メディアグランプリ

春、10回目の記念日


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

【4月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《日曜コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:瓜生とも子(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
 
「上司が酔って吐きました」
 
着信したのは夫からのメールだった。
 
「今日は歩いて帰ります」
 
電車がなくなるから、と。
 
やだな、こんな日に遅くなるの。早く帰って来てほしいのに。
 
目の前では小さなランプが点滅しつづける。
 
夫とは連絡がついた。背中には息子が確かにいる。辺りはやけに静かだった。
 
あんなの、初めてだ。
 
思い出すとその瞬間に引き戻されるような気がしてゾッとした。
 
ここは東京の下町。2011年3月11日、そろそろ午後3時になろうかという時刻。
 
息子がいつもの時間に昼寝しているあいだ、いつものように夕飯の支度をしようとしていた。
 
ズン! と衝撃が走った。
 
東京はしょっしゅう揺れる。住み始めた頃は回数の多さに驚いたが、毎回すぐおさまるのですぐ慣れた。が、今度のそれは強い。長い。揺れる。まだ揺れる。さらに大きくなる。
 
え? え?
 
息子をいつでも抱っこできるよう、抱っこ紐を腰に装着した。さあ抱き上げようとした瞬間、それは止まった。
 
再び揺れは来た。
 
家、壊れる? もしかして、逃げなきゃいけないの?
 
紙おむつやおしりふきなど、手当たり次第にリュックサックに入れた。粉ミルクや哺乳瓶はどうする? 下着や服はどれぐらい? 咄嗟の判断がつかない……どうしよう……どうしよう……。
 
息子が目覚めたのは、揺れが完全におさまった後だった。ああよかった、いつものように寝覚めの機嫌がいい。おやつのバナナを2本平らげた息子をおんぶして、外に出てみた。止まってしまったガスの安全装置がピーピー鳴っていた。
 
携帯を取り出すと夫からメールが来ていた。オフィスのある高層ビルはこういう事態に備えた特殊な構造。その揺れは、まるで船のようだったという。
 
「上司が酔って吐きました。それ以外特に異常はありません」
 
電車は確実に動かなくなるので、千代田線で8駅の距離を歩いて帰る、遅くなるからそのつもりでと。
 
こんなときにも冷静だな、この人は。
 
それには理由があった。1995年1月17日、夫は関西にいた。被害の少なかったエリアとはいえ、あの揺れを経験しているのだ。
 
私もしっかりしなきゃ。もうすぐ1歳の誕生日を迎える、大事な息子のためにも。
 
ガス安全装置のマニュアルを探し出して読み、リセットボタンを押した。
 
少し遅れて、東北地方のことを知った。東京とは比べものにならない激しい揺れと、大きな津波に襲われたという。
 
その頃我が家にはテレビがなかった。ネットの情報は「見ん方がええ」と夫が言った。しばらくして、いつどこでだったか、見てしまった。
 
想像を絶する映像。現実のことに思えない。でも他人事にも思えない。
 
東京でも続く余震。毎晩、避難袋と靴と、息子の自転車用ヘルメットを枕元に寝た。ほんのわずかでも揺れを感じると目が覚めた。
 
原発の事故。何を食べればいいのだろう。何を食べたらいけないのだろう。小さな子供には気をつけなきゃってことは授乳中の私も? 児童館で他のママさんたちと話すのは、このことばかりだった。皆、雨が降った直後の水道水は子供に飲ませないよう気をつけた。
 
その水が、近所の店から消えた。幸い家にストックはあったが、安心はできなかった。水以外でも電池などがいつもの店からなくなり、息子をおんぶして探し回った。雨が降ったときは濡れないよう、特に神経を使った。
 
1週間ほど経った頃だろうか。話があると夫が言う。
 
「自分では全然気づいてないやろけど」
 
私のことらしい。
 
「相当、参ってるわ」
 
え? そう?
 
「しばらく、ふたりで西の方に行ってくれんか。俺はひとりで大丈夫やから」
 
息子を連れ、関西の夫の実家に向かった。新幹線を降りて地面に立つと、足元に安定感があった。本当にそうだったのか、私の精神状態のせいかはわからない。
 
駅から乗ったタクシーのラジオでは関西弁のお笑い番組をやっていた。東京のラジオで毎日耳にしていた「ベクレル」が、別の世界の言葉に思えた。
 
翌々日、東京の水道水から準値を上回る放射性物質が検出されたとのニュース。現地にいないとはいえ、安全宣言が出るまでの2日間がひどく長く感じられた。すでに関西でも水が品薄になっていた。
 
数日後、四国の私の実家に行くことにした。移動には東京から夫も合流した。その日がまさに、息子の1歳の誕生日。ママ友からおめでとうメールが届いた。
 
「めでたいどころか移動だよ〜もう大変(泣)」
 
「こんな大事な日に両方のおじいちゃんおばあちゃんに会えるなんて、最高じゃない!」
 
そうだな。夫も来てくれたし。ゆっくり祝うことはできなくても、息子は家族全員と会えるのだ。四国ではもう桜が咲いているという。
 
「うん、ありがとう!!」
 
今年も3月がやってきた。近づいてくる、あの日。
 
9年前、しばらく四国で過ごした息子と私は、桜前線に少し遅れて東京に帰り、ほぼ普段通りの生活に戻ることができた。ニュースで伝えられる東北地方の死者数は増え続け、多くの人々が避難生活を強いられていた。
 
偶然だ、と思った。偶然、私たちは、この程度ですんだのだ。
 
あれからも息子はすくすく成長した。大災害にも遭っていないが、これから先いつ何が起こるかわからない。日々あわただしく過ごす中で忘れがちだけど、3月11日に黙祷を捧げるたび思う。毎年元気で桜を見ることができるのは、当たり前のことなんかじゃない。むしろ奇跡だ。
 
10回分の奇跡を重ね、息子は今年も誕生日を迎える。
 
 
 
 
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2020-03-06 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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