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メディアグランプリ

俳句と駆け引きとSNS


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:原 真由(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
俳句や短歌が好きだ。
言いすぎず、言わなすぎない。
現代のSNSである。
 
限られた文字数に感情描写や情景を込め、センスをちりばめ、ちょうど良い塩梅で余韻を残す。日本が得意とする「余白の美」を文章表現にも反映させた、高度な言葉遊びである。
 
受け取り側に対し挑戦的なところもSNSと似ている。
実はこの言葉とこの意味、かけてたんです、気づいたあなた、お見事。
これ、本当は、あなたのことよ。伝わるかな?
みたいに、ちょっと上から目線でテクニックを忍ばせる。
駆け引きや匂わせに最適な点なんかも含めてそっくりである。
受け取り側のリテラシーと想像力を問うシニカルなコミュニケーション。
 
いくつか古典物を例に挙げる。まずは百人一首から一句。
 
あしびきの 山鳥の尾のしだり尾の
ながながし夜を ひとりかも寝ん
作者:柿本人麻呂
 
山鳥の長く垂れ下がった尾のように長い長い夜、私は恋しい人と離れてたった一人寂しく寝ることであろうか……と美しく訳されているが、時を現代にしてみるとあら不思議。
 
「あ~、やっと仕事終わった。華金なのに予定ないわー。誰か近くで暇な人、こんな時間にいるわけないか。一人でビール飲んで寝よ」とtwitterでつぶやく、あわよくば「あれ、暇なの?珍しい!私もちょうど仕事終わったよ~」みたいな返し歌を狙う、ただのかまって男子に見えてくる。
この間彼女と別れたばかりで寂しい。自分から出会いを求めに行く気力もない、ただ今なら来てくれるなら拒まないよ~という、それ誰に向けたアピール?
 
その様に一度捉えてしまうと、百人一首や万葉集は当時のかまって男やお花畑女、嫉妬女の応戦の宝庫。それぞれの読み手のステータスを知りながら読むと3倍くらい楽しめる。
 
近代和歌も負けていない。
明治・大正・昭和の世を、時代に翻弄されながらも「女」としてのプライドを持った生き方にこだわった与謝野晶子から一句。
 
みだれ髪を 京の島田にかへし朝
ふしていませの 君ゆり起こす   (出典:「みだれ髪」)
 
この句が収められている句集「みだれ髪」自体が、当時議論を巻き起こしまくった非常にセンセーショナルなものなのだが、タイトルにもなるこの句はひと際である。
乱れた髪を京都の島田風(=未婚女性のヘアスタイル)に結いなおして、二人で過ごした朝、まだ寝ていなよというあなたをそっと揺り起こすの。
この「あなた」とは与謝野鉄幹。のちに晶子の夫となる熱血漢だが当時は妻子持ちの身。
つまりこの句は二人の不倫関係を世間にアピールする句となる。
清純派女優の不倫匂わせインスタ投稿も真っ青の堂々とした「匂わせ」行為である。
案の定、晶子も世間の女性を敵に回し、大人の女性としてのモラルや知性をこれでもかと叩かれまくる。(本人は全く屈さず、さらに匂わせ連投して世間を挑発するのだが。)
 
近代からはもう一句、変わり種を。
個人的に愛してやまない俳人、種田山頭火。
年を重ねるほど孤独を自ら選び、旅に生き、酒を友にした俳人である。
彼の句は「自由律俳句」と呼ばれるスタイル。五・七・五や季語などのルールは一切無視、型に捉われない、文字通り自由なつぶやき。
その自由さたるや、以下の通り。
 
まっすぐな道でさみしい  (出典:「鉢の子」)
 
なんとシンプルで、それゆえに切実なことか。言葉以上の意味などありはしないはずなのに、どこか心の空虚なところに響く。こんな感じの句が続く。
 
いただいて足りて一人の箸を置く (出典:「鉢の子」)
こほろぎがわたしのたべるものをたべた
ながい毛がしらが  (「其中一人」)
死をまへに涼しい風  (「帰庵」)
石に腰を、墓であったか。 (「秋葉山中」)
 
見ているものが、すべて自分の半径2m以内である。
目に入るものをただ見たままに、何の意図も解釈も入れずに詠んでいる。
自身に忍び寄る死の影にすらどこか他人ごとで客観的だ。
その潔さと同時に感じるがらんどうな印象は、まるで現代の独居老人そのものである。
 
フォロワーのいないtwitterに毎日同じ時間、つぶやく。つぶやき続ける。
それがこの世界で正気を保ち続ける、唯一の手段であるかのように。
ある日突然投稿が止まる。そして「また一人、独居老人孤独死!」のニュース。
事件となって初めてスポットが当たるこれまでの毎日の投稿。
サブタイトルは「不幸な生い立ち、気づかれなかったSOS」だろうか。
そんなストーリーが嫌でも浮かび上がってしまう。
 
(山頭火は母・弟の自殺、自身の持病、家業の破産など不幸に次々と見舞われ、見出された才能も存分に発揮できない青年時代を送った。晩年は無一文の乞食で、その当時の克明な日記が死後、遺稿日記として公開され評価された)。
 
寂しいストーリーの想像が最後となってしまったが、和歌というのはこのように、現代シーンに置き換えてみると実に距離感の近く、共感性の高い、想像力をフル稼働できるSNSとして楽しめるのである。
 
いつの時代も人というのは、自己アピールせずには生きられないもの。
そのアピールに共感してくれる人を欲し続けるもの。
音楽や絵画、舞踊など、自己表現の方法は沢山あるが、「言葉」は万人に平等に与えられた表現ツール。
限定された文字数というのはその言葉の表現欲をかきたてる必要要素なのだろう。
 
そう、俳句、短歌は当時のSNS。
言葉の渦の中にひしめく女心に下心。
メンヘラの駆け引き、チャラ男のモテテクニック。
幸せアピール、寂しさアピール、一途さアピール。
寄ってらっしゃい見てらっしゃい、さあさあ楽しい人間模様。
 
私自身はというと、SNS各種アカウントは作ったきり、数年前からほぼ更新していない。今更ながらタイムスリップして和歌の扉を開け、想像力と表現力を鍛えようか迷っているところ。
 
 
 
 
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2020-02-22 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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