深夜の取り調べ
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:大和田絵美(ライティング・ゼミ平日コース)
11月11日、夜11時。
私はドキドキしながら、ある人からの電話を待っていた。
時間は4日前に遡る。
この日、私は新大阪から新幹線に乗り、東京に向かっていた。
新幹線の車内ではいつも、お気に入りのキーボードを使ってメールやブログを書いている。
Bluetoothでスマホと繋げて使える折り畳み式の薄いキーボードで、数年前から愛用している物だった。
とても便利なのに、意外と使っている人も少なく、知名度も低いのか、カフェや新幹線で使っていると凝視されたり、「どこで買えるんですか?」と知らない人に質問されたりすることもよくある。
とにかく私のお気に入りのアイテムで、外出時にはいつも鞄に入れているグッズだった。
新幹線がまもなく東京に到着というところで、私は何の気なしにサッと座席の前ポケットにこのキーボードを突っ込んだ。
そして、何を思ったのか、そのまま下車してしまったのだった。
東京での用事を終えて、家に戻り、滞っていたメールの返事を書こうとキーボードを探す。
……ない。
ここで初めて、キーボードを新幹線の中に置き忘れたことに気が付いた。
時刻は深夜。
日付が変わる頃だったので、この日は一旦諦めて、眠りについたのだった。
翌日、ふと思い立って、家電量販店に行ってみた。
一日経って考えた結果、鉄道会社に連絡してわざわざ取りに行ったりするよりも、この際新しい物を買ってしまおうかと思ったのだ。
こういう業界は日進月歩。私が購入した頃と違って、大きさも機能も様々な物が発売されていた。
いろいろな商品を手に取って、1時間近くはその売り場にいたと思う。
気に入っていたキーボードに一見すると似ているものもあったのだが、どこか少し違っていて、私の心にはしっくりこないものばかりだった。
まるで、一方的に別れを告げてきた恋人のように、別離に納得できない私は、彼に似たものを無意識に探し、違う部分を見つけては否定するということを繰り返していたのだと思う。
すぐに気に入ったものが見つかると思い込んでいた私は、急に襲ってきた喪失感に不意に押しつぶされそうになって、売り場を後にした。
「やっぱり、もう一度会いたい」
数日悩んだ末に、私は問い合わせをしようと決めた。
これが、11月11日、今朝の話。
まず、どこに問い合わせをするべきなのか調べないといけない。
「新幹線で忘れ物」で調べた結果、今時は、電話ではなく専用サイトへの入力で忘れ物を探してもらえるということが分かった。
早速、専用サイトに飛び、忘れた時の状況を入力する。
何月何日・新幹線の名前・乗車した号車と席の番号・失くした物の種類や形状などなど・私の名前や連絡先、一つ一つ入力しながら、行方不明になっている恋人を探しているような気持ちになった。
入力を終え、送信ボタンを押す時には、もう一度会いたい気持ちがグッと込み上げて来た。
数時間後、JR東海さんから返信メールがあった。
「特徴が似ている物があります」という報告だった。
絶対そうに違いないという気持ちと、違うかもしれないから浮かれてはだめだという気持ちが半分半分だった。
そして、担当の者から折り返し電話がありますという文章でメールは締めくくられていた。
それから7時間程。
私はこのスマホが鳴るのを今か今かと待っているのだ。
23時過ぎ、テレビを適当に眺めながら、明日のためにもそろそろ寝たいなと考えていた。
まさか、こんな時間にもう電話がかかってくることはないだろうとも思っていた。
そんな時、予想に反して、ついに電話がかかってきた。
電話は私が待ち焦がれていた、JR東海さんの遺失物係の方からだった。
ゴールが見えた。
キーボードがきっと戻ってくる。私は歓喜に震えた。
しかし、ここからが大変だった。
私はあちらの手元にある特徴を教えられて、「そうです! それです!」という流れで大事な相棒が返ってくるとばかり思っていた。
でも、私に課せられたのは、まるで事情聴取のような細かい取り調べだったのである。
遺失物係の人が矢継ぎ早にしてくる質問の正確な答えを、私は必至に思い出し答える。
うっすら感じていた眠気も一瞬で吹き飛んだ。
何月何日のどの新幹線に乗っていたのか。
どこで乗って、どこで降りたのか。
何号車の何番席に座っていて、どこに忘れたのか。
何色なのか。
表面にはなんて書いてあるのか。
開くとどこが光るのか。
右上のボタンの文字は何か。
左下の記号は何か。
とても大事なもので、いつも持ち歩いていたのに、いざ答えようとするとうろ覚え。
写真の1枚も撮っていなかったことを強く後悔した。
身近にいすぎる大事な存在って、意外といざ細かい特徴を聞かれると何も答えられないのかもしれない。
遺失物係の人は言葉少なだった。
黙々と答え合わせをしているようで、それがとても怖かった。
彼の反応から、手元にあるそれは私のキーボードであると私には分かっていた。
しかし、ここで私が正解を答え続けないと、あのキーボードはもう二度と私の手元に帰ってこないかもしれない。
そんな緊張と戦うこと30分。
ようやく遺失物係の彼が、「ほぼ特徴は合っているので、着払いで郵送します」と審判を下してくれた。
かくして、キーボードは過剰に梱包されて、私の手元に戻ってきた。
何でも買い替えが出来る時代だけど、それじゃないとダメなものもある。
諦めずに探して本当に良かったと思っている。
それと同時に遺失物係の彼は、いつもあんな夜中まで仕事をしているのかと気になっている。
朝から夜まで彼は、一つの忘れ物を目の前に置き、電話の相手に静かな尋問を繰り出し続けているのだろうか。
そして電話の先には、私にように失くした物の形状を必死で思い出しながら再会を待ち望み、震えながら答える人がいるのだろうか。
世の中には本当にいろいろな仕事がある。
「深夜の取り調べ」が行われたこの日を私は忘れられない。
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