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京都人という病


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:香山せの (ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
私は小さい頃から京都が大好きで、家から電車でほんの少し行くだけの距離なのだが、たまに京都に連れて行ってもらうのが楽しみで仕方なかった。それは、大人になってからも変わらず、京都にあるからというだけで大学を決め、社会人になってからも、特に用もないのに休みの日には京都に繰り出していた。
今年の夏、一念発起して、京都に住むことにした。通勤時間が倍になるという、他人には理解しがたい代償を払って、意気揚々と京都での暮らしを始めた。
 
いつも電車とバスを乗り継いで行っていた寺社仏閣や観光名所が徒歩圏内にあり、朝起きてマンションの外に出るだけで、「ああ、私は京都に住んでるんだ」という幸福感に包まれる、なんとも充実した毎日を送っていた。
 
そんなある日、自分と同じような人に出会った。その人も、昔から京都が大好きで、好きが高じてついに京都に住んでしまったという。たまたま出身地も、同郷といえるエリアだった。
その人は「京都に住むのはすごい楽しい。毎日が幸せでキラキラしてる」と言っていた。もう、まったくもって同感だ。京都に住むなんていいことしかない。ひとしきり、京都に住むことの良いところを話したあとに、「でもね、京都の人はやっぱり他とは違うよ」と、今までとは少し違うトーンで一言付け加えた。何があったか詳しくは聞かなかったが、どうやらフリーランスの仕事をしていたため、地元の方と接する機会も多かったようだ。
言われてみると、私は京都には住んだものの、京都の人と関わったわけではない。今時、その土地に引っ越したからといって、隣近所に挨拶に行くでもなし、関わる機会がないのだ。
 
関西圏以外の方のためにお話ししておくと、関西の他の府県と京都は少し違っている。言葉も関西弁という括りでいうと近しいが、大阪の言葉と京都の言葉は、3歳児向けの童話と推理小説くらい違っていると言ってもいい。それは、単にイントネーションの話ではなく、言葉の意味合いにおいてである。
関西の言葉で「〜したはる(人によっては、〜してはる)」という表現がある。目上の人や少し距離感のある人の行為を指す時に使う、尊敬を伴う丁寧な言葉である。
例を挙げると、「お隣さんが、庭の木を切ったはる」といった具合だ。この文を使ったとき、大阪人の場合は、文字通り、隣の人が木を切っていることを指している。それを京都人が言った場合、もちろん、そのままの意味であることも多いが、言い方と文脈によっては、「お隣さんが(また)庭の木を切ったはる(切った枝がこっちに落ちてきてるんも気づかんと)」という、カッコ内を口に出して言わずとも、聞いている相手に悟らせるという高等テクニックが使われている場合がある。
 
京都の人が、「ぶぶ漬けでもどうですか」と言ったら、早く帰れという意味だというのは有名な話だが、もしそんな場面が日常生活で繰り広げられているとしたら、京都好きとしては、ぜひともお目にかかりたい。
 
残念ながら、それから、ぶぶ漬けに誘われる機会はなく過ごしていたのだが、せっかく京都に住んだのだから、和楽器でも始めてみようかと三味線などのお稽古をしている教室の体験に行ってみた。
体験はとても楽しく、先生にも「器用に弾かはりますね」と褒めていただいた。最初から上手に弾けたのがうれしく、その場で入会を申し込み、ホクホクした気持ちで教室を後にした。家に帰って、お稽古の復習でもしようと、先生に言われたことを思い出すことにした。褒められたあの言葉「器用に弾かはりますね」がリフレインする。器用に弾かはりますね。ん? 器用に……? 改めて考えてみると、先生は、上手に弾けているとは言わずに、器用にと言った。気になり始めたらもうとまらない。器用にという言葉が意味するところは、「言われたことは、なんとなくできている風に見えてるよ。特筆して褒める点があるわけではないけれど」という実際には全く言われていない言葉が補完されて聞こえて来る気がして、褒められたというウキウキ気分がすっかり恥ずかしくなってしまった。
次のときには、始めて月謝を持っていった。先生は「ご丁寧にどうも」と言って受け取った。例の「器用に」事件が頭に残っている私はもう疑心暗鬼がとまらない。わざわざ「ご丁寧に」と言われるのには、何か丁寧すぎて慇懃無礼な差し出し方をしてしまっていたか、お札の向き間違ってますよという、合図が含まれているのではないかと、脳内で補完すべき言葉を勝手に探し始めてしまった。それから数ヶ月、月謝を受け取るときには同じ言葉を言われるので、おそらく深い意味はないのだと思う。(私がいまだに言外のサインに気づいていないだけかもしれないが)そんな、京都人の言葉をリアルに聞ける機会を持てて、いまはとても楽しくお稽古に通っている。
 
これらの経験も含めて、京都の人が発する言葉について、思いを巡らせてみた。おそらく、平安京の昔から宮廷が身近にあり、権謀術数に長けた人のみが生き残れる世界で培った「(特にネガティブな意味の事柄について)明確な言葉で自分の意見を言わない」という刻み込まれたDNAがあるのだろう。その一方で、思ったことを自分の胸に秘めるだけではとどまらず、相手になんとかして気づいて欲しいという自己主張の強さもある。京都人とは、その相反する性質が、ぶつかり合い、突然変異のように出来上がった「京都人らしさ」という持病のようなものを脈々と受け継いでいるのではないだろうか。京都人に特有の言い回しは、悪意のあるものでは決してなく、身体が勝手に反応してしまうものなのだと私は信じている。そんな京都人らしさも含めて、私はこれからも、ますます京都が大好きだと思う。
 
 
 
 
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2020-02-22 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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