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幸運の女神に後ろ髪はない

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*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:結城智里(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
 
シャッシャッシャッ
軽い音を立ててブラインドが上がっていく。
シャッシャッシャッ
部屋が明るくなってくる。
「あああ」
心の中でため息をつく。
明るい部屋の中とはうらはらに私の心は重くなる。長い一日が始まる。
午前9時のオフィス。一番乗りした私の最初の日課は応接室のブラインドをあけること。
明け切った窓の向こうに新宿の高層ビル群が見える。
 
大学を卒業して初めての職場、代々木にある中規模の設計事務所だった。まだ男女雇用均等法施行前であり、4年制のコネなし大卒女子の就職は限りなく厳しい時代だった。図書館情報学というちょっと変わった分野だったので、高望みせず、図書室勤務ということでさして苦労することもなく決まった。
ところが内定し、年末提出の卒論執筆にいそしんでいた時、突然内定先から連絡が入った。
会社まできてほしいという。
「なんだろう」
ちょっと不安な気持ちで、会社に向かった。対応したのは社長。なんでも図書室で緊急に人手が必要になり、採用したので、私は4月から受付として勤務してほしいという。なんということだ!今の私だったら、「話が違う! 」といって席を立つ、ということも考えるかもしれない。が、その当時の私は、なんとかとれた内定であり、最大の試練である卒論提出がひかえていたので、ここで断るわけにはいかない。またそのときは図書館勤務にそれほど執着していたわけでもなかったのですんなり話を飲んだのである。
 
さて無事大学を卒業し、社会人となった。
この年はその会社にはめずらしく7人も採用された。この会社としては異例のことのようだった。5名は設計士に社長秘書、受付の私である。
受付、といっても、主な仕事は電話番である。かかってきた外線電話を設計のスタッフたちにつなぐ、いわば交換のようなものだ。
一日中かかってきた電話をとりつぎ、その合間に文具や備品の発注といったような雑務をこなす。
「私はいったい何をしているんだろう 」
次第にこんな思いにとらわれていった。同期の設計部の人たちは、現場に連れていかれたをみていると、なんだかみじめな気分だった。
 
シャッシャッシャ
ブラインドを下ろす。
一日のうちでこの時間が一番幸せを感じる時間だった。そしてそんなことに幸せを感じるしかない自分がやるせなかった。
高層ビルには明かりがともり始めていた。
 
「遅いね、もっと早く出なさい」
社長からの電話、コールが3回以上響いてからでると、注意される。
そのため電話が鳴ると必死で受話器をとった。
クライアントからの電話の取次ぎがうまくいかずに常務に注意されて、ひどく落ち込んだこともある。上司の立場からすれば軽い注意だったのだろうが、その時の私にとっては、「もうやっていけない」と思ってしまうのだった。
 
勤め始めてから最初の2,3か月の間は、週末は、大学時代の友達と過ごすのを日課の
ようにしていた。サークルの友達が中心だったが、今の生活から目をそらせたい一心だったのだと思う。
 
そんなにいやなのだったら会社なんかやめてしまえばいい、今ならそう思う。だが当時はまだ男女雇用均等法施行前、女性は就職しても、結婚して退職するというのがまだまだc。私自身もあてもないのに「まあそんな風に進むのだろうな」と思っていた。転職するということに今とは違った意味でハードルの高い時代だった。かといって恋人も結婚の予定もない。
 
なにもせず、考えもせず、1年が過ぎた
そんなある日、ブラインドを上げながら、そういえば、いつも眺めるあのビル群、ビルの名前を知らないなあ、とふと思った。毎日朝夕見てるのに。
さっそく調べてみた。ちなみにこのころはインターネット検索は身近には存在していなかったのでガイドブックとかパンフレットなどを見て調べたのだと思う。
ビルの名前を覚えたらなんとなく気持ちにはずみがついた。ビルの名前を覚えたことによるのではなく、ビルの名前を調べてみようと思うわずかな気持ちの変化、これが私を変化させたのだと思う。
 
気持ちがちょっと変わった、それはあるタイミングだったのかもしれない。
会社の人たちとも仲良くなって、飲みに行ったり遊びに行ったりするようになった。それなりに会社生活を楽しむゆとりが出てきた。
 
2年目の夏を過ぎたころ、母校で有期の嘱託職員をしている友達とじっくり話す機会をもった。期限はあるけれど、仕事にやりがいを持って楽しそうだ。
「そうだ、嘱託で図書館につとめればいいじゃない 」
そのときとにかく今の自分から変わりたいと思った。
自分の前に新しい道に続くドアがある。
 
転職を決めたとき、周りからは反対の声があった。会社の人からも残念がられた。特に社長が残念がってくれたのはちょっとうれしかった。居心地が悪くなくなると、居場所を変えることにためらいが出てくる。だが居心地はわるくなかったけれど、仕事にやりがいはなかった。
そのとき以前に
「幸運の女神にはね、後ろ髪はないのよ」
断言した友達の顔を思いだした。
「だから、近づいてきたら迷わず前髪をつかまなければ!」
そうだ、今が前髪をつかむときなんだ!
 
そのとき、私は幸運の女神の前髪をつかむことができたのだと思う。幸運の女神の前髪をつかむということは、思い切って一歩を踏み出すことだ。このことによって私の人生は大きく変わったと思う、大げさな表現ではなく。
 
だから声を大にしていいたい。
「ためらわずに女神の前髪をつかみなさい」と。
 
 
 
 
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2020-02-22 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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