は、一日中、料理をしている。
パートでも調理担当。家でも、孫、実母、父、たまに私と、バラバラな時間で料理を出す。
それぞれにメニューを変えることだってある。
どれだけ尽くすのかと脱帽する。
 
私が実家にいる時、手伝おうとすると、
「あなたは、結婚したら、これから毎日家事をしないといけない。だから今のうちは甘えなさい」
と断ることが多くあった。皿洗いさえもさせてもらえない。
 
……ここだけの話、私はまだ未婚なので、なんだか申し訳ない気持ちになるのは否めないが。
 
母は、物欲もない。
誕生日や母の日が近づくと、「先に言っておくけど、何もいらないからね!」と念を押される。
それでも、こちらの気持ちが収まらないので、少なからずプレゼントはしてきた。
モノだと、「勿体ない」としまい込んでしまうので、最近では好きな食べ物が多くなった。
母は、パンが大好きなので、家族それぞれが違う店のパンを買ってきてしまったこともある。
母は愛されているのだ。
 
私は最近、「食」の勉強をした。
添加物など、食の安全に関する勉強だ。
幼少期の食生活が大人になってからの腸内環境や味覚を左右する、とのことだった。
 
ここでまた、私は母に感謝することになる。
時代のせいもあるだろうが、私は母の「手料理」で育った。
惣菜やレトルト食品が食卓に並んだ記憶はない。(実際にはあったのかもしれないが……)
行事毎に、節分の恵方巻やひな祭りのちらし寿司、クリスマスの骨付きチキンなど、いつも私たちを楽しませた。
おやつにパフェを作ってくれた時は、心が躍ったのを今でも覚えている。
 
母にとって、料理とは、生き甲斐であり、武器であり、自己表現のひとつだったのかもしれない。
おかげで私は、皆勤賞を取るくらい丈夫な体で育った。
社会人になってからも、後輩から「ゆうこさんって、風邪引かないですよね~」と不思議がられた程だ。
 
味の濃いものより、和食の優しい味を好むのも、母の手料理のおかげだと思う。
味覚を左右する幼少期に、外食やレトルト食品ばかり口にすると、濃い味でなければ「美味しい」と感じなくなるそうだ。
 
実家を出て、一人暮らしをした。
世間で言われるように、やはり、母親の存在の大きさや有難みを感じずにはいられなかった。
そして10年もすると、食生活も自己流になってきた。
そんな中、私は初めて、インフルエンザにかかった。
風邪さえほとんど引いていなかったのに、一人になってからは、薬にお世話になることも多くなった。
食生活が原因ということは、何となく自身の身体が教えてくれた。
 
せっかく、丈夫な健康体で送り出してくれたのに……。
私は恩を仇で返したような気分になったものだ。
 
やはり、母の料理は最強だ。
決してインスタ映えするような食卓ではないが、安心感を覚える料理。
感謝を伝えたくなる料理。
 
身体は食べたものでできている。
そのものの栄養素はもちろんだが、愛情という、心の安定剤も含んでのことだと思う。
 
痩せたい盛りの学生時代。
やたら品数が多い食卓を見て、「こんなにいらないのに」と顔をしかめていた。
もっと少なくていい、と告げた翌日も、やっぱり品数は多いのだ。
今思えば、それは母の愛情だった。
当時の自分に、「つべこべ言わずに、有難く食べろ!」と喝を入れてやりたい。
しかし、品数の多い食卓は、母にとって苦労ではなかったのだろう。
 
今でこそ、もっと楽をして欲しいという意味で、「もっと手を抜いてね」と都度伝えるが、手を抜けないのが母であることも分かっている。
甘えてしまうことの方が親孝行なのか、とも思う。
だからこそ、せめて、感謝は伝えるようにしている。
「ありがとう」を伝えるのが恥ずかしい思春期は、とうの昔に過ぎ去ったので、いくらでも言える。
「美味しい」
「ありがとう」
「大変だったね」
心からの言葉が溢れてくる。
 
親孝行せねばならない。
 
食洗器もいらない、旅行もしない、お金もいらないと言う母に、唯一親孝行できるとすれば、
きっと、「私が幸せであること」だろう。
 
だから、私は幸せになる義務がある。
「幸せ」の定義はよく分からないが、母に胸を張って言えるようになりたい。
 
……いや、言葉ではないな。
 
「幸せそうな姿」を見せてあげたいと、心から思うのだ。
 
 
 
 
***
 
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2020-02-14 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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