口を開けて、笑えるようになるまで
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記事:SAT (ライティング・ゼミ平日コース)
私には大きなコンプレックスがいくつかあったのだけど、その一つが歯並びだった。
口を開けて笑えなかったのである。
上の歯は、まるでサメのように前から後ろに向けてとがったように斜めに生えているし、下の歯は上下にがたがたと生えていた。
しかも、上の前歯の一本は、小学4年生の時に体育でなにかの折りにこけて強打した。
歯自体は折れなかったのだが、神経を抜くことになったため、色が変色した。
ますます笑えない状態になったのである。
笑えない下膨れの顔というコンプレックスの塊で思春期を過ごした。
体も大きいし、歯並びも滑舌も顔も悪いと、バカにされる要素しかなかった。
そんな私でも、なんとか超氷河期の就職戦線を無事に乗り越えて、新卒正社員で入った地元の会社は入社後すぐに経営が傾き、出向という形で丸1年立たないうちに、地元から離れた別の会社に飛ばされた。
同期の中でも飛ばされた人と飛ばされなかった人がいて、私は自分の容姿とかもごもご話す滑舌の悪さが、飛ばされた要因なのかと、自分を責めていた。
飛ばされたと思っていた出向先の会社では、それまでやっていたことと違う仕事が与えられたが、とてもいいところで、新人の私にもいろいろ教えてくる人が多いところだった。
その中の一人のお姉さんは、庶務係みたいなことをしていて、会社のことなら大抵のことを知っていたので、色々聞いていて、仲良くなった。
ある時、なにかの話のついでに、そのお姉さんに、笑わなければかわいい、と言われたことがあった。
そういえば、そのときに矯正歯科の話もされたのだが、そもそも、かわいい、なんて言われたことがないから、そのときはそのまま流していた。
そんなある日、そのお姉さんに、強制的に矯正歯科の予約を入れられたのである。
私に紹介してくれたところは、そのお姉さんと子どもたちも通っているところだった。
矯正の期間は2〜3年はかかり、しかも、上下の歯に目立つ矯正器具を1年以上もつけなくてはいけない。
それでなくてもブサイクなのに、さらにサイボーグみたいな器具をつけるなんて……
でも、お姉さんは
「これで人生が絶対変わるわよ」
と自信満々に言い放った。
コンプレックスの塊だった新人の私は、その言葉を信じて、軽自動車が買えるような通院費用に震えたけど、思い切って、サインをした。
当然、新人の私はお金を持ってなかったが、その歯科医院は分割払いにしてくれた。
そこから、丸1年は毎週のように通った。
最初のころは歯を無理やり動かすし、器具が常に頬や唇の裏に当たる状態になるから、本当に口の中が痛くて、ご飯が食べられなかった。
見た目もやっぱり気持ち悪くて、さらに口を開くことができなくなった。
でも、そのうち、どちらも慣れてしまって、ご飯も食べられるし、口を開くのもそこまで気にならなくなった。
そもそも、歯並びにコンプレックスがあったので、サイボーグになろうとも、あまり変わらないことに気づいたのである。
そうこうしているうちに、通院2年目くらいから月に2回程度になり、3年目には数ヶ月に1回になったくらいで、矯正器具が取れた。
この時点で、歯並びは前がどうだったのかもわからないくらいに、劇的にきれいになっていた上に、変色した前歯は芯を残して差し歯にしてもらったおかげで、口元の印象は、自分でも驚くぐらい、本当に変わっていた。
人前で口を開けて話すことが、普通にできるようになったのである。
その上、矯正器具を外すまで気づいていなかったのだが、なんと、顔も変わっていた。
かみ合わせが良くなったおかげで、顔の筋肉を正しく使えるようになり、いつもむくんだように下膨れの顔が、シュッとして、頬骨がわかるようになっていた。
さらに、おまけとして、人前で話をするときに口を開けて話をすることができなかったので、こもったような話し方になってしまい、よく聞き取ってもらえないことがあったのだが、これも、変わった。
ハキハキと話せるようになり、しっかり言葉を伝えられるようになったのである。
そして、極めつけは、普通の女性としての扱いを受けることが多くなった。
多分、歯並びと顔が変わったことにより、自信が出てきたからだと思う。
つまり、自分で言うのも何だが、よくモテたのだ。
大きな口を開けて笑えるくらいに、本当に、人生が変わってしまった。
あの時、この人生を変えてくれたお姉さんとは、その後お会いできていない。
だから、お礼を言えていないのだけど、あの言葉を信じて本当によかった、と、心からあのお姉さんには感謝している。
もし、自分を変えるような話なら、乗っておいたほうがいいと思う。
乗っても変わらなければ、今までと同じ人生を歩むだけだし、人生を変えることができたら、今見える人生よりもっと違う人生が歩めるんじゃないかな。
(ただし、儲かりますよ、とか、信じる系、とか、そういう話にはくれぐれもご用心ですよ)
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